アイドル彼女は素っ気なくて甘くて 第97話
蓮加:…来ちゃった。
◯◯:いや、"来ちゃった"じゃなくて、
インターホン越しには
元アイドル彼女、現女優の、
「岩本蓮加」
間違いない。
蓮加:もし良かったら、久しぶりに話さない?
◯◯:…
蓮加:◯◯くん?
◯◯:あ、あぁ…ちょっと待ってて。
考えることを放棄した
空っぽの頭なりに全力で、
共用スペースのオートロックの
玄関まで走って向かった。
昼間からより一層激しく降る
大粒の雨の轟音で、
外の景色から切り離されたような
浮ついた気分を加速させる。
◯◯:蓮加っ!
蓮加:おっ、びっくりした。
相当な勢いで
開けてしまったのか、
久しぶりに見た"彼女"の表情は
目を真ん丸にした顔だった。
蓮加:◯◯くん、久しぶり。
◯◯:あ、うん…いや、あの、暗いしとりあえず、入って。
蓮加:うんっ
…
…
蓮加:おじゃまします~、
何も考えず、
"女性"を部屋に入れてしまった。
お互い知り合いとはいえ、
もう同居してるんじゃないんだ。
◯◯:狭くてごめん。
蓮加:そんなこと気にしてないよ。
不思議だ。
平日の深夜に蓮加と2人、
ワンルームの部屋に居る。
気にしてないとは言いつつも、
声を若干小さくするなど配慮が伺える。
◯◯:適当に、そこら辺に座っていいから。
蓮加:ありがと〜
小さいバッグ1つで
今をときめくアイドルが来て、
コーヒーを準備している俺を
懐かしい表情で見つめてくる。
◯◯:というか、どうやって来たの、
蓮加:マネージャーさんの車で、連れてきてもらった。
◯◯:そもそも、何でここが分かったんだよ。
蓮加:麻衣先生と美佑ちゃんとまだ連絡取ってるし、教えてもらったんだ。それに聖来からも、目撃情報あったし。
◯◯:あいつら、人の情報をペラペラと…
クッションに座る蓮加に
コーヒーを渡すと、
「うひひっ」と言いながら
受け取って飲み始めた。
◯◯:なぁ、蓮加、
蓮加:ん?
◯◯:俺ので良ければ、着替えなよ。
…
…
蓮加:着替え?
こんな豪雨のときに
待たせてしまった、
蓮加の髪や服の肩ら辺も
薄っすら濡れていて寒そうだった。
◯◯:そんなに濡れて風邪ひくと悪いから、上だけでも。
タンスを漁ってTシャツを渡すと
蓮加は少し顔を赤くして、
口をぱくぱくさせながら
上目遣いを披露している。
◯◯:あ、あっ!…俺、料理してるから、あっち向いてるからっ…
蓮加:うん…
高校時代はそんなに抵抗なく
できていた"普通"の行動も、
何でこんなにも意識してしまうのか。
さっきまで何をやっていたのか
あんまり覚えてすらなくて、
適当に包丁を持ったものだから
危うく指の腹を切りかけた。
視界の外から
素肌と服の擦れる音が、
規則的なリズムを
刻みながら聞こえている。
ふわふわした心の中でも
"彼女"と会えたことの嬉しさがあって、
その軽快なリズムに勝手に乗って
料理の手が進んでいく。
蓮加:ん、着替えたよ。
◯◯:ん?…あぁ、はいはい。
狭いキッチンに立つ俺の隣に、
ぶかぶかのTシャツを着た蓮加。
横目で確認するまでもなく
俺の肩に顔をぐいっと近づけてくる。
◯◯:危ないから、ちょっと離れてって。
蓮加:やーだ。
◯◯:…
メイクは予め落としてきてるようで、
女性らしい香りが感じられる。
あまり不用意に近づいてほしくないが、
生唾を飲み込む自分も確かに居る。
蓮加:何作ってるの?
◯◯:腹減ったし、余りものを適当に。
蓮加:私も食べて良い?一緒に食べよっ
◯◯:良いけど、明日も仕事だろ?…すぐ帰った方が、
頬をはち切れそうなほど膨らませて
更に詰め寄ってくる蓮加は、
遂には俺から包丁を取り上げて
まな板に強制的に置いた。
蓮加:こんな雨降ってる夜に、さっさと帰れって?
◯◯:ッ…
蓮加:せっかく会いに来たのに。
◯◯:と…泊まって、いきなよ…
もうお互いに立場が、
全然違うんだよ。
でも、こうやって負かされる、
今はもうこれで良いと思えた。
ーーーーーー
蓮加:ねね、お風呂久しぶりに入る?
◯◯:よせって…さっさと入ってきなよ。
蓮加:はぁ〜い。
結局、2人で飲み食いしながら
近況報告に花を咲かせたあと、
彼女はさも当然のように
風呂に入ってしまった。
昔と使ってるシャンプー変わらないなら
全然問題ないよ、と
あの頃と変わらない香りで
俺の服を着た蓮加にドキッとした。
そして睡魔のお告げに従って
そろそろ寝ようという流れになり、
残念ながら狭いウチには寝床を
複数用意できるようなスペースは無く、
1つの布団の中で
一緒に寝ることになった。
◯◯:じゃあ、おやすみ。
蓮加:うん、おやすみ〜
無意識に彼女の方に背中を向けて
極力何も考えないようにしたが、
…寝れるわけがなかった。
蓮加:◯◯くん、
◯◯:ん?
蓮加:懐かしいね、こういうの。
◯◯:そう、だね。
蓮加:こっち向いてよ、
真っ暗闇に順応してきた目は、
だんだんと蓮加の輪郭を捉え始める。
"演技"などでは見れない、
彼女の心からの微笑みが見える。
蓮加:私が来たこと、嬉しかった?
◯◯:何でそう思うの?
蓮加:玄関に迎えにきてくれたとき、すごく急いでたみたいだから。
…
…
◯◯:そりゃあ…まぁ、
蓮加:いひひっ、そっか。
正直に気持ちを言うと、
なぜ彼女が笑っているか
理解ができなかった。
蓮加:急に押しかけてきて、本当はちょっとだけ心配だった。
◯◯:え?
蓮加:拒絶されるんじゃないかって。
まさに理解ができない部分は、
そこに集約されていた。
高校生の悪ノリのように
"無茶"をできなくなった自分が、
できないどころか恐怖を覚える自分が
また嫌いになってしまう気がした。
◯◯:拒絶することなんて、そんなことはしないよ。ただ…
蓮加:…
◯◯:今と昔じゃ、違うんだよ。何もかも。
寂しいときは究極に欲して
いざ手に入るとその状況が怖くなる、
贅沢で救いようのない
酷い有様だと自覚している。
蓮加:"何もかも"、なの…?
◯◯:そう、何もかも。ほら、さっさと寝るよ。
そのとき、蓮加が俺を
正面からぎゅっと抱きしめた。
俺の手は動かなかった。
◯◯:蓮加、
蓮加:ちょっとだけでいいから、抱きしめて。
…
…
その一声でようやく、
両腕を胴に巻き付け返した。
条件反射で行動していた"時代"は、
もうどこかに落としてきたようだ。
◯◯:あなた細すぎ、ちゃんと飯食えよ。
蓮加:食べてるよ、食べてるけどこうなの。
◯◯:まぁ、体調悪くしない様に。
蓮加:やだ、なんかおばあちゃんみたい。
ずっと気に掛けていたこと、
それがはっきり形となった。
俺たちは"違う"、
どうしてもまた1歩
踏み出せなかった。
抱き合ったまま
そのあとも喋っていたら、
彼女は静かに寝てしまったようで
俺もつられて目を閉じた。
ーーーーーー
朝、
起きたら家に
蓮加は居なかった。
外は弱い雨が、
まだ降っていた。
芸能人は忙しいなと感心しながら、
お湯を沸かしに足を動かす。
コーヒーを淹れて一息つくと、
スマホの下にメモ用紙が挟まれていた。
…
…
「昨日は突然だったのにありがとう」
「わがまま言ってごめんね」
「お仕事だから行ってくるね」
「緊張して言えなかったけど」
「◯◯くんが大好き」
「また会いたいです 蓮加」
こんな人間でも、
察してはいた。
あとは俺の心だけ、
きっとそうだ。
◯◯:はぁ…何で俺って、こうなんだろ…
またいつもの、
つまらない生活が巡ってくる。
1週間後の
ちょっとした"楽しみ"を支えに、
味のしない1日を
ほどほどにやっていこう。
ーーーーーー
続く。
ーーーーーー
アイまい第96, 97話
参考楽曲
久保田利伸
「LOVE RAIN ~恋の雨~」
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