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異界へようこそー金魚鉢

入り口の赤い日よけに白字で『ポアソン・ダブリル』とある。
フランス語で、4月の魚。英語ならエイプリルフールのことだ。
T字路の角にあるそのカフェは、レンガ造りで蔦が絡まり、シックな雰囲気がある。
窓が多いが、中は薄暗いので店の外からはよく見えない。
外観は気に入ったが、中はどんな雰囲気の店なのだろう。
好奇心にかられて入ってみた。

店内は案外広くて、白髪混じりのマスターが丁寧な手つきで、コーヒーを淹れていた。痩せた初老の男で、愛想はない。客との距離を心得ている、といった風だ。
あまり客がおらず、幸い窓際の席が空いていたので腰を下ろす。
店の中が暗い分だけ外が明るくて、通行人ばかりでなく、向かいの花屋や雑貨屋、そしてT字路の坂道などの景色が丸見えだ。
まるで金魚鉢だな、と僕は心の中で呟いた。

ウエイターにブラジルをオーダーし、運んできたコーヒーはといえばフレンチローストで苦みにニュアンスがある。ロイヤルコペンハーゲン社製のカップは、装飾の甘さが過剰にならずカップの厚みがちょうどいい。幸い家から近いし、ここでコーヒーを飲みながら仕事をする合間に、道行く街の人々を観察するのも悪くない、と思った。
その日以来、特に用事がなければ、店にタブレットを持ち込んで翻訳の仕事をするようになった。カフェには少ないけれど常連客が居て、カウンターから時折マスターとの話声が聞こえてくる。しかし、それほど気にならない。その輪に入れない雰囲気があるのも好都合ではある。

たびたび行くようになって1か月くらい経ってからのことだ。
年配の女性が入ってきた。
「お久しぶりでございます、マダム」
マスターが、そう恭しく挨拶をするところを見ると古くからの客なのだろう。その女性は深いボルドー色のクロッシェを被り、黒いレースの手袋をしていた。
着ている服が少々時代がかっており、それほど高価ではないのかもしれないが、いかにも品がいい。全体に黒っぽい色をまとってはいるが、銀色の髪がよく映えて色白の整った顔立ちを引き立てている。年齢は僕の祖母くらいだろうか。相当な高齢ではある。口紅の赤が、気にならない程度の華やかさを添えていた。
その後、彼女をちょくちょく見かけるようになり、僕は密かに「伯爵夫人」と名付けた。

伯爵夫人はどうやら毎週金曜日に現れるらしい。そして窓際、僕の一つ向こうのテーブルが決まった席らしかった。マスターも心得ていて、金曜日にはそこを予約席の札を置いていた。
マスターやウェイターが、敬意と温かい配慮をもって迎えるのが反映してか、彼女が入ってきた瞬間に店の雰囲気が一気に格調高くなる。

通い始めて2か月ほど経ったころだろうか。大学助手の友人からアルバイトに、と頼まれたフランス語の技術書と格闘していると、伯爵夫人のほうから声をかけてきた。
小柄で華奢な体つきから出た声は意外と力強く、しかし枯れていた。
「工学の専門書を読んでいらっしゃるなんて、素晴らしいですね。翻訳のお仕事をなさっているのかしら」
「歯車の力学的な作用の本です。友人から頼まれまして。
失礼ですが、フランス語がおわかりになるのですか?」
正直な話、少し驚いた。タイトルを見ればフランス語と気づくかもしれないが、工学系の本だとわかる人はそれほど多くはいないだろう。
それがきっかけで話を交わすようになり、いつの間にか窓際の席が僕たちの予約席となった。

彼女は第二次世界大戦前に、パリに居たことがあるらしい。
第二次世界大戦前のパリといえば、バロンSと呼ばれた日本人が建てた日本館が知られている、と話を向けると
「バロンSのサロンには、時々うかがいましたわ。奥様は美しい方でしたが、残念ながらご病気の療養のために日本に帰られましたのよ」
そのサロンには日本人の画家や作家が集り、欧米の文化人と闊達に芸術論を交わし、その一方で国際社会における日本の立ち位置や、自分たちの近い将来に危機感を持っていたらしい。そんな話をしてくれたが、さらには少々顔を上気させて、そこで出会った学生に淡い恋心を抱いた話もしてくれた。

バロンSの事は祖父から聞いた話だった。祖父がパリへ留学しており、僕は祖父思い出話がきっかけで影響され、大学時代にはフランス文学を専攻したのだった。が、伯爵夫人の語るパリの話に、僕は自分のプライベートな話を控えて耳を傾けた。そう意識しなくても、伯爵夫人の話には、第二次世界大戦前のパリの香りが漂い、それが祖父の語ってくれた思い出と重なるので、思わず聞き入り感動のあまり、伯爵夫人の皺くちゃの手に触れたいと思う事もしばしばしただった。

彼女の話はタイムマシーンのようで、僕はその世界に紛れ込んでいるような気持ちになっていった。まるで呼応するかのように祖父の記憶が滲み出し、昭和初期のパリの記憶に入っていくような感覚。そして話が佳境に入ると、何ともいえない芳香が軽く漂った。
香りの中でいつの間にか僕は、伯爵夫人の顔の皺を引き算するようになった。
軽く斜視の入った目の周辺、口元、頬…。
うん、悪くない。というか、若い頃は相当美しかったに違いない。
目を細めて顔を眺めている僕に彼女は
「いけませんわ、そんなにジロジロ見たら」
と眉を少しひそめて、笑いながら顔を隠した。
最初のうちこそ年齢の引き算をしたが、そのうちに話を聞かせてくれる時は、差し引きしなくても若い頃の面影が戻っているように思えた。

