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女神 3 [オリジナル短編小説]


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7

同棲しているアパートの最寄り駅周辺で待ち合わせをした。私と夏美は仕事終わりに向かい、先に仕事を終えていた圭太がそれを待っていた。


「久しぶり、夏美ちゃん」


私と夏美が歩いてくるのを見て、圭太はベンチから立ち上がった。第一声がそれだった。
とても気に食わない。まずは私に「お疲れ様」じゃないのか?なぜ最初に夏美に声を掛けるのだ。私のことが一番じゃないのか。


「圭太くん、まずはあかりちゃんにお疲れ様って言わなきゃ」


おそらく私に気を使っての発言だろうが、そう言う夏美に苛立った。キョトンとして私を見る圭太。何故先に私に先に声を掛けろと言われたのか、全く理解出来ていないらしい。
それもそうだ、そもそも私のわがままなのだから。ただの独占欲だ。






それからは、思い出すだけでも情けない有り様だった。
三人で近くの居酒屋に行き、夏美と圭太が会話に花を咲かせている横で、私は嫉妬心と敗北感に支配されて上手く喋れなかった。
圭太と私は婚約しているのだ。今更他の女に奪われる危機感なんて、そんなもの必要ないのに。取り越し苦労なのに。



しかし相手は夏美だ。幼馴染でお互いを知ってる。幼い頃の圭太を知ってるのは私だけじゃなく、彼女もそうなのだ。

その上夏美はメガネで人相を隠してはいるが、かなりの美人になってる。
私なんて道端のたんぽぽだ。それに比べて彼女は優雅で清純な胡蝶蘭。今まで圭太を繋ぎ止めることが出来ていたのは、周りに外見の美しい女がいなかったからだ。昔の彼は女性であれば誰でも手を出していた時期があったが、心を奪われるほどの相手はいなかった。

圭太の美人の基準は高い。化粧で繕っただけの女は脅威ではなかった。そういったありがちな女よりは、少なくとも私の外見は上だった。もっとも、性格は誰よりも悪いかもしれないが、そんなものは全力で自制すればいいのだ。


しかし夏美は恐ろしい。外見も所作も、口調も声も美しい。既に社内でも、密かに彼女に熱を上げだした男子社員がチラホラ現れていたくらいだ。


私では敵わない。女としても、人間としても。
もうダメだ........。



「どうしたの、あかりちゃん?」


下を向いて、座った膝の上で握りしめた拳を睨みつけていた私に気付いた圭太が、そう声を掛けてきた。ずっと隣に座っているのに、気付くのが遅すぎやしないか。そんなに夏美と話すのは楽しいか。そうだろうな。

ずっと見張られて女と話せなかったんだ、さぞや楽しかろう。夏美は共通の幼馴染だ。女だからといって話すのを妨害するのは不自然だし、下手すれば今まで抑えていた私の自己中な一面が圭太どころか周囲の関係者にも露見しかねない。


「ちょっと気分悪くなった。先に帰ってる」


それしか言えなかった。それしか。
自分の汚い心と、夏美の恐ろしいほどの美しさに嫌気がさした。凝り固まった吐瀉物のようなおぞましいほど汚らわしい自分を見られるのが嫌で嫌で、仕方なかった。早い所、誰にも見られない場所に避難したかった。頭の中はそれだけだ。


私は財布から1万円札を出すと、テーブルに置いて立ち上がった。静かに置いはずなのだが、力が強すぎたのかなりの音がした。そのせいで居酒屋内が一瞬だけ静まった。周りの客がこちらを見るが、興味無さげにすぐ元に戻った。ただの酔っ払いだと思われたんだろう。


圭太が付き添おうとして立ち上がりかけるのを止め、私は一人で帰宅した。




8



圭太は翌日の朝5時に帰宅した。ベッドで横になっていたが、彼が帰宅するまで眠れなかった。
居酒屋が閉店したあと、二人でカラオケに行ったそうだ。酔っている相手に求めるのは馬鹿かもしれないが、気分が悪いと言ってる婚約者を完全に忘れて遊び呆けていた訳だ。ヘラヘラしながらベッドに腰かけ、「あっ、体調は大丈夫?」と軽い調子で問い掛ける。


