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近ごろ音楽に思うこと

「人は中学2年生の頃に聴いていた音楽を聴き続けるのだ…」という言説がありますが、体感的にその通りだなと思う節が多い。今やプロ、アマチュア問わず毎日新しい楽曲がリリースされている。そんな”最新曲”の中には、自分の感性にグッとくるものもある。なんだ、昔聴いていた曲ばかりじゃなく、新しい曲にも魅力を感じるんじゃないか。そう思ってしまいますが、いくら今時の曲であっても、自分が昔ハマっていた曲と同じ香りがしないだろうか。どこか懐かしい雰囲気…そこに現代的な展開やアレンジが加えられているだけで、結局同じものに惹きつけられているんだ。自分の感性にグッとくる。その感性とやらは10代の頃に形成されているのだから。

自分は10代の頃、アニソン、ボカロ、ハードコアなどの打ち込み楽曲、ゲーム音楽なんかを中心に聴いていた。流行りのJ-POPやアイドルソングにはほぼ触れていない。おかげで、今でも同じような感じだ。きのう名前を挙げた稲葉曇も、いよわも、Kanariaも、柊マグネタイトも、煮ル果実も、僕からすれば最新ボカロPの代表格だ。けれど、彼らもきっと僕が聴いてきた黎明期のボカロ曲に影響を受けているでしょうし、そうして作り上げられる楽曲に僕が惹かれるのも無理はない。

コロナ禍に鬼滅が大ヒットを収めたのも記憶に新しい。アニメに対する世間の認識が大きく変わったキッカケ、とも言えよう。SNSや各種サブスクが普及したことで、可愛い女の子がきゃっきゃうふふと愉快痛快なドタバタ日常劇を繰り広げる作品へのハードルも下がった…ような気がする。もう「休日はアニメを観ています」と言っても以前ほど奇異な目で見られることもないでしょう。では、最近アニメにハマった人たちが過去の名作まで拾うか、と言うと、それはごく一部の人に限られるでしょう。アニメが好き、というよりかは、目の前に転がっている最新の暇つぶしコンテンツを欲しているのだ。

音楽も同じだ。ボカロ界隈の出世頭である米津玄師、Ayase(YOASOBI)の名もずいぶん広まりました。では、今になってハチの曲に注目が集まるか?Ayaseが初音ミクで作った楽曲が脚光を浴びるか?というと、悲しいかな、そうはならない。みな、流行りのポップソングとして『Lemon』や『夜に駆ける』を消費していたのだ。

それゆえ、米津玄師やYOASOBIを自然に受け入れいている人にボカロ曲をおすすめしても、なかなか受け入れてはもらえないでしょう。僕たちはボカロの延長線上に彼らを見ていますが、流行曲として知った層にとっては、彗星の如く現れたトレンディーアーティストにすぎない。

僕だってそうだ。仮に自分の知らない界隈から大ヒット曲が出てきたとしよう。その曲をノリノリで聴いているからといって「よしじゃあこのアーティスト、このジャンルを深掘りするぞ」と、そう簡単にはいかない。試みてはみるものの、10代の頃と比べると吸収力がまるで違う。これまで触れてこなかったジャンルは、なかなか感性が反応しない。これはとても悲しいことだ。

恐らく、今後新しいものにどんどん触れていったとしても、それは自分の根源的な感性を広げることには繋がらない。感性はもう出来上がってしまっている。なので、せいぜい「新しいものに拒絶反応が出ないように」することくらいしかできない。これが今の僕の経験則。わりと夢も希望もないので、できれば間違っていてほしい。感性が枯れていく一方だなんてつらすぎるから。

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