何回か聞くうちに、やがて思い出話の舞台はパリから上海へと移った。
父上が外交官だった関係で、赴任先がパリから上海へと移ったためだったが、戦争が始まっていなかったので、父上の駐在する上海へ遊びに行ったらしい。
ここで第二次世界大戦の開戦を控えていた上海の状況を簡単に説明しよう。
日本が、アジアを植民地支配している西欧列強に並ぼうと、軍力を強くして強引に中国に進出する一方で、八紘一宇という名のもとに東南アジアへと覇権を伸ばそうとした時代である。
当時の上海は国際的な都市として、世界へ開かれたハブの役割を果たした街だったことも忘れてはならないだろう。

伯爵夫人はパリで出会った留学生と、上海で再会した話を始めた。
フランス租界でお気に入りのカフェに立ち寄ったときに、彼が窓際に座っていることにすぐ気づいたという。
「そんな偶然てあるかしら、と思ったのだけど、彼のまとっていた雰囲気がそこに漂っていたので、すぐわかったの。
その店はパイが美味しいことで有名で、もちろんコーヒーも美味しかったのだけれど。その日以来、私はダンスレッスンにかこつけて、毎週1回はそこで会うことを決めましたのよ」
とはいえ、太平洋戦争以前は租界が置かれ、外国人による犯罪あり麻薬ありの魔都と、おぞましい名前をつけられた上海である。たとえ習い事といえど、限られた時間のうち専用の自動車で送り迎えされる逢瀬は、おそらくかなり短時間であったに違いない。
「あのとき、私たちは決まってコーヒーはブラジル、そしてケーキはパリブレストを頼んだものだったわ。まるで合言葉のように。
あなた、パリブレストを召し上がったことはあって?この店にもあるはずなので、頼みましょうよ」
登場したのはリング状態のシュークリームで、中にはカスタードと生クリームが詰まっている。外側には粉砂糖が振りかけられているとはいえ、イチゴの赤い色が効いていて特別感があった。なんでも19世紀にパリとフランスの地方都市ブレスト間の自転車レースを記念して考案されたケーキらしい。
ケーキは生クリームとカスタードがちょうどいいバランスで、そこにパイ生地のかすかな塩味、イチゴの酸味と香りが溶け合って、素晴らしい味わいだった。コーヒーの香りとケーキの味に少し酩酊したような状態になり、僕はまるで、上海のそのカフェにいるような気分になった。
伯爵夫人が完全に若い娘に見える。まるで魔法にかかったように。
ふと気がついたら僕は彼女の手を握って瞳をのぞき込んでいた。


「ねぇ、どうしてあなたはあの時来てくださらなかったの?」
唐突なその言葉に、甘くマジカルな時間が破られた。僕は驚いて我に返った。
ここは上海のカフェでなく東京の小さな街のカフェなのだ。
そして目の前には泣いている老女がいる。
驚いて手を強く握ってみたものの、ハンカチを取り出す彼女にふりほど解かれた。
店の中の人々は知らぬ顔をしているものの、息を詰めて僕たちの様子をうかがっているのが痛いほどわかった。
伯爵夫人は涙を拭き、水を飲んだら落ち着いたらしく
「少々疲れました。ごめんなさい、今日はこれで…」
と席を立った。
気まずいので、店の空気が戻り始めたころを見計らって、僕も店を出た。

その後、相変わらず『ポアソン・ダブリル』に通う日が続いた。
しかしその日から、伯爵夫人は姿を見せることがなかった。

最初のマスターの伯爵夫人への口ぶりから察するに、そんなに頻繁に訪れる客ではなかったのかもしれない。
そうこうするうちに、翻訳のアルバイトも一段落したので以前ほど、というかほとんど店に行かなくなった。

僕の身の上も若干変わった。
祖母が亡くなったのだ。父親がとうに亡くなっている僕の身の上を案じた祖母は、遺産として小さな家を残してくれた。
ありがたい。フリーランスの僕にとっては保険があるようなものだ。売却するのはさておき、とりあえず家の主がいなくなった家の中を整理することにした。
作業は数日かかるだろうが、勤め人でも学生でもない半端な立場なので、時間のやりくりは何とでもなる。
暇を見計らって、家を片付けていたある日の事だ。
祖父の書斎の机に写真立てがあり、パリ留学時代の祖父がそこにいた。
僕に面差しが似ているかもしれない。
そう思って手にとったはずみに、手が滑って写真立てが床に落ち額がバラバラになってしまった。
ガラスが割れなくてよかった、と安堵しながら写真を拾おうとしたとき、祖父の写真の下に女性の写真があることに気がついた。
それは祖母ではない女性だった。
どこかで見たような…。
次の瞬間軽い衝撃が走った。伯爵夫人に似ている、いや、伯爵夫人の若い頃の写真だったのだ。
それで伯爵夫人の話を聴いているうちに、まるで魔法にかかったようにその世界に引き込まれていったこと、そして伯爵夫人の不可解な言葉と涙の理由がわかったと思った。

数か月ぶりに『ポアソン・ダルブル』を訪ね、窓際の例の席に腰をおろすと、マスターがやってきた。
「お久しぶりでございます」
相変わらず愛想がない。
そして
「Kさまからお預かりしています」
と少し大ぶりの封筒を差し出した。
伯爵夫人はKというのか。
そう思いながら封筒を開けると、かすかに黴の匂いを伴った伯爵夫人の香りが小さく薫った。
中には少々黄ばんだ白い麻のハンカチが入っており、ひろげると隅にM・Wと、やはり白い糸で刺繍があった。
それは祖父のイニシャルだった。

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