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憲法改正やるやる詐欺 自民党は正直者で解党出直しすべき 憲法記念日に思う

 嘘つきは泥棒の始まり。
 嘘をついてはいけない。日本人では当然だが、この常識が通用しない部分社会がある。それが政界。
「わが党は日本社会にふさわしい憲法に改正し、実態との乖離をなくす」と党の綱領に謳って票を積めながら、当選したら知らんぷり。これが自民党。
 憲法改正には衆参両院で3分の2の議席が必要となっている(96条)。世界的に例がほとんどない厳しい要件だ。それでも国民の多くがこの党の綱領や総裁など幹部の憲法改正実施の約束を信じて票を投じた。そうして両院それぞれで連れる与党を含めて3分の2の議席を与えたのだが、そうしたらいろいろ理由を挙げて逃げ回る。あたかも「ほんとうに国民が望む形に憲法を改正してしまったら、国民が満足して議席を失うのではないか」と思っているように見える。それで憲法改正やるやる詐欺と言われている。
 そう考えればつじつまが合う。自民党は憲法改正をする気がない。それがわかれば自民党を支持する理由はない。それが同党の長期低落の大きな理由であると思える。だって国民に平然とウソをつく政党に国政を任せていてよいわけがない。

 前日5月3日は憲法記念日だった。
 憲法はいかにあるべきか、そういう機運はまったく盛り上がらない。その原因は先に述べた通り。憲法改正やるやる詐欺の政党が与党であるのだから。改正の動きがないのだから、改正反対派もすることがない。
 そして憲法は国民生活からどんどん遊離していく。国会