みかげ

読書と刺繍と音楽と。天然生活を10年愛読しておりますが、丁寧な毎日はいっこうに訪れませ…

みかげ

読書と刺繍と音楽と。天然生活を10年愛読しておりますが、丁寧な毎日はいっこうに訪れません。

最近の記事

  • 固定された記事

地獄の就活で講談社に救われた思い出

恐ろしいことに20年近くも昔の話になるわけだが、就活はもちろん地獄であった。厚かましく育った三十路の今ならば「新卒ってだけで企業受け放題OB会い放題?おいしすぎない?」と思うけれど、何の縁故も自信もない21才に、出口の見えない日々はつらかった。 商社やコンサルや広告でインターンをしたり、フリーペーパー作ったりイベントやったり、自己分析とエントリーシートの勉強会という名の合コンに明け暮れ、すでに本番前に力尽きた私、もうええわと講談社だけ受けたんである。若い頃からすでに図々しい

    • クラシック聴いてみたいなーとお考えの全人類に「石田組」を全力おすすめする理由

      最近、お気に入りの音楽はおありですか? 新しい音楽との出会い、なんだか減ってませんか? 作業用BGMとして、 ついつい90年代ヒットソングメドレーとか、2000年代シングルランキングとか聞いちゃって、 中高時代に思いを馳せては「あの頃の音楽が最高だったよなー。洋楽もオアシスとかかっこよくてさー」なんてお考えのアラサー、アラフォーも! クラシック音楽? 眠そう。高そう。服装が大変そう。マナーがめんどくさそう。 ちょっとだけ行ってみたいけど、ハードル高いわー。と、お思いのヤン

      • 「お花屋のおじいちゃま」は、今もきっと

        訃報に接することが、とみに増えた。 もう30も後半なのだから当然といえば当然なのだけれど、いまだ慣れない。 心が沈むとか、心に穴が開くとか、ありきたりな形容だけれど、そうとしか言いようのない気持ちになる。 その昔、ドリカムが名曲「SUKI」で (心に穴が開くってこと、分かった気がする) と歌っていたとき、小学生だったわたしは なんだか素敵な響きだわ〜と甘い気持ちになったけれど、体験してみるとそれは甘美さとはほど遠く、ただただ切なく、苦しい。 自分がひとつ、またひとつと削

        • 真っ暗な夜を必死に逃げて生きのびた、あの日

          母になって10年も経つと、自分もかつて「娘」だったことをすっかり忘れてしまう。 いまよりも地面に近い目線でみていた世界は狭くて不自由で、けれど親に守られる安心感に満ちていた。くだらない話で一日中笑っていられるほど能天気で、けれど些細なきっかけでぐちゃりと潰れうる友情に怯えてもいた。ちいさなことに一喜一憂して、アンバランスな情緒で生きていた。 「マジか」「やば」「うける」「ありえん」「うざ」「しにたい」「ラブ」 わたしたちの世界は安っぽく単純な言葉で彩られ、それでいてどんな

        • 固定された記事

        地獄の就活で講談社に救われた思い出

          読書好きの親子へものすごく勧めたい!「カトリと眠れる石の街」がおもしろいのよ

          生まれたときから本の虫。 そう呼ばれて育ったわたしは活字中毒で、読めるものならお菓子の裏書きでもシャンプーの説明でもなんでも、とりあえず読んでしまう。両親もそうだし、わたしの娘たちもそうである。虫一族なんである。 アラサー、いやアラフォー(小声)になったいまでも、本をむさぼるように読む。マンガも読むし映画もみるけれど、やっぱりいちばん好きなのは本。時代小説にファンタジー、ミステリに青春小説、つまりなんでも好きなんである。 で、あるが。で、あるのに! なんだか年々「心底面白

          読書好きの親子へものすごく勧めたい!「カトリと眠れる石の街」がおもしろいのよ

          起きると耳元に怖いおじさんが出現した朝のこと

          わたしが小学生のころ、世の中には変態というものがうようよおりました。いやもちろん今だって絶滅してはいませんが、あの当時はもっと堂々と存在していたように思います。 自動販売機と壁の間に全裸ではさまっているおじさんがいたり、わざと道端にいかがわしい本を捨てて子どもの反応を見つめているおじさんがいたり、わざわざ家に電話してきて下着の色を尋ねるおじさんがいたり、子どもながらに「また変な人がいる…」と思っていたものです。 変なおばさんもいたはずですが、わたしが発見した変態は、なぜかみ

