『落選第一作』⑤

老人たちのラジオ体操によって起こされたぼくのからだは汗でべとべとだったが、気持ちは爽やかだった。まだ時間は早かったが、愛に〈置き引きにあったら色々どうでもよくなって意地を張る気もなくなりました。兎にも角にも一度謝りたいので帰らせてください〉とメッセージを送った。その時スマホのバッテリーが2パーセントだったので、〈バッテリー2パーなので家の近くグルグルしてます!〉と付け足して、既読がつかないままスマホは眠った。

文字通りグルグルして、家の近所のローソンに入って、出ると、赤子を抱いた愛が居て、ぼくを見て、「ヒゲぼーぼーじゃん」と言って笑った。そうだ、こんなにかわいらしい女だ、と思った。かわいいし美しかった。抱いている赤子は、他の赤子が皆ブサイクに見えるくらいにかわいかった。こんなにかわいい人達を置いて自分は何をしていたのだろうと思った。家に帰ったらしっかり謝ろう、と思った。
一緒に並んで家に向かって歩き始めてすぐに愛が、「一緒に住むのはもう無理だから」と言ってきた。思わぬ先制攻撃だった。日に焼けたぼくの顔の内部の血管や神経はこの時真っ白になっていただろう。「えっ?」と反応したら、あまりに滑らかで平板な口調で愛は「1週間もわたしたちを捨てたんだよ。そりゃ無理だよ」と言った。
そりゃそうだよな、と思う心の余裕は無かった。ぼくは根本から間違っていたのかもしれない。HUNTER × HUNTERはとても魅力的な漫画だが、ぼくはあまりに繰り返し読み過ぎたし、どうせ読むならジンやゴンではなくミトさんの気持ちのほうにもっと重点を置くべきだった、というようなことはその時は考えられなかった。実際、体力も精神も限界を迎えていたのだ。広い視野で何かを考えることは数日前から出来なくなっていた。最初からできなかったのかもしれないが、輪をかけて狭小な思考になっていた。仮睡者狙いに遭ったというちょっと笑えるエピソードも手伝って、仲直りできるものだと思っていた。そうは問屋が卸さない、と表現してしまう自分がムカつく。
家に着いてから、風呂借りてもいい?とぼくは言ったが、誰に強制されるでもなく自発的に言ったその言葉に腹が立った。借りるとはなんなのか、なぜ許可を得なきゃいけないのか、しかし仲直りするために帰った手前その怒りはどこにも向かなかった。が、既にもう一緒には暮らせないと断言されてしまって、風呂から上がって倒れるように布団に横になった。
しばらくしてから愛がぼくのところに来て「何か言うことないの?」と言ってくるが、既に破局を申し渡されている身である。傷心の度合い凄まじく、少し高い声で「うーーん」というどういう意味なのかわからない擬音に近いものを発することしかできず、それによって更に愛をイラつかせたらしいことは感じ取れたのだが、いかんせん体力の限界だったし、何をどうしたらいいのかわからなかった。
最後の休息をくれ。
そんなことを思いながら眠ろうとしたが、小一時間ほどすると愛が寝室に来て、「赤ちゃんが寝るから、どいて」と言ってきた。もうすぐ捨てられることが確定している粗大ゴミに心があったとしたら今の自分のような感覚なのだろうな、とかうまいこと思うこともできず、わかった、と言ってぼくは家を出た。

基本的に無駄遣いします。