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《書評》佐藤正午における特殊な「謎」│「ジャンプ」佐藤正午

 本書は、佐藤正午氏によるミステリー小説。朝食の林檎を買いに出かけたまま、ガールフレンドの南雲は失踪した。彼女はなぜ東京の自宅に帰ってこないのか?行方と失踪の謎を、不本意ながら失踪された三谷純之輔が追うというもの。

 本作は、ミステリー作品であり、当然、解決すべき謎がある。その謎とは、「彼女は何故失踪したのか?」である。本書評においては、この本を通して、「鳩の撃退法」(佐藤正午による長編小説,2014年出版)にも見られる、佐藤正午作品における謎の性質について論じようと思う。

佐藤正午における謎

 佐藤正午の本に共通している特徴として、ある種のミステリとは違った「謎の特殊性」がある。具体的には、ミステリの謎においてはモヤモヤ感を抱くのが一般的で、解決がようやく楽しいといった具合である。しかし、佐藤正午の場合、謎自体がとても爽快である。いや、爽快というとイメージカラーとして青や水色を想像するが、少し違う。もっと透明感のある、クリアな謎である。

 透明感のあるクリアな、快感さえ伴う謎、それはなぜ起きるのか。謎が不快を伴う場合、その理由は主に、「分からない」事の苦しみである。ならば、佐藤正午の小説における謎が不快を伴わないのは、「分かる」から、であろうか。それは違う。今作においても、謎の解答はサッパリ分からない。では、なぜ苦しみがないのか。では、1つ答えを提示してみよう。まず第一に、理由は「謎の性質と距離感」ではないか。

 というのも、ミステリー小説における謎は、それ即ち世界の全てである。それが分からないというのは、暗雲たる世界に閉じ込められたようなもので、苦しい。しかし、今作においては、謎は世界の一部分に過ぎない。それだけでなく、謎解き役である三谷にはどこか切迫感がない。謎解きを一生懸命やってはいるが、それもある種の義務であるかの如く感じさせる。

 そして、その三谷の目を通して語られる謎は、解決を迫られる日々のタスクではあるが、一方どこかで、何かポッカリと空いた壁の穴を見つめているかのようだ。もう、穴は空いてしまった。終わってしまった。一応出来る事はするが、しかし終わっている事に変わりはない。穴が空いている事だけが快感だ。といった具合である。

 というと、この透明感のある謎の正体が分かってきたのではないか。そう、「青空教室」のようなものである。破壊された残骸も残らぬ中で、気持ちのいい快晴の中、日光を浴びて問題(=謎)を解く。これが快感でなければ何が快感なのか。今は、もはや、破壊された事を気に病むのでもない。再建に急ぐのでもない。その中間地点としての青空を楽しんでいるのだ。

 実際、この謎がもはや終わってしまったものであるのは、本書自体がメタ的な構造(登場人物が物語る構造)になっている事からも伺える。この、独自の視点から見る謎というのは、通常のミステリと違った気持ち良さを生じさせる。この気持ち良さは三谷の性格のある種の気持ち良さからも作られているかもしれないが、何にせよ、良い。

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 物語の中で、三谷にとっては現在進行形としてこの謎に向き合う。そして、探求して行った末に、といっても探求自体やめてしまった五年後に、解答は得られる。確かに、失踪した理由は「何か」がある筈で、蓋を開けてみれば「何か」はあった。この解答は見事な伏線回収であるのだが、それが本旨ではない。問題なのは、「過去の精算」である。

 ここに来てこの手の解答が出る事で、彼の過去の認識は大きく変化した。終わった話であるのは変わりないのだけど、しかし、今の現在と陸続きの関係になっている。この失踪がなければ三谷の今はなかった。それだけでは悲しい出来事であったものが、今の幸せに至るまでに必要な過程だった。それは、三谷に取っては、良い事であるか悪い事であるかという問いを放棄させる。単に運命を変えたのだ。

 今の人生をこれで良かったと思っている。それは三谷の言葉からも明らかだろう。しかし、どこかで、あの時、彼女が失踪していなかった時の自分を想像している三谷がいる。その事は、意識混濁的に日々を忘れ行く日常においてのホンの僅かな思い付きに過ぎない。その思い付きというのは、つまり謎という爆弾が破裂してシミになったものだ。もう、シミは消えない。無論、幸せである。

 この物語から何を感じるだろうか。ひとつに、人生というのは、こうして破裂し、元に戻らなくなったものだらけになって行くという事がある。それを、悲哀的に捉えるか、それでもいいと現状肯定的に捉えるかは、読者次第である。しかし筆者は、往々にして人間は、この二つが入り交じって、矛盾した思いの中にいると思う。どこまで行っても、多くの時をこの世で過ごした人間の、現実味溢れる小説だった。

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