「死ねよ」


上体を起こしながらそんな彼を睨みつけ、そんな低次元な悪態を吐いた。


「美人な夏美と遊べて楽しかったんでしょ。私なんか捨てて夏美と付き合えば」


ヘラヘラしていた彼は急に真顔になり、そして悲しそうに眉を八の字にした。なんで馬鹿正直に受け取るかな。


「ごめんね、あかりちゃんのこと忘れてて。許して」


泣きそうな顔ーーいやもう泣いてるーーでベッドに倒れ込み、私を押し倒した。「夏美はただの幼馴染だよ。そんな関係になるわけないよ」酒臭い息で何度もキスをして、いつもよりも激しい動作で私の身体をまさぐった。そんなことで許されると思われていることが悔しい。快楽に流されてしまう自分自身も、悔しい。


「今日は二人で会社休もう。ずっと一緒にいよう」


もう、夏美と圭太を会わせないようにしなきゃ。




それからしばらくは順調だった。私は予定通りに夏美へ仕事の引き継ぎを済ませて寿退社し、結婚式の準備や新居探しのために動き出した。
夜の生活も、しばらくは良かった。圭太は情熱的で、素晴らしい快楽を何度も与えてくれた。私の体を指や舌で愛撫し、全身が溶けてしまいそうなほど感じさせてくれた。




だが、寿退社をして三ヶ月程経ったある日、私宛に一通の封筒が届いた。



少し大きめの封筒で、なにやら分厚い。適度な重さがある。
切手や消印の類もなく、住所の記入も無いため、ポストに直接投函したのだろう。不審に思いながらも、居間の椅子に座ってそれを開けた。

中には一枚一枚が厚い紙がぎっしり入っており、なかなか引っ張り出せないほどだった。簡単には無理そうなので、封筒を破って取り出した。


「なにこれ........」


今まで安心しきってはいなかった。心のどこかで、我々の措置が十分ではないと感じていた。いつか、こんな事を知らされる日が来ると思っていたのだ。

それらは全て、写真だった。一番上のものを手に取る。
どこか、会社の中のようだった。男と女が写っている。薄暗い階段の踊り場で、壁に背を付けた男性に女性が寄り添っている。
女性は男性の腕の中で目を閉じて恍惚の表情を浮かべていた。理由はすぐにわかった。男性の腕は彼女の体を左手で抱き寄せ、そして右手はスカートの中をまさぐっている。

きっと、いつも私にしているのと同じように、彼女のことも快楽に導いているのだろう。
写真の中で、圭太は私に見せるのと同じように、優しげでせつなそうな、興奮した顔をしている。


他の写真も全て同じようなものだった。しかし、圭太と抱き合っている女性はそれぞれ違っていた。
オフィスで、私達の家の近所で、ホテルの前で撮られた写真ばかりだ。それどころか、窓の外から私達の家のリビングを撮ったものも幾つかある。しかも写真の中で圭太とイチャついてるのは私じゃないのだ。

この家の、この居間の、今まさに私が座っている椅子の上で、知らない女が圭太の膝の上で服を脱いでいるのだ。


迂闊だった。圭太の親の会社とはいえ、監視の目はそこまで厳しい訳では無かったのだ。退勤も私より早いので、私が帰宅するまでは自由がきく。

やっぱりだ。あの性欲の塊のような男が、私一人だけで満足していたわけが無い。
写真一枚一枚にご丁寧に日付が書かれているので分かるが、これはここ一年やそこらで撮ったものでは無い。一番古いもので11年前だ。
ということは、圭太は親の前で私との交際を宣言したあの頃から、全く己を改めることなく女性との火遊びを続けていたのだ。何故気付かなかったのだろう。


僅かに震える指で、写真をめくっていく。不思議と冷静だった。今まで、私は圭太のことを完全に信用しきれなかった。どこか嘘くさい笑顔だと思っていた。
行動を監視して我慢させているはずなのに、ストレスを溜めている様子もなく呑気に構えていたのは、上手いこと監視を避けて女遊びをしていたからか。ほかの女をまさぐったその指で、私のことも撫で回していたのだ。



圭太はなんにも変わっちゃいなかった。
優しい振りをした悪魔だ。いつも大人しく人に従い、愛している振りをしながらも平気で浮気をする。こちらが怒っても、気弱な被害者然とした態度で泣いて縋ってくる。そのくせ、裏ではこんな、ひどい裏切りをしている。



だんだんと日が暮れてきた。昼間だったので部屋の照明を点けていなかったが、時間の経過で視界がどんどん暗くなる。
そんなことはどうでも良かった。体の中で、赤黒いマグマのような物がのたうち回っているのだ。毛穴という毛穴から血が噴き出さんばかりの怒りがあったが、頭の中は冷えている。


