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8カ月ぶりの3連休に感じる不安

世は大連休時代、ゴールデンウィーク真っ只中ですね。僕の働く業界はいわゆるカレンダー通りの休日ではないので、土日も祝日もお構いなしで労働!である。シフト制だからね、仕方ないね。そんな中、僕は明日からたまたま3連休となった。これはすごいことだ。どのくらい凄いかというと、僕が3連休を取得するのは8カ月ぶりだ。厳密に言うと、8カ月前まで僕はニートで無限休日エブリデイを過ごしていたので、働き始めて初の3連休ということだ。それまでは毎日が休み・・・というか、働いていなかったから休みもクソもない。休日というのは、労働日と表裏一体の関係だ。働く日があるからこそ休日は存在し、休日があるから働く日があるのだ。

いや、そんな当たり前のことはどうだっていい。無職の頃は本当に自由気ままな暮らしをしていた。「今思えば信じられない!」と言いたいところですが、自分が今働いていることの方が信じられない。悲しいね。だからといって、僕は正真正銘根っからのニート魂を持っているからさ、へへへ、なんて言おうものなら、現在ニートの者たちから大ひんしゅくを買ってしまうでしょう。「いやお前働いてんじゃん、クズのフリすんなよ」と。確かに今の僕は働いているが、思考パターンとしてはそちら側の人間なのでよく分かる。本当にダメな人間からすると、余裕のある人間がダメな人間の真似事をしているのが気に食わないのだ。働いている僕が言ったって説得力はないけれど、いつまた無職に戻るかわからない。明日かもしれないし、10年後かもしれない。今はただこの世を忍ぶ仮の姿にて、健常者たちの社会に紛れ込んでいるにすぎない。結局、還るところは無職の身なのだろうなと確信している。

日々労働をしていると、なかなかに視野が狭くなっていくものだ。余計な欲やくだらない反芻思考に気を取られないで済む、という意味では、それもまた悪くはないのかもしれない。ただひたすら仕事に集中していれば、解放されたい、と自由を欲する自我と向き合わなくていい。けれど、休日というやつは残酷だ。束の間の暇を与え、世界の広さを思い出させるのだから。仕事から離れる時間が長ければ長いほどに、視野が広がっていくのを感じる。まるで大空に羽ばたいていけるような、そんな気がするんだ。けれど、休日最終日の夜には現実を突きつけられる。どこまでも飛んでいける、そんな無敵感も虚しく、自分にはリード付きの首輪が装着されているのだと気づかされる。”労働”はこのリードをがっちり掴んで離さない。

僕は3日間も仕事から離れて大丈夫なのか。2連休ですら甘い幻想に魅入られて危ういというのに。8カ月ぶり、か。休みとあらば本来嬉しいもののはずだが、ただただ不安だ。考えていても仕方がない。連休で渋滞している高速道路の映像でも眺めて心を落ち着けよう。

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