見出し画像

CTO・VPoEのキャリア〜マネジメント3周目のCTOが語るマネジメントの集大成〜ファストドクター株式会社CTO宮田芳郎氏

こんにちは、Startup Tech Live事務局です。CTOのキャリアシリーズでは様々な企業のCTOにインタビューを行います。
どのようなバックグラウンドがあり現在CTOとして活躍しているのか、CTOとして何に向き合っているのか、過去のキャリアから現在の仕事まで深くインタビューをします。
今回は全国の医療機関から構成されている日本最大級のプライマリ・ケア医療プラットフォームを提供するファストドクター株式会社のCTOである宮田芳郎氏にStartup Tech Live(以下STL)がインタビューを行いました。


現在に至るまでのキャリアについて

宮田)東京工業大学情報系学科大学院を卒業したあと、製造業系のコンサルティング会社インクスに入社し、ソフトウェアエンジニアの経験を積みました。3年ほど勤めた後に、インクスの同期4人で株式会社ガラパゴスを創業しました。当時は雑居ビルを借りて本当に何もない状況からはじめ、段々と組織を大きくするという経験ができたことはとても良い経験になりました。
当初は教育系の事業を立ち上げたかったのですが、スマートフォンアプリの開発が分野として立ち上がった時期と重なり、事業の軸は受託開発となっていきました。中平さん、島田さん、細羽さんという優秀な同期と様々な苦労を分かち合い、会社としても人間としても成長することが出来ました。

7年ほど役員として仕事をして、改めてやっぱり教育事業に携わりたいという気持ちが強くなり、再び一人で独立をしました。
独立をしたときの一番はじめのクライアントが株式会社COMPASS社というAIを活用した教育コンテンツを開発・運営する会社でした。2-3年ほど業務委託として開発をしていました。当時関わっていた、自身で設計をした学習エンジンを自分でさらに成長させたいと思いCOMPASS社へ改めて正社員としてジョインしました。
開発責任者として、公教育向けにプロダクトを広めることができました。日本の小中学生の10人に1人が利用するサービスへと成長し、自分の中でも教育分野は一区切りして次のキャリアを考えるようになりました。

妻が医師として働いており、話を聞いていると面白そうだなと思っていた中で、ご縁がありファストドクター株式会社に技術開発部長として入社しました。

ゼロから組織を作った1週目、エンジニアとしての個の力が濃い目でプロダクトを立ち上げた2週目、そして組織として大きなことを目指す今が3週目、と自分としては捉えています。

フラット組織による意思決定の難しさ

STL)社会人4年目の頃に創業され、その後も経営チームとして(もしくは経営チームに近いポジションで)開発組織をリードしてきた経験が長い宮田さんですが、経営チームの1人として苦労されたことはありますか?

宮田)ガラパゴス社を創業したときは、上下関係ではなく役割の違いとして捉えていました。みんな社会人4年目で会社の作り方も売り上げの建て方も分からない中でのスタートで、基本みんな何でもやるのですが、エンジニアバックグラウンドがある人は開発が中心で、コンサル出身の人は営業やお金も見るよね、といった役割分担が出来てきました。
ただ、組織作りはみんなでやっていました。評価制度は議論しつつ、たたき台を持ち寄って作っていました。

同期4人で創業したこともあり、関係性はフラットでした。合議で決めやすいものは良いのですが、経営的な意思決定には「間違っているかも知れないけどリスクをとって決める」ことが必要なことも多くあると思います。その時にはフラットさはマイナスに働くこともあるとも感じていました。
なんとなく創業メンバーなのが4人なのが良くないかなと感じていて、私が抜けて奇数にしたい気持ちもありました。
彼らは戦友だし仲間だと思っています。
ファストドクターへ入社する時にも中平さんにリファレンスしてもらいました。一緒に作った会社を抜けるのは個人としても複雑な感情でした。

結果として、スタートアップとして仕切りなおし事業を作っていて、アワードを取ったりしているのは自分のことのように嬉しいです。
意思決定がしやすいアンバランスさがあってよいと思います。

STL)仰るとおり一定のトップダウンのほうがスピードのある意思決定をすることができると感じます。誰かが言ったことに対して賛同できるような体制ができていればうまくまとまりゴールに向かって走り続けられますね。

マネジメントから技術者への転身、そしてマネジメントのプロフェッショナルへ

STL)COMPASSではどのようなミッションを求められていましたか?