色々と、もう限界が来ていたのだ。







9



「ただいま〜」


数時間後、圭太が帰宅した。呑気な声で玄関から呼び掛けている。
「あかりちゃん、いないの?」足音と共に居間に来て、明かりのスイッチを押す音がした。


「........おかえり」

「えっ........と、どうしたの?」


振り返ると、戸惑い顔で立ちすくむ圭太が居た。
怒りと悲しみでどうにかなりそうな気分だったが、不思議と私の口元は笑顔になっていく。

手元にある写真を一枚一枚、指で摘んで彼に見せる。そして床に落とす。摘んで見せて、床に落とす。その度に、圭太の表情が凍りついていく。
初めて見る表情をしていた。追い詰められた時はいつも悲しそうな顔で俯いたり涙を流す彼だが、この時はイタズラがバレた子供のような、気まずそうな表情だった。どうやって切り抜けよう、どんな言い訳をしよう、そんなことを考えてる顔だ。


「あらあら、ショックだわ」


最後の一枚を目の高さに持ち上げた時、気付いてそんなことを言った。最後の一枚の写真には、彼と夏美が写っていた。親密そうに寄り添い、ホテルに入っていく場面。


そうか、やっぱりあの日、夏美としていたんだ........。


全てがどうでもいいと思えた。圭太に対して抱いていた愛情は何処へやら、今はただただ、消えて欲しかった。しかし圭太は消えず、目の前でゆっくりと膝をついて土下座をした。
「ごめんなさい」上擦った声でそう言って、顔を上げて私を見上げた。


「あかりちゃんが好きなんだ、愛してる。でも、どうしても毎回断れなくて、それに........どうしても我慢できなくて、したくなるんだ」

「へぇ、それって自分の意志とは関係ないの?体が勝手に求める感じ?」


なんだか悔しそうに、目を閉じて苦々しい表情で正座した膝の上で拳を握る圭太。「自分でも病気だと思う」自覚があるなら大したもんだ。


「女の人と抱き合ったり、キスしてるときは楽しくて仕方ないけど、終わったあとは毎回あかりちゃんのことを思い出すんだ。またやっちゃった、って。あかりちゃんのためにもっと誠実にならなきゃって」

「誠実」

「........うん」

「どこが?」



私は正面に向き直った。足を組んで、椅子にもたれかかる。そこに圭太が這ってきて、腕に縋ってきた。「暑苦しいから離して」そう言ってもめげない。


「夏美ちゃんとのことがあってから、僕本当に反省したんだ。もうスマホには夏美ちゃんや他の女の人の連絡先はないよ、全部消したから。
会社で会う人にもちゃんと理由を言って、二度と寝ないって全員に言って関係を切った。
信じて、もう二度とあかりちゃんを苦しめない。これからは君だけを見る」

「理由って?何話したの?」

「え........?あ、あかりちゃんと結婚するし、あかりちゃんのことが大事だから、もう二度と浮気しないって。だから関係を終わらせるって」

「あー、なるほど」


馬鹿だねぇ。そのせいに決まってんじゃん。馬鹿正直にそんなこと話して、すんなり受け入れる女がどこにいる。きっと犯人は前々から準備していたのだ。圭太に張り付いて写真を撮りながら、機会を待っていた。圭太と結婚する相手である、この私をどん底に突き落とすために。

まぁ、もう、........そんなことはどうでもいい。


「とりあえず、出ていってくれる?元々ここは私が契約して住んでる家だからね。君は出ていって、そこら辺で野垂れ死んでくれ」


正面をぼんやり見たまま、抑揚のない口調で言った。悔しさも怒りも、悲しさも通り越して、今は無だ。なんにもない。
頭の中では、延々とひび割れた大地の広がる荒野を走り続ける映像が流れていた。草も生えない。雨も降らない。厳しい大地だ。


「そんな........。いやだ、いやだよ........あかりちゃん........」


また、いつものように圭太は泣き出した。私の腰に抱きつき、泣き声を上げながら嫌だ嫌だと叫んだ。「ねぇ、お願い、お願い........。もうしないから........絶対しないから........」情けなく口走りながら、私の体を強引に椅子から下ろして、抱きしめて何度もキスをしてくる。
私は反応しなかった。出来なかった。


「夏美との写真、裏を見てみなよ」


夏美と圭太がホテルに入っていく写真にだけ、裏にメッセージが書いてあったのだ。そのメッセージを読んで、私の心は一気に崩れた。




続く

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