見出し画像

プッチーニこそ、真のメロディメーカーだ。


今年はシェーンベルクの生誕150年に当たる。十二音技法を編み出し、調性音楽を崩壊させた現代音楽の巨匠は、その名声とは裏腹に観客を呼べる音楽家とは言い難い。その難解な音楽はどうしても敬遠されがちなのだ。

だがしかし、シェーンベルクは十二音技法を確立する前はほぼ感覚的に無調音楽を作曲し、そこには溢れるほどの情感もあったと何かの本で読んで、非常に驚いた。あの音楽を本能で作ったとすれば、やはり彼は天才だ。今年、例年になくシェーンベルクの演奏会が各地で開かれる。この機会にぜひ生で聴いてみたいと思っている。
 
今年、もう一人の忘れちゃいけない音楽家のメモリアルイヤーでもある。それはジャコモ・プッチーニ。没後100年なのだ。

小学生のころ、ルチアーノ・パヴァロッティが歌う「ラ・ボエーム」の「冷たい手を」に完全にやられた。FM放送をカセットテープに録音し、何度も何度も聴いた。「貧しいって、なんて素晴らしいんだろう」と本気で思っていた。

「トスカ」のラストシーン、不気味な死の行進曲の中で進行するカヴァラドッシの銃殺。そのことに気づいたトスカが身を投げ、オーケストラは高らかにカヴァラドッシが歌った「星は煌めき」を奏でる。これこそが真のドラマティック。

「蝶々夫人」の素晴らしさに気づいたのは大人になってからだが、第一幕の最後で歌われる蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱のなんと官能的なことか。「トリスタンとイゾルデ」のそれより、このほうが僕にはグッとくる。
 
プッチーニの最大の魅力、それはメロディにあると僕は思う。

メランコリックで情熱的で、一度聴いたら誰でも口ずさめてしまう親しみやすさ。でもプッチーニはメロディに溺れない。展開次第で物語はいかようにも劇的になりうることを熟知しているのだ。

最初期の弦楽四重奏曲「菊」にすでにプッチーニの魅力が凝縮されている。7分ほどの短いものだが、本人も気に入っていたのか、「マノン・レスコー」の二重唱に転用された。地の底から湧いてくるような弦のすすり泣きに思わず鳥肌が立つ。これぞプッチーニの真骨頂だ。
 
今年がラストイヤーの指揮者、井上道義が最後に選んだオペラが「ラ・ボエーム」。ショスタコーヴィッチをお得意とする彼も、最後はプッチーニの歌心に乗ってこの世界に別れを告げたかったのかもしれない。

あとどれだけ「冷たい手を」を聴く機会に恵まれるのだろう。僕はたぶん、いくつになってもあのときと同じ思いで、貧しいボヘミアンに憧れるに違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?