宮田)ガラパゴス時代の最後のほうはマネジメント寄りになっていたこともありCOMPASSではエンジニアリングを中心に経験をもう一度積み直したいと考えていました。業務委託アーキテクトとして関わっていましたが、プロダクトへの期待が高まるにつれて、人も集まりマネジメントの必要性が発生してきます。そのキャリアの流れは私としては良い経験でした。

COMPASSで改めてコードと向き合う時間を確保し、エンジニアとしてのスキルがものすごく伸びました。当時37歳くらいです。強くてニューゲームのような感じで技術の成長をすごく感じました。
差別化技術を作り込む力や、アーキテクチャを考える力が上がったと思います。
技術を伸ばすことで、更に強いエンジニアメンバーが入社したときのアトラクトもやりやすくなりましたしマネジメント力も上がったと思います。

あのタイミングでコードと向き合った時間は自分にとってものすごく貴重な時間でしたね。

STL)当時を振り返って、今後のキャリアを見据えて改めてエンジニアリングスキルを磨いたのでしょうか?

宮田)そこまでキャリア設計できていたわけではないです。当時はむしろマネジメントをあまりやりたくないなというのが本音でした。他人の成果にまで責任を持つというのが、当時は重たく感じていました。

STL)宮田さんはマネジメントが得意な印象しかないので意外です。

宮田)人に成果を出してもらうのは大変だと思います。もっとうまく人に任せることができればよかったと思います。人が増えるごとに、最終的に自分でなんとかしなければならない場面が増えてしまうこともありました。人を成長させること自体は経験してきましたし、大きな苦手意識があったわけではないですが、メンバーの真価を引き出すことやストレッチする力が未熟だったんだと思いますね。

STL)何がきっかけで改めてマネジメントもキャリアの視野にいれたのですか?

宮田)マネジメント自体には抵抗感があったわけではないですし、そこそこ経験と実績もあったと思いますが、(COMPSSからファストドクターに転職する間に)マネジメントスクールに通ったことがきっかけで、マネジメントの中で得意な部分もあるんだなということに気が付きました。
マネージャーは実は孤独なポジションだと思っています。
独学独習な傾向があります。他の人の1on1が見られるわけではないですし、評価面談や面接も見られません。そのため、自分がどの程度マネジメントスキルに長けているのかわかりませんでしたが、他の人と関わることで自分の得意な部分やそうではない部分など様々なことを認識することができました。

プライベートでの結婚も良い影響でした。パートナーが精神科医だったこともあり、感情や精神における人のコンフリクトに関する知識を持つことが出来ました。感情のコンフリクトはピープルマネジメント上のハードシングスな点なので、そういったことをパートナーに教えてもらうことで知識が身につきマネジメント力を向上させることにも繋がりました。

振り返るキャリアの転換点

STL)これまで様々な組織の責任を担ってきたと思いますが、求められてきた役割は変わってきましたか?

宮田)ガラパゴスでは、技術開発教育責任者として開発の責任とHRBP(Human Resource Business Partner)のような立場でした。その後独立をして零細企業の社長として。COMPASSではChief AI OfficerとしてTechをリードしていく仕事でした。今のファストドクターでは組織を大きくしていくことや仕組み化していくことに重きを置いて従事しています。

STL)これまでの経験で難しかった意思決定や経験はありますか?

宮田)COMPASS時代でのデリバリの経験ですね。公教育向けの事業であることもあり、絶対に変えられない納期が決まっています。乗り越えるための過度な労働時間で身体にも相当な負担がかかっていました。今振り返ると、全て一人で頑張るのでなく、もっと早いタイミングからメンバーと協業すれば良かったと思っていますがそこも自分としてはまだうまくできていないところでしたね。

事業づくりとは「スケールする仕組みづくり」であると思っていて、ソフトウェア自体もスケール出来るのだから、人でスケールしなくても良いのかなと考えていました。今でもその考えの基本的なところは変わっていないです。ただ、経営から見ると私への依存度が高い状況はリスクに感じていたと思います。再現性もないですし。

CTOとしての事業戦略とインパクトの追求

STL)経営に近いポジションで開発のTOPとして経験を積まれてきたことが多い宮田さんですが、今後CTOになるであろう方々にアドバイスはありますか?

