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「やるか、やらないか」っていうより、「やりたいか、やりたくないか」(文学フリマあかさたな雑記『や』)

文学フリマ東京38に参加する宣伝を兼ねて"あいうえお作文"をアレンジし、"あかさたな"をタイトルの一文字目にした作文で文学フリマに絡めたり自己紹介したりしていきます。

初回の「あ」はこちらから

本を作って文学フリマに参加し始めたころ、友人たちは感心しながら繰り返し、すごいね!と言ってくれた。たいしたことじゃないよ、と返す私に友人たちは、ううん、と力強く首を振って続けた。
「普通、できないって。書くことも、ましてそれを本にするためにデータを作ったりとか、出品するとか、とてもとても、簡単にできることじゃないよ」

褒めてもらえることは素直にうれしいし、長い付き合いの友人たちだから心から思って言ってくれるのもわかった。それでも、私としてはやっぱり「たいしたことじゃない」と言いたい。

書くことができない?本当にそうだろうか。今の世の中で、一文字も文章を書かずに一日を終わらせる人は少ないんじゃないだろうか。仕事の資料、メールの連絡、SNSへの投稿、友達との会話、家族への連絡…全部文章だ。だいたいの人は知らず知らずのうちに「書く」を続けている。ちゃんと書けている。
もしかしたら脳みそのクセで文章を書けない人がいるかもしれない。だとしても、しゃべることができればマイク入力すれば文字になる。文字にこだわらなければ絵でも色塗りでも、なにかしらは作れる。

書くようなネタがない?ネタなんてなんだっていいんだ。たぶんみんな、これまで受けた教育によって、文章を書くならそこから感じるもの、心が動くもの、そういう壮大な何かしらがなくちゃいけないと考えがちなのだけれど、書かれたものから何かを見つけるのは読み手がすることだと思う。おもしろいとかおもしろくないとか、良かったとか悪かったとか、それは読み手の内側からしか起こらない。人に感情を強制することなんてできない。
ていうか、日記でも家計簿でも、もし道端に落ちてたらとりあえず読みません?それらって、人に読ませるために書いたものじゃないでしょ?でも、日記も家計簿も、人のって、読みたいでしょ?そういうことなんですよ。

そして人類みなインターネットのこの時代、本にする方法なんていくらでも調べられる。ノウハウを書いた記事も、解説している動画も、なんならここに文字を書くだけ、という状態でそのまま使えるテンプレートだってあるし、紙で書いたものを受け付けますよ、と謳っている印刷所さんを見つけるのにもそれほど苦労しない。別にコンビニでコピーしたままだっていい。書店で売られているような形にしなくちゃいけない決まりなんてない。


たぶん本づくりに限らずだと思うんだけど、今の時代、もう「やるか、やらないか」っていうより「やりたいか、やりたくないか」ってだけなのだ。「普通はできないよ」と言ってくれた友人の言葉も、突き詰めて考えたら「普通はそこまでしてやりたいと思わないよ」なのだ。

やりたくないならやらなきゃいい。そう言われたときに、やりたくないわけじゃないけど…って思うなら、やれる方法を探せばいい。ただ、それだけ。本当にそれだけ。



文学フリマ東京38で、フォトエッセイやお看取り経験談を販売します!
ポスターはこちらです!

日時:2024/5/19(日) 12:00~17:00
場所:東京モノレール流通センター駅すぐ 東京流通センター第一/第二展示場
入場料:1,000円(18歳以下は無料)
前売りチケットはこちらから購入できます

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当日はものすごい情報量でひとつひとつ見て回るのはかなり大変です。事前にwebカタログでチェックするのがオススメです。ID登録すると「気になる」ボタンを押してお買い物リストが作れます。

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twitterの人に「ブログでやれ」って言われないようにアカウント作りました。違うブログで台湾旅行や入院や手術に関してお役立ち情報書いてます。よかったら見てください。 http://www.ribbons-and-laces-and-sweet-pretty-faces.site