占いをめぐって①いつも異界が隣にあった

占いやサイキック、まじないの類がごく身近な環境で育ちました。
非科学的、といえば非科学的です。

家の庭には屋敷神であるお稲荷さんが鎮座しており、傍らにはご神木のように泰山木の古木がそそり立っていました。
その神様の言葉を降ろす方がいて、母に連れられてお宅にしばしば伺っていました。その方は医学博士の奥様で、子供心にその品の良さが印象に残っています。芳香の漂う和室には神床があり、そこで神降ろしが始まる光景は、今思えば不思議な世界なのですが、何の抵抗もなく受け入れ、見えない世界は私にとって、ごく当たり前に現実と並行していました。

幼稚園はプロテスタントの教会でしたが、そこで教えられたイエス様という存在も同様で、お稲荷さんとはまた違って人間の姿をしている安心感もあり、身近でした。イエス様は大好きで、いつも一方的に話しかけていました。

幼い頃の異世界はもうひとつ。
父が会社を経営しており、四柱推命の占い師からたびたびアドバイスをいただいていました。その方は耳が不自由で時々サイキックな事を言い、それが的中して何度か驚きました。そんなサイキック能力は別としても、世の中は大きな哲理によって動いている、と感じてきたのはこの方の影響だと思います。長じて「読んでごらんなさい」と紹介されたのはコリンウィルソンの著作『オカルト』でしたし、日本の宗教の系譜をざっくりと教えていただきもしました。

高度成長期に入る少し前、モノクロで「ミステリーゾーン」や「世にも不思議な物語」、「アウターリミッツ」などのアメリカのファンタジー番組が放映されており、ほぼ欠かさず見ていました。そのほかのホラー系番組も時々放映されましたが、今ほど勉強が強いられる時代ではなかったので、ファンタジーやホラーにどっぷりと浸りこんで育ちました。家には使用人が住み込んでいましたが、彼らもしばしば輪になって不思議な話、怪談を語り、母と私もその輪の中にいました。当時は今ほどエンタテインメントが少なかったので、一種のリクレーションだったのかもしれません。
しかし夜、布団に入るとそれらを思い出し、妄想が妄想を呼び天井や箪笥のまわり、物陰に何かの気配を感じて怯えました。恐くてなかなか眠れず、ちょっとしたシミがどんどん拡大していき、何かの形をとっていくのを息を凝らして見つめていました。こうして恐怖で固まって疲れ果て、やっと眠れるという夜が思春期まで続きました。

異界について書き始めると、いろいろな方向へ走ります。とりあえずはこのあたりで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?