宮田)CTOの責務は、事業価値と技術的コストの最適化問題を解くことです。少ない技術的投資で事業貢献を増やす「テーマを見つける」のが一番の仕事。例えば、開発工数3日間で売上倍に、そういうホームランみたいな開発テーマを発見するのが一番の仕事だと思っています。
そのためには高い技術だけでなく、深い事業理解があってこそ、最適解は見いだせます。その仕事に再現性を作っていく、組織として同じ取り組みができるようにするにはどうしたら良いかを考えています。

自分で事業計画書を書いてみることをおすすめしています。
事業構造の理解のためです。どこにどの程度のインパクトがあるかどうか、それを理解するには、事業上にどこにコストがかかっていて、どの梃子を踏めば一番粗利が増えるか、それを理解するためには事業計画書を描くのが一番コスパがいいと思っています。
モデリングしながら係数をかけて形にしていくもので、エンジニアリングを経験している人とは実は相性が良いと思っています。
ただ現実は皆さん苦手意識があるのか距離を置かれている方が多いのではないでしょうか。ぜひ積極的に書いてみてほしいですね。

経営層とのコミュニケーションについて

STL)ファストドクターの代表取締役である水野さん、菊池さんとはどんなコミュニケーションをしていますか?

宮田)水野さんとは定期的に1on1をしていますし、執行役員会議で議論する機会もあります。菊池さんとは医療とテクノロジーが交わる重要なポイントで話をしています。
開発組織に関することはVPoPの西岡さんと二人三脚で進めています。
開発組織のマネジメントは、今までの経験もあり自分なりのパターンはありますが、西岡さんの前職であるSmartNewsさんのようなソフトウェアドリブンで大きなグロースをする経験は私にはないので、彼から色々アドバイスをもらっています。

STL)ファストドクターをもっと経営チームとして変えていくことはありますか?開発とビジネスの関係性などについて聞いてみたいです。

宮田)ビジネスサイドと開発サイドの連携や経営チームから開発組織へのリスペクトも高く、良好な関係が築けていると思います。通常の組織であれば、これだけのスピードで成長すれば崩壊する可能性もあると思いますが、全くそういったことはなくFastDOCTOR Technoloogies(ファストドクターのサービス運用に必要な研究開発や技術開発を行うバーチャルカンパニー)の離職も非常に少ないです。
特にこの1年は良い成果が出せたと思いますし、エンジニア組織だけではなく事業の大きなインパクトという意味でもうまくいっていると思います。

少子高齢化社会は変えられない現実がある中で、この3年〜5年で決定的なイノベーションを起こせるかどうかで大きく変わると思っており、その進捗の手ごたえもあります。
テクノロジーだけでなく、組織組成に向けた採用もうまくいっており、頼れる強いリーダーも入ってきている当社だと誇れますね。

STL)採用がうまく進んでいるのは良いですね。どんな取り組みが良い採用につながっていますか。

宮田)斬新な何かがあるわけではありません。きちんとPDCAサイクルを回しつつ徹底的にやりきっていることだと思います。
あとはやはり我々が大きな課題に立ち向かっていることに共感を頂くことが多いです。医療費が高騰している国難の課題に対して、スタートアップの立場で何ができるか考えて進めています。
ただ課題を提起するだけでなく、しっかり打ち手に向けて組織一丸となってやっていることを感じてもらえているので、この会社であれば絶対にビジョンが達成できると信じてもらえるのだと思います。


ー編集後記ー
以前ファストドクターの企画で医療従事者を巻き込んだハッカソンを拝見しましたが、発端はビジネスサイドからの起案であり、エンジニアからみたときの魅力をエッセンスとして宮田さんが追加したと伺いました。
エンジニアリングが医療にとって必要だとビジネス側が強く感じているからこそ、こういった企画が会社として実現できるのだと感じました。
CTO宮田さんのチーム、エンジニアリングの重要性とリスペクトを持っているビジネスサイド・経営陣がいるファストドクターであれば国難の課題であっても解決できるチームだと思っています。
開発者の未来・医療の未来にイノベーションを起こすファストドクター社。今後もご注目ください。

ファストドクター社にご興味のある方はこちらをご覧ください。

本記事で使用している写真はファストドクター株式会社の提供により使用しており、著作権はファストドクター株式会社に帰属します。
撮影場所:WeWork 東京ポートシティ竹芝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?