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海外に建てられた日本家屋が問いかけるもの

皆さんは、海外に建てられた日本家屋をご存じでしょうか?この記事では、韓国、台湾、米国など海外に建てられた日本家屋について鎌田友介さんの作品や他の論文とともに紹介します。米国では日本の町を攻撃するモデルとして日本家屋が建てられました。韓国・台湾では、日本の統治時代に多くの日本家屋が建てられ、今も残っています。

海外の日本家屋をリサーチした作品


鎌田友介さん(1984〜)は、歴史や社会の状況を反映するとともに、国家の文化やアイデンティティ形成のツールにもなる建築をテーマに美術と建築を横断する活動を続けています。2022年3月に行われた『VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─』で、これまでのリサーチを凝縮した作品《Japanese houses (Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)》を発表しました。

鎌田友介《Japanese houses (Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)》


焼夷弾の実験に用いられた日本家屋


この作品では家屋の図面が描かれています。この図面は米国で建てられた家屋のもの。しかし、この家屋には人が住むことはありませんでした。ユタ州の砂漠に、日本家屋十二棟二十四戸を建て、路地の幅も日本と同じように作りました。第二次世界対戦中、日本を攻撃するための焼夷弾の開発に使われたモデルだったのです。

この実験用家屋を設計したのは、アントニン・レーモンド(1888〜1976)。1919年に帝国ホテルの建設のため、フランク・ロイド・ライトとともに来日し、日本においても多くの建築を設計しています。関東大震災後の東京の復興にも尽力しました。これらの活動で日本の家屋に精通したことが、実験家屋の設計に活かされたと考えられます。

焼夷弾で家屋に火をつけたとしても、すぐに消火されては意味がありません。そこで、仮想の消防団まで作って、すぐには消火できないことを確認する実験まで行なっていました。

韓国に残る日本家屋


韓国や台湾には今も日本家屋が残っています。日本が統治していた時代に、日本人が住むために建てられた住居です。

慶尚北道大邱広域市は、ソウル、釜山に次ぐ韓国第三の都市と言われています。李朝時代は、行政、経済、文化の中心地でした。1910年代、駅の建設とともに日本人が移り住むようになり、繊維産業の振興などの近代化を進めていきました。

1945年、戦争が終わり日本人が去っていきました。しかし、大邱では、日本の建築を全て取り壊し新しい町を造るということにはなりませんでした。自分達の建築を建てるような余裕はなく、そのまま使うことにしたのです。そのため、当時官公舎だったところは今も官公舎、当時銀行だったところは今も銀行なのだそうです。

韓国や台湾に入植した日本人は、長期間そこに住むことを決意した人たちで、住宅として建てた家屋も非常にしっかり建てていました。そのため、高級住宅と捉えられ、韓国の大学教授や公務員などが住居としたといいます。

韓国の人が住むようになると、新しい街が生まれます。大邱は急速に発展したこともあり、語り継ぐ歴史がまとまっていないという課題が出てきました。そこで、まちかど文化市民連帯という組織ができ、街のツアーをしたり、住民からエピソードを収集したりといった活動をしています。その中で、日本家屋に住んでいた人の話も集まるようになり、大邱の来歴をとらえ返すものの一つとなっています。

台湾での日本家屋保存の活動


台北市の中にある「青田街」、日本統治時代は昭和町と呼ばれ、文教地区、住宅地区として発展しました。ここに建てられた日本家屋は現在も点在し、やはり高級住宅街になっています。

あるとき、台湾大学がここを再開発するという話が持ち上がりました。住民は最初、樹木を守りたいと署名運動などを始めました。日本家屋は低層で庭があり、環境保全に適していると考えられるようになり、家屋も含めた保存活動に発展しました。かつてここに住んでいた日本人との交流も始まり、歴史を記録することも行われています。韓国と同様、物語が蓄積してくると、文化的資産としての価値も出てくるのです。

かつて東京に建てられた多くの日本家屋は、焼夷弾によって焼かれてしまいました。一方で、韓国や台湾に建てらた家屋のいくつかは、これまでみてきたように今も生き延びている。歴史の綾を感じます。

歴史の忘却に抗う


鎌田さんは、最近のナショナリズムの台頭が、近代の歴史を忘却してきたことによるのではと考えています。そして、歴史の忘却に抗うというコンセプトで作品を制作しました。ロシアとウクライナの戦いに対する各国の姿勢は、まさに鎌田さんが指摘する通りです。彼の作品のように、多くの人に気づきを与え問いかけるものが、今、求められていると思います。

一方で、韓国・台湾で街の保存に関わっている人たちは、自分達の街の歴史や物語を残し、さらに発展させようと未来を見据えているところが素敵です。残っている日本家屋も老朽化が進んでいると思います。いずれは取り壊されてしまうかもしれません。そうなっても、韓国や台湾の人たちの物語の中で残っていってほしいものです。

世界の歪みを調律する


米国で日本家屋を設計したアントニン・レーモンドは、戦後、再び来日し、多くの建築を設計しました。その中にヤマハ銀座ビルがありました。そのとき同時にピアノも設計していて、アントニンレーモンドモデルと呼ばれています。このピアノがレーモンド邸に現存しています。

鎌田さんがレーモンド邸を訪れたとき、ピアノは長く演奏されていないため、音が外れていました。そこで調律を頼み、その様子を撮影したそうです。世界中に歪みが起きている今、調律という行為がとても大切な意味をもっているように思えます。


参考文献


松井理恵「韓国における日本式家屋保全の論理―歴史的環境の創出と地域形成―」年報社会学論集 2008 (21), 119-130, 2008

石井清輝「歴史的環境の保存活動を媒介とした「地域の公共性」の生成過程一台湾における日本式木造家屋群を対象として-」関東都市学会年報 16, 88-97, 2015

映像の世紀バタフライエフェクト 「東京 破壊と創造 関東大震災と東京大空襲」


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