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スタァライトパラレルワールド考察:選択と世界の分岐

月嶹ぽらる
https://twitter.com/tsukipola


1.考察目的

 「ループ」や「パラレルワールド」といったSF 的要素を取り入れた(または、組み込んだ)作品は、その媒体、ジャンルを問わず存在する(*1)。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、スタァライト)においても大場ななの再演にみられる時間軸のループや、SF用語を元とした「wi(l)d-screen baroque」(以下、WSB)などにそのような要素がみられる(*2)。本論文では、パラレルワールドという観点からTVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、TV版)、『劇場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』(以下、ロロロ)、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、劇ス)の3作品に跨る世界線の分布を検討していくこととする。これによって「選ばなかった過去」とはどのようなものであったか、そして「選んだ結果」どのような出来事が起きたのかを整理していく。また、その過程でWSB という演目に含まれる役割を新たな観点からも解釈する。


*1 ループを扱う作品としては『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」や『魔法少女まどか☆マギカ』などが代表例に挙げられる。パラレルワールドを扱う作品としては『STEINS;GATE』や『ドラえもん』の「もしもボックス」などが代表例に挙げられる。

*2 イギリスのSF作家・SF評論家のブライアン・オールディスが考案した造語「Wide-screen baroque」が元ネタと考えられている。

2.パラレルワールド

 本題に入る前に、パラレルワールドをどのように定義するかを述べておきたい。本論文で考察するパラレルワールドは、量子力学という学問が根底にある。

 パラレルワールドといえば、幾多にも重なる選択によって世界が枝分かれするように存在しているという考え方である。現実には、世界が複数個あるかどうかを知ることはできないため、「あるかもしれない」といった曖昧な存在で位置づけられる。そして、たとえ曖昧であったとしても、「別世界が存在している」という前提で考えるのがパラレルワールドである。このような考え方は量子力学の「多世界解釈」という考え方にみてとれる。例えば、1秒後に50%の確率で割れるシャボン玉があるとする。このシャボン玉を、自分には見えない壁の向こう側に作ったとして、1秒後そのシャボン玉が今どうなっているかを予想する(*3)。確率は50%であるため、割れていない可能性も割れている可能性も存在してしまい、1つに決めることは難しい。観測するまでどちらが正しいか分からない状態である。このような状態を量子力学ではシャボン玉が割れない可能性も、シャボン玉が割れる可能性も同時に存在している(つまり、重なり合って存在している)と解釈するようにした。「多世界解釈」はこのような状態の中で、シャボン玉が割れる世界とシャボン玉が割れない世界の分岐が起きて、2つの世界がどこかで同時に存在すると考えるのである(*4)。もし仮に壁の向こうを覗いてシャボン玉が割れていなければ、「シャボン玉が割れない世界」に分岐していたと解釈できる。逆に割れていた場合、「シャボン玉が割れた世界」に分岐していたと解釈できる。重なり合いは観測できないため、観測した時には既に分岐は終えてしまっているのである。

 本論文では作中で特に大きな転換を迎える出来事を「トリガー」と称し、そこを境に世界が分岐していくと解釈してパラレルワールドについて整理していく。


*3 量子力学の有名な思考実験「シュレディンガーの猫」をより分かりやすくした例である。本家は生きた猫が入った箱に、時間確率で猫を殺す仕掛けを入れ、特定時間が経過した後に猫が生きているかどうかを問う思考実験である。後述する「コペンハーゲン解釈」の矛盾を説明するために提唱された思考実験だが、しばしば量子力学の説明に用いられる。

