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石田泰尚というヴァイオリニストの気概について。


ミューザ川崎で石田泰尚さんのソロ・リサイタルを聴いた。

ここのシンフォニーホールは約2000席。ほぼ満席に近い観客を前にヴァイオリン一本でどう立ち向かうんだろう。ワクワクするというよりどこか心配になってくる。

だけど、当然のことながらそんなことは杞憂だった。

最初の曲はビーバーの「パッサカリア」。バッハに先んじる作曲家の代表曲。その要となる最初の主題を、彼は最弱音でホールいっぱいに響かせた。

なんという憂いのある音色なんだろう。フォルテになっても力強さこそあれ、決してこれ見よがしに飾らない。

それは続くテレマンのファンタジアでも同じだった。いぶし銀のようなフーガのパッセージ。それをときに体をくねらせながらテンポよく決めていく。

ストラディバリウスのような華やかさはない。だけどそのヴァイオリンはあくまで実直に本音の調べを奏でていく。愛想笑いなどする気は毛頭ないのだ。

これが石田泰尚という人だ。演奏が終わると照れたようにうつむいて足早に下手に下がる彼の背中を見ながら、僕はなんだか微笑んでしまった。

 
昨年の5月から12月まで、ほぼ月に一度のペースで彼を取材した。

原稿は旧知の編集者が書いてくれた。カメラマンも気心の知れたベテラン。2時間近いインタビューと撮影のあいだ、彼は疲れた顔を見せず、一生懸命に自分の考えを言葉にしてくれた。

あの風貌も言葉遣いも、別に「狙い」でやってるわけじゃない。昔から「硬派」に憧れる男が、幼くしてヴァイオリンに出会い、音楽に身を捧げる決意をして、ただがむしゃらに走ってきただけなのだ。

コンマスとしてオケをまとめる一方で、ソロやアンサンブルにも貪欲に挑んできた。ピアソラに関しては日本の第一人者だし、ブロッホのヴァイオリン作品を積極的に取り上げてきた功績も大きい。ウィントン・マルサリスのヴァイオリン協奏曲の日本初演をしたのも彼だ。

本人は「毎日やってもいい」というほどのマーラー好き。でも、石田組のアンコールで突然マイクを取り出し「津軽海峡冬景色」を歌っちゃう茶目っ気もある。

いつも何かに追われるようにスケジュールを埋めている。忙しくしていたいのだ。いつまた演奏できなくなるかもしれないから。その思いは3年前に最愛の母を亡くしてから顕著になった。

これからどこを目指していくのだろう。海外に出ていく気はないという。ただ毎日、人前で弾いていたいのだ。あの憂いを込めた音色で。

 
ブロッホの無伴奏ヴァイオリン組曲の後、彼が尊敬するチェロの山本裕康さんが登場。コダーイとモーツァルトで息の合ったハーモニーを聴かせると、最後はソロに戻ってバッハの「シャコンヌ」。

おそらくこの曲をライブで完璧に弾ける人はそうはいないと思う。彼でさえもそう。揺らぎ、ずれはある。でもそれが人の営みのように聴こえてしまう。決してまっすぐではない道。右に揺れ左に揺れながら、それでも前を向いて歩いていく。その気概をあのヴァイオリンに感じた。

 
ソロなのにアンコールを3曲も弾いて、終わったら21時半。個人的にはアンコール2曲目のピアソラ、終わった後の決めアクションがものすごくかっこよかった。

6月13日に彼の初めての単行本『音楽家である前に、人間であれ!』が発売されます。よかったら、ぜひ。

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