          起きると耳元に怖いおじさんが出現した朝のこと

          休みなき「母親」に、すこしくたびれたときのあれこれ

          母親になって驚いたことのひとつが、「母親じゃない時間」が一切存在しない、ということであった。 もちろん夫が娘たちと外出してくれたり、家事を外注したりで、ひとり時間を確保することはできる。昔からの友達に会えば母親以外の顔に戻れるし、好きな本や映画に没頭することもできる。 けれど、そういうことじゃないのだ。 束の間の自由を得ても、結局は「そろそろフッ素の予約しないと」「夏の制服の丈みなくちゃ」「コンクールの申込したっけ」「上履き洗っとくか」「きっとランチは小麦系だから夜はごはん

          休みなき「母親」に、すこしくたびれたときのあれこれ

          THE FIRST SLAM DUNKが最高すぎて世界が終わるまではあなただけ見つめてるし君が好きだと叫びたい

          スラムダンクが好きすぎて観るか迷っていらっしゃる方、ぜひとも映画館へ!!!何卒、映画館へ!! そもそも激しく出遅れた鑑賞なのだが、園児がいる家庭において夫と二人きりで映画を観に行くというのは、なかなか難しいんである。 であるが、 行って!よかった!!! 井上先生!!あ(りがとうございま)した!!! 往年のファンだからこそ、怖くて観に行けない方もいらっしゃるだろう。わかる。わかるよ。私もカウボーイビバップの実写版とか耐えられないもん。 でも、THE FIRST SLAM D

          THE FIRST SLAM DUNKが最高すぎて世界が終わるまではあなただけ見つめてるし君が好きだと叫びたい

          どん底から一緒に這い上がってくれた猫と、その旅立ち

          コンサル一年目でボロ雑巾のように死にかけていた頃、同じく死にそうな猫を飼った。やせこけて、猫カビで肌はぼろぼろ、腸はウリザネに食べられて弱っていたものの、とってもきれいな猫だった。 猫と暮らすのは初めてだったけれど、東京砂漠でひとりぼっちな者同士、私たちはたぶん気が合った。猫カビが治るまで毎日シャワーと除菌をしなければならず、しかし猫が水を好きなはずもなく、その時間だけは不憫でつらかったけれど、猫にしかうつらないはずの猫カビが私に生えた時はひたすら笑った。皮膚科の先生も笑い

          どん底から一緒に這い上がってくれた猫と、その旅立ち

          早起きの母に絶望した私と、うまく飲めない白湯

          幼い子どもが懸命にやっているのに、ちょっぴりうまくいかない、その健気な光景は愛らしい。いや当の本人は必死なんだから申し訳ないのだけど、まぁ愛くるしい。小さなお指で何かつまもうとして落ちちゃうとか。ウインクしようとして両目をつぶっちゃうとか。カツオがカツヨになって、お薬がオスクリになって、パソコンがパコソンになっちゃうとか。もう愛しくて愛しくて、寿命が伸びる思いである。 こんなことを思うあたり、私も老化に片足、いや半身、え?厚かましい?全身?つっこんでいるということなのだろう

          早起きの母に絶望した私と、うまく飲めない白湯

          自由なアラサー、好き勝手な文章を綴る

          好き勝手に文章を綴ることは、なんて楽しいんだろう。自由!あぁ自由って素晴らしい。 だって近年、私が文章を書いた機会なんて娘たちの受験願書くらいなんである。左右対称の字を美しく書くのは難しい。なのに繰り返し出てくる貴の文字!貴園!練習しすぎて、貴乃花と美しく書けるようになってしまった。貴園のここが素晴らしい、そして我が家は控えめに申しますが結構イケております、というのもこんな教育方針で懸命に育ててまいりまして、だから素晴らしい貴園の理念とリンクすると思うんです、いえそんな風に

          自由なアラサー、好き勝手な文章を綴る