*4 可能性の数だけ世界が枝分かれしているという考え方は量子力学の全てにおいて用いられている考え方ではない。例えば1秒後のシャボン玉が割れた場合、「シャボン玉が割れる可能性と割れない可能性は“割れる可能性に収束した”」とする考え方もある。このような考え方の代表に量子力学の「コペンハーゲン解釈」がある。本論文が密かに下敷きとしている『STEINS;GATE』は「コペンハーゲン解釈」に近い考え方であり、“世界線”という言葉を用いて世界の移動を描いている。本論文が行う考察では「多世界解釈」を採用しているが「コペンハーゲン解釈」でも矛盾しないと考えている。「多世界解釈」を採用した理由はパラレルワールドの考え方が広く浸透し、説明が安易な点である。また、“世界線”という用語を用いない理由も「多世界解釈」に適した用語ではないと判断したためである。「選ばなかった過去たち」が舞台少女たちの糧として燃えるのならば、可能性が収束する「コペンハーゲン解釈」の方が適切ではないかとも考えている 。

3.仮説

 仮説としてTV版、ロロロ、劇スを通して少なくとも5つの世界に大別できることを提唱する。本論文ではそれぞれ発生時間の古い順に、Ⅰ世界、Ⅱ-α世界、Ⅱ-β世界、Ⅲ世界、Ⅳ世界と呼称する。パラレルワールド同士は原則として分岐によってローマ数字の大きい方向へと変動することとする。ループが起きた際はこの限りではない。それぞれの世界について次章から順に論じていく。

4.Ⅰ世界/普通の女の子

 1つ目の世界は作中で愛城華恋と神楽ひかりの幼少期として描かれている。Ⅰ世界は「舞台少女が生まれなかった世界」であり、「運命の約束」をトリガーにⅡ世界が発生し分岐する世界である。

 この世界は物語の始まりの世界として存在する。愛城華恋と神楽ひかりが「普通の女の子」だった世界である。普通の女の子だった彼女たちが「舞台少女」になるキッカケが「運命の約束」である。厳密には「神楽ひかりが愛城華恋を舞台『スタァライト』に誘ったこと」が世界の分岐点であると考える。この時点での愛城華恋は引っ込み思案で周りに流されるように流行りものを遊んでおり(*5)、神楽ひかりは習い事で演劇をしてはいるものの、まだ決意も覚悟もない状態である。舞台『スタァライト』を観劇したことにより、愛城華恋は舞台に魅入られ、神楽ひかりは愛城華恋のキラめきに魅入られた。この連鎖反応が2人の将来を「輝くスタァに、2人で」と運命付けたのである。「普通の女の子」ではいられなくなったことで、世界はⅠ世界からⅡ世界へと移り変わっていく。

 Ⅱ世界上の愛城華恋は舞台女優を目指す一人の少女として存在している。そんな愛城華恋が同級生達から普通ではない特別な存在として認識されていることはドーナツ屋のシーンからも分かる。その同級生の内の1人は「愛城華恋にも人並みの悩みがあり、同じ同級生であるのでは」とその場にいた同級生たちに対して投げかけた。この問いは“舞台少女も普通の女の子である”ということを示唆すると同時に、“普通”と“特別”の存在を分けた要因は果たして何であるのかという疑問も孕んでいる。Ⅰ世界の分岐点はまさにこの“普通”と“特別”の存在を分けた要因に対する答えともいえる。


*5 公園にて同級生からキラミラのコーデを教えられて言われるがままになっている様子や、以前はマキちゃんにキラミラのカードを強請っていた点などが該当する。

5.Ⅱ-α世界/ななの再演

 2つ目の世界は作中、大場ななの再演として描かれている。Ⅱ-α世界は「大場ななが再演をする世界。かつ、神楽ひかりが聖翔音楽学園に現れなかった世界」である。そして「神楽ひかりが聖翔音楽学園に転校した」ことがトリガーとなってⅡ-β世界が発生し分岐する世界である。

 この世界は再演によって繰り返されていること、繰り返しの度に微小な世界分岐が発生していると考えられることより、Ⅱ-α世界群とも呼称できる(*6)。この世界が大場ななの再演として存在し得たのは、冒頭で述べた通り「神楽ひかりが聖翔音楽学園に転校しなかった」ためである。Ⅱ-α世界ではトップスタァのティアラは神楽ひかりを除く8人の舞台少女たちで争われ、そのことごとくを大場ななが手にしてきた。大場ななの手からティアラが零れ落ちた要因は愛城華恋と神楽ひかりの2人にある。離れ離れになった2人は同じ地で再び巡り会うことで、お互いへの執着を強めた、もしくは思い出した。そのキラめきを前に大場ななは敗北したといっていい。「輝くスタァに、2人で」を原点とする想いの強さである。

 この世界の決定的な分岐点として、神楽ひかりが参加したロンドンのオーディションを挙げる。このオーディションに敗北しキラめきを奪われたことによって、神楽ひかりは聖翔音楽学園のオーディションに参加しなければいけない理由ができたからである。もしロンドンのオーディションで勝利していたら、もし愛城華恋との約束を忘れたままだったら――。神楽ひかりは聖翔音楽学園に転校して来なかった可能性が極めて高い。これはⅡ-α世界が続く可能性は神楽ひかりに秘められていたとも言い換えることができる。再演を起こしていたのは大場ななであるにも拘わらず、彼女が関与できないロンドンのオーディションで大きな変化が生じた原因は、バタフライエフェクト(*7)であると考えるより他ない。前述したように大場ななは再演の度に微小な変化をもたらしている。この小さな変化が繰り返されたことによって、大きな変化として神楽ひかりの転校を引き起こしたのである。大場ななは為す術なく自らの再演を終えることとなる。


*6 Ⅱ-α世界の説明が複雑になる理由は、その全てが「大場ななの再演」という結果に帰結してしまうため、別の世界として捉えにくい点にある。しかし、大場ななが「より良い第99回聖翔祭」を目指して、再演を繰り返すたびに自らの行動を少しずつ変化させていることがTV版第9話で明らかになっていることから、再演によって生じた複数の世界には微小な差があることが分かる。したがって完全に同一な世界ではないため、これらは別の世界といえる。これらの再演によって生じた複数の世界の間には、作中で重要になるような大きな差異は見られないこと、大場ななの再演という結果に収束しているという点から、本論文ではⅡ-α世界またはⅡ-α世界群としてほぼ同名のように扱うこととする。

*7 (引用)

《butterfly effect》ある系の変化が初期条件に極めて鋭敏に依存する場合に見られる、予測不可能な挙動のたとえ。もとは、米国の気象学者ローレンツが1972年に行った「ブラジルでの蝶のはばたきがテキサスに竜巻を引き起こすか」という講演の演題に由来する。大気の対流が決定論的な微分方程式に従うにもかかわらず、数値計算の精度をいくら向上させても事実上正確に予測できないカオスの性質をもつことを象徴的に表現したものとして知られる。

(デジタル大辞泉|小学館)

6.Ⅱ-β世界/集う9人の舞台少女

 3つ目の世界はTV版第1話から第11話、ロロロシーン1(RONDO RONDO RONDO 1)からシーン6の途中までに描かれている。「舞台少女がオーディションに挑み、神楽ひかりが勝利して幕を閉じた世界」、Ⅱ-β世界である。そして「愛城華恋が結末の続きをはじめた」ことをトリガーとしてⅢ世界への分岐が発生する。

 量子力学において「観た」という行為が与える影響は大きい。「観た」ことによってそれまで重なり合って存在していた可能性が1つに決定されていくためだ。前例に出したシャボン玉でいうと、割れたかどうかが決定された状態になるということである。この行為は不可逆なため、一度「シャボン玉が割れた」と観測した場合、「シャボン玉が割れなかった」という状態には決して戻れない。同様に、神楽ひかりの勝利として結果が確定したオーディションは、結果を覆すことができないのである。決められた結果を覆すことが不可能だとしても、未来に起こり得る可能性についてはまだ重なり合った状態にある。ここで「星罪のレヴュー」における愛城華恋の行動に着目したい。

「塔から落ちたけど、立ち上がったフローラもいたはず。
クレールに逢うために」

 TV版内で唯一『戯曲 スタァライト』の「違う結末」に対して言及が行われたシーンである。『戯曲 スタァライト』は「フローラとクレールは永遠に離れ離れになる」という終わり方に決まっている。しかしこの愛城華恋のセリフには「別の世界」に対する言及と受け取れるニュアンスが含まれている。そして、神楽ひかりによって導かれた「塔に幽閉され、永遠に運命の舞台を繰り返す」というオーディションの結末は、この後の愛城華恋の行動によって「幽閉されたクレールを取り戻す」という結末に書き換えられた。これは別の世界について言及できた愛城華恋だからこそ成すことができた結末といえる。

7.Ⅲ世界/新しい結末

 4つ目の世界はTV版の第12話、ロロロのシーン6終盤からシーン7までの短い間に描かれている。「舞台少女の死が明示された世界」であり、WSBによってⅣ世界が発生し分岐する世界である。Ⅲ世界は分岐後の物語がTV版で描かれることがなかったため、この時点では舞台少女たちにはいくつもの可能性が存在していたといえる。しかし、いずれの可能性をたどっても、地下舞台にいた大場ななによって未来に訪れる「舞台少女の死」は観測されることとなる。前述したように、量子力学的な観点から考えると、一度観測して確定した結果は変えることができない。前章で愛城華恋が結末の書き換えを行えたのは、未来の可能性が重なり合っていた(誰も予測不可能)ためである。したがって、未来であっても「死を観測した」ということは、この世界の行き先が「舞台少女の死」に確定したことを意味する。ロロロの公開によってⅢ世界は舞台少女が死を迎える世界であると決定付けられてしまったのである。

 ここで一度、これまで述べてきた世界の内、舞台少女が生まれて以降の世界(Ⅱ-α世界、Ⅱ-β世界、Ⅲ世界)を整理しよう。1つは大場ななの再演によって未来が閉ざされたⅡ-α世界。次に神楽ひかりが運命の舞台に幽閉され愛城華恋の夢が潰えたⅡ-β世界。そして死という形で未来が閉ざされたⅢ世界である。これら3つの世界が向かう未来を考えると「舞台少女に明るい未来はない」という事実が導き出されてしまう。これらの世界を一旦「未来が暗い世界群」と呼称する。未来が暗い世界群はあくまで帰納的に導かれた結論である。「舞台少女に明るい未来はない」という事実自体は観測していないため、明るい未来も暗い未来も重なり合って存在し続けているといえる。しかし、これまで観測してきた世界に明るい未来が存在しないこともまた事実ではある。したがって、明るい未来を観測するためにはこれまでと異なるアプローチを行う必要があることが示唆されている。その異なるアプローチとして登場するのがWSBである。WSBの狙いは「常に目標を持ち続け、前に進み続けること」の意識付けであったと考えている。このWSBが担った役割について、以下に検討する。

8.WSB の量子力学的解釈

 これまで、世界はトリガーを起点としていくつにも枝分かれするように分岐していると話した。これはあくまで可能性が重なり合っているからこそ分岐できるのである。未来が確定してしまっている場合、可能性は重なる余地もなく「舞台少女の死」しかあり得ない。世界は分岐のしようがないのである。しかし、劇スの結末は明るい未来であったといえる。分岐のしようがなかった世界にトリガーをもたらしたのがWSBである。

 遅かれ早かれ逃れることのできない「舞台少女の死」という観測結果に対して、大場ななが導いたトリガーは「舞台少女の疑似的な死を演出すること」である。確定された「舞台少女の死」を避けることはできない。しかしそれを乗り越えない限り舞台少女たちの未来は暗いまま変わることはない。ならば確定した事実を変えずに結果を変えればいいのである。「舞台少女はたしかに死んだ。しかし生き返ったのである」と「舞台少女の死」さえも筋書きの中に含めてしまうことがWSBにおいて最も重要な考え方になる(*8)。ロロロ終盤で大場ななが見た「血塗れの舞台少女たち」を演出することができれば、本当に舞台少女たちが死ぬことはなく、その後の未来を続けることができる。このような演出は主に「皆殺しのレヴュー」内で描かれていた。舞台装置から噴射する血を模した液体や、ブーツいっぱいに溜まる血糊、舞台少女7人の死体が疑似的な演出に該当する。また皆殺しのレヴューで演出されなかった2人について、愛城華恋は「最後のセリフ」直前で死の演技を行っている(※演技かどうかは諸説あり)。そして神楽ひかりはもとより「死せる舞台少女」である。舞台少女9人の死はスタァライト内で以上のように演出されたことによって、実質的な死を回避することに成功している。確定した事実を変えずに、その後の展開を導き出すことでこれまでにない明るい未来としての新しい世界が発生し、分岐を果たしたと考えられる。


*8 このような手法には『STEINS;GATE』のTrueエンドに類似性が見られる。作中では主人公岡部倫太郎が自らの血を用いて偽装するという手法で、確定していた「牧瀬紅莉栖の死」を演出しながら、実際に牧瀬紅莉栖が死んでしまうことを回避させた。

9.Ⅳ世界/私たちはもう舞台の上

 最後の世界は劇ス「最後のセリフ」以降として描かれている。この世界の舞台少女は「私たちはもう舞台の上」であることを自覚した状態にあり、「舞台少女たちが迎えたTrueエンド」といえる。前章で検討した「確定した事実を演出して回避する」という工程を経て彼女たちの一幕が降りる。この先の世界においても新しい舞台少女・舞台女優としての可能性が重ね合わせの状態で存在し続けているはずである。しかし、その未来は今現在も観測には至っていない。観測されるのは、また続編が公開されるいつかその時だろう。したがってこの世界にはまだ検討の余地があるといえる。

10.おわりに

 スタァライト作品の世界変動を肯定することで、作品全体のストーリーラインにおける世界分布を整理した。それによってスタァライトは5つの世界に跨って描かれたことを明らかにした。また、その過程でWSBが持つ役割を量子力学の観点から改めて検討した。本論文では対象外としたアプリゲーム『少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-』(通称スタリラ)、舞台についても本論文で提示した世界分布と矛盾なく検討することができる。証拠の提示はできないが、TV版とロロロも本来は世界が少し異なっており、TV版はスタリラへ、ロロロは劇スへと繋がる世界だと考えている。さらに、舞台はもっと前の段階、愛城華恋と神楽ひかりの2人が幼少期に観た『舞台 スタァライト』の演目の差が分岐点なのではないかと考えてみたりしている。しかし、ここで論じるにはやはり余白が少ない。

参考文献

a)     『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』で大流行!最近話題の概念「ワイドスクリーンバロック」ってなに!?|草野原々|Hatena Blog|2021年06月23日

b)     RENAISSANCE GENERATION 基本レクチャー[現代宇宙論の描くパラレルワールド]|佐藤勝彦|金沢工業大学|2009年11月14日

著者コメント(2022/10/10)

 初めまして。月嶹ぽらるです。
 今回、量子力学の多世界解釈に極力基づいて考察を行ってみました。専門分野では全くないので誤った解釈でしたらご容赦ください。こっそり教えてもらえると私が喜びます。学位を賭けた論文とは違ってのびのび書くことができました。このような機会をくださったさぼてんぐさん。そして、校正を始めとした諸作業に携わった全ての方に感謝申し上げます。
 胸を刺す衝撃を浴びてからまだ9 ヶ月程(2022 年4 月現在)のようです。とにかく濃密にスタァライトされ続けた日々でした。未だに劇場公開している場所があるということも相まってか、とても9 ヶ月経ったようには思えません。初めて浴びたあの日を昨日のことのように思い出すことができます。自分がこれ程にスタァライトされるとは露知らず、この作品を観ることを決めた過去の自分へと私は最大の賛辞を送りたいです。
 この解釈が舞台創造科の皆様にとって一助になれば幸いです。ありがとうスタァライト。それではまたの機会に。

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