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所有欲という悪魔

SNSとかいうパノプティコンに生きる淋しき現代人を支配する承認欲求。それに負けずとも劣らない力を持っているのが所有欲だ。ただ、承認欲求も所有欲も無ければ無いに越したことはない。業の極まりのような欲だ。例えば、空腹になれば食べ物がほしくなる。これは食欲だ。疲れれば眠くなる。睡眠欲。そして、あのフィギュアが欲しい!とか、このソシャゲのキャラをガチャで引きたい!というのが所有欲だ。キャラクターグッズというのは、その作品のファンをひどく魅了する。僕もグッズが大好きで、昔は好きなキャラのグッズであれば何であっても喜んで集めていた。フィギュアや缶バッジをはじめ、使い道の分からないストラップやコースターなどあらゆるものを。そして、自室にそれらを飾り、好きなものに囲まれて生活をする。なんと心が満たされることか。そして、自分の中だけで楽しめばいいものを、家に遊びに来た友人たちにグッズを見せびらかしたりもしていた。なんともみっともない愚行だが、今で言えばSNSでコレクションの写真をアップしているようなものだ。これがあまりに気持ちがよいものだから、さらにグッズを集めるという沼にハマる。しかしある日、ふと冷静になった。もし仮に火事や地震でコレクションもろとも家を失ったら?自分には一体何が残るんだろう。コレクションを失ったら自分は空っぽではないか。そこでようやく気付いたのだ。僕は、自分自身の価値を、所有しているグッズに見出していた。

「自分はこんなに凄いグッズを持っている。あれもこれも、すごく価値のあるものだ。そんなグッズを持っている自分は凄いんだ!」

コレクションが僕の価値そのものだった。だから、コレクションを失ったら自分には何も残らないと考えてしまったのだ。なんと、なんと安っぽい人間なんだろう。そんなグッズなんて、他人からすればガラクタでしかないのに。あまりの虚しさに、僕はそれからグッズを集めたいという意欲が一気に冷めた。グッズで自分に付加価値をつけるのは容易いが、諸刃の剣だ。何も持っていなくても自分に価値を感じられるようになりたいと、そう考えるようになった。
今では、ミニマリストという人たちがチラホラと話題になったり、シェアリングエコノミーという言葉をよく目にするようになった。個人で所有するのではなく、シェアすればよいという考えが主流になりつつある。その最たる例が映像作品や音楽のサブスクだろう。自分の好きなものを所有することで所有欲は大いに満たされる。けれども、スペースを確保する必要があったり、劣化しないよう手入れをしなければならないなど、所有には管理が伴う。身の回りはなるべくスッキリとさせておくことで、脳も幾分か冴え渡り、気持ちよくアニメを観たり音楽を聴いたりできる。管理する手間がない分、ひたすら作品の鑑賞に集中できるのが良い。そう、これで良い。これで良いはずなのだが、僕の中の所有欲がチラリと顔を出し、グッズを集めたい衝動に駆られることもしばしば。困ったものだ。どうすればいいのやら。

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