自分用メモ

 いま小説書いてて煮詰まってるので、気分転換に研究の話でもまとめとこうという感じでここに置いておく。

 さて、Preference, Utility, and Demandという、1971年に出版された論文集の話からしないといけない。
 この論文集はミネソタ大学で、たぶん1969年か1970年のどちらかに開かれたシンポジウムのProceedingsである。この中に、Hurwicz and Uzawa (1971)という論文(第6章)と、Hurwicz (1971)という論文(第9章)があって、この二つが現代の積分可能性理論の源流である。(ちなみにHurwiczは珍しい綴りだが、これは「ハーヴィッチ」と読む。直接の知り合いだった人々がそう呼んでいたので、おおむね間違った音ではないと思われる)
 第9章はそれまでの積分可能性理論のサマリーというべき論文で、それまでの積分可能性理論はすべてここにまとまっている。ここには、Walras, Jevons, Mengerの名前と共に、効用最大化で消費者行動を説明する理論が誕生した経緯が短く記され、その後に「自然な関心」として、需要対応が効用最大化で記述できるための条件を探るという問題が浮かんできたと書かれている。この問題を考えるのが積分可能性理論である。

 僕は最近、この記述を疑い始めた。
 Hurwicz and Uzawa (1971)の段階で、すでにその兆候はあった。この論文の序文では、積分可能性理論には"direct approach"と"indirect approach"があると書かれており、前者は需要関数から直接効用関数を導出するのに対して、後者は逆需要関数を経由すると書かれている。そして、この論文は前者の論文だと書かれているわけだが、Hurwicz (1971)自身が書いているように、そもそも積分可能性理論の歴史に"direct approach"なるものが現れたのはこのハーヴィッチ=宇沢論文が初めてである。というか、この論文はシェパードの補題を偏微分方程式と見なして解くところに特徴があるのだが、僕はシェパードの補題の現代的な証明自体がこの論文から出発していると見ている。それはもちろん大きな功績なのだが、逆に言うと、ハーヴィッチ=宇沢論文より前に"direct approach"なるものはなかった
 したがって、"direct approach"と"indirect approach"に分類すること自体は、ハーヴィッチ=宇沢論文を売り込むための口八丁だろうと僕は昔から思っていた。が、最近思うようになったのは、この口八丁は思ったより深刻なのではないかということだ。
 つまり、ハーヴィッチ=宇沢論文では、ハーヴィッチの単著論文の見解を引き継ぎ、積分可能性理論を「需要対応が効用最大化で記述できるための条件を探る」というものだと考えている。その目で見ればこれは確かに疑いようなく積分可能性理論の論文である。そして、ハーヴィッチ自身が指摘するように、消費空間全体での効用関数の存在を示した論文としてはハーヴィッチ=宇沢論文は史上初の論文である。(顕示選好理論側ではRichter (1966)が先んじているが、この論点はいまは置いておく)これは画期的な積分可能性理論の進歩だと半年前までの僕は考えていたのだが、逆に考えてみると、実はそうではない可能性が浮上してくる。つまり、それまでの積分可能性理論の研究目的がハーヴィッチの主張とはまったく別のものだったのが、Hurwicz (1971)によって変質してしまったという可能性である。

 この考えを採用すると何が起こるかを見てみよう。まず、ハーヴィッチ=宇沢論文は消費空間全体で定義される需要関数を生成する効用関数の存在を示した初の論文だが、そもそもそれは積分可能性理論の研究目的ではないから、それより前にそのような定理がないのは自然である。次に、ハーヴィッチ=宇沢論文は積分可能性理論において"direct approach"を取った初の論文だが、そもそも積分可能性理論の目的が需要関数に対応する効用関数の存在を示すことではないならば、"direct approach"をそれより前に誰も研究しなかったのは自然である
 恐ろしいことに、どちらの結論も自然なのである。僕はこの考えをさらに進めてみた。このnoteを見ている大半の読者は知っているかもしれないが、2023年現在、積分可能性理論の研究者で現在もアクティブに活動しているのはおそらく世界で僕を含め数人だけである。なぜこうなったかを考えて見ると、ハーヴィッチの研究目的自体にあまり魅力がなかったからではないかと思われる。つまり、「需要対応が効用最大化から導出されるための条件」については、顕示選好理論がすでにあった。そして、積分可能性理論では需要関数の微分が定義できないとまともに議論できない(Berger and Mayers (1971,上の論文集の第7章)という若干の例外はある)のに対して、顕示選好理論では連続性すら不要である。顕示選好理論では、Richter (1966)が選択公理を用いて逆算する見事な理論を組み立てていたし、それ以上にAfriat (1967)が、現代的な効用最大化の検定理論の先駆けを打ち出していた。これと比べて積分可能性理論がどういう優位性を持つのか、すぐにはわかりづらい。僕はいくつか思い浮かぶが、それは現代の視点であり、1970年代の研究者の立場で考えればとてもわかりづらかったと思われる。そして、Varian (1983)によって検定の理論が概ね完成すると、それ以降の消費者理論の研究者は、この魅力がよくわからない割に偏微分方程式とかいう難しいものを扱わないといけない理論を捨ててしまい、その結果研究者が激減していまに至るのである。Hurwicz (1971)より前には積分可能性理論は一流の研究者が言及する立派な理論として扱われていたことを考えると、非常にみじめな落ちぶれ方と評して問題ないだろうが、この戦犯はハーヴィッチ自身にあるのではないかと僕は現在、考えている。
 さて、残るはひとつの問題だけである。上の議論が正しかったとして、では積分可能性理論の「本来の」目的はなにか。それは、ハーヴィッチ自身が指摘しているように、Walras, Jevons, Mengerが消費者理論に追加した仮定はなにかということを明らかにすることであろうと思われる。ただし、ここで勘違いしないでもらいたいのは、これは「需要対応を効用最大化で~」ということにはならない。なぜなら、「消費者理論に追加した仮定」というからにはそれは「それ以前」の理論があるということで、そして「それ以前」の理論には需要対応はたぶん存在しなかったであろうからだ。
 では「それ以前」、つまり限界革命以前の消費者理論ではなにが扱われていたのか。川俣(2018)によると、どうやら「効用」という名前で、主観的な交換比率が考えられており、それと客観的な交換比率である価格比を比較して行動を決めるという理論だったようである。もちろんこの時代の理論は数式化されていないため、解釈のためには数式化する必要がある。そこでg(x)を、主観的交換比率を表すベクトル場としておこう。g(x)・v>0であるとき、消費者は手持ちのベクトルxからv方向に移動することを「得をした」と感じるとする。そしてこの消費者はこれ以外の情報を持たない。消費者は自らの効用関数を持っていないかもしれないし、持っていたとしても自覚していない。さて、この条件下で、消費者が現在の状態に納得して取引を止めるためには、それ以上得をする取引の方向が存在しなくなるしかない。その条件を数式に書くと、(p,m)という価格ベクトルと所得の組の下で、g(x)=λp, g(x)・x=λmとなるλ>0が存在することとなる。
 さて、これでもうお膳立てはできた。研究目的は二つ考えられる。第一に、上の取引停止点が効用最大化の点として書けるためのg(x)の条件はなにか? 第二に、自然な改善を表現する動学過程が必ず取引停止点に収束する、つまり取引停止点の安定性の条件はなにか? こういうことを考えるのが積分可能性理論の本来の問題意識だったのではなかろうか。ちなみに僕は上の二つのどちらにも答えを持っていて、g(x)が局所リプシッツだという弱い前提の下では、弱弱公理

g(x)・y<g(x)・x⇒g(y)・x>g(y)・y

とVilleの公理

∄x:[0,T]→Ω, piecewise C^1, x(0)=x(T), g(x)・\dot{x}>0 a.e..

がどちらの問題も必要十分条件となることを突き止め済みである。ただこの二つはどちらもPareto (1906)やSamuelson (1950)の時代には思いつきそうにない仮定なので、おそらくこれは未解決問題だったのではないかと思う。

 最後に、気になっていることがある。学生にミクロ経済学を教えているとき、効用最大化を教えられてピンと来ないが、一方で限界代替率と価格比の一致の方はピンと来るという学生がそれなりにいるようである。これは、上で述べたように、歴史的には正しい考えなのではないだろうか。つまり、消費者理論は元々は「限界代替率=主観的交換比率」と「価格比=客観的交換比率」の比較から出発していて、そちらの方が自然な仮定なんじゃないだろうか。そして、効用最大化は不自然な仮定だけれども、上で述べたように効用最大化の条件と、改善過程の安定性を保証する条件は同一なので、我々が日々の取引で安定的に納得いく結果を得ているならば、効用最大化というのは自然と受け入れなければならない仮定なのではないかと。そういう目で見ていくことで、積分可能性理論の新しい可能性が見えてくるんじゃないかと思った次第です。
 今回はただの思いつきメモなのでオチはないです。以上。

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