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職場の異性と急に距離が縮まった話

少なくとも日本国内であれば、初めて入る飲食店でもおおかた味は想像できる。実食してみると、たいていは想像の域を出ない味だろう。良くも悪くも期待通り。だからこそ個人で営業している怪しげな店にチャレンジしたくなったりもするわけですが。何もこれは飲食店に限ったことではなく、あらゆる体験に当てはまる。人生で経験を積めば積むほどに、これから自分の身に降りかかるアレヤコレヤの予測をできるようになるのだ。

人間関係もそう。初めて会う人間でも、ものの数分喋っただけで、なんなら第一印象だけでも自分と合うか合わないかという漠然とした判断はできてしまう。もちろん例外だっていくらでもあるはずだが、人生はいつだって高確率なルートを選択・除外するゲイム。傾向と対策により「おそらくきっと自分に害がある」と思しきものは徹底的に避けるのだ。逆もまたしかり。「この人とは上手くやっていける」そんな予感がしたならば善は急げ、行動あるのみ。

僕はリモートワークなので、職場の人と喋る機会はほぼない。ただ、ミーティングなどで他者が一方的に話している様子を見ることはよくある。また、僕が語り部として一方的に喋ることもある。なので、互いにコミュニケーションは取らないものの、どういう声のトーンでどういう話し方をする人間なのか、ということは把握している。そんななか、「この人とはウマが合いそうだ」とかねて思っていた人がいる。さりとて、きっかけもなく話しかけるのは不自然ですから、これまでは何も行動を起こすことはなかった。コトの発端は、その人が体調不良により欠勤を申し出た時であった。僕は、体調が悪そうな人にはなるべくDMでお見舞いの連絡をすることにしている。余計なお世話かもしれないが、それほど邪険にされることもない。いつもの調子で「ご自愛ください」という旨のメッセージを送ると、これまたいつものようにお礼の言葉が返ってくる。

お見舞いをすると言っても、基本的にこの1回きりのやり取りで会話は終了する。今回もそうなるかと思っていたが、後日改めてそこそこ長めの”追いお礼”が送られてきた。とても思慮深い方だ。長文に長文で返すと、互いにメッセージカロリー過多で胃もたれしてしまいそうなので、僕は一言「このあと通話できませんか?」と送った。口頭で話してしまったほうが楽だと思ったからだ。今まで会話をしたことがない異性を相手に、いきなり通話の申し出。我ながら距離感を誤ったか、とも思ったが、杞憂に終わった。ぜひぜひ、とのことだったので、Slackで通話を繋ぎ30分ほど喋る。結果、彼女の言葉はどこまでが社交辞令で、どれほどの本音が混じっていたのか分からなかった。その上、いつものごとく8割くらい僕が喋っていたので、ひとり自室で大反省会を実施。もう二度とこの人と話すことはないのだろうと、四半刻ばかりの会話劇を思い出箱の中へと仕舞った。

ところが先日「もう一度話がしたい」とのDMが届いた。どうやら此度の「またいつか話しましょう」は社交辞令ではなかったようだ。互いに翌日が非番であったため、退勤後の夜に通話をする流れとなった。LINEを交換しましょうと言われ、久々の友達追加に手順が分からず少し戸惑う。軽く1〜2時間ほど話すつもりでしたが、とりとめのない話をしているうちに7時間経っていました。しかも最後は僕が寝落ちをしてしまうという不甲斐ないオチ。

僕が直感で「この人とは仲良くできそうだ」と思ったのと同様に、相手方も近しい何かを感じていたのかもしれない。一度軽く通話をしただけでLINEを聞いてくるほどの積極性ですから、僕が勘違い野郎のレッテルを貼られる心配はせずともしかるべきでしょう。ちなみに、僕の職場はかなりビジネスライクな人間関係なので、仕事の合間に雑談をすることすらない。ましてやプライベートの時間を割いてまで職場の相手と話すなんて奇想天外四捨五入だ。そんな環境で連絡先を聞くという勇姿を見せてくれた彼女に敬意を表したい。ただ、アラサー独身男女の関係性というのはなかなか難しい。ありし日のように感情に任せたアヴァンチュールを敢行するほどの熱意も無謀さも持ち合わせてはいない。ひとまず、互いにとって良好な関係が続くことを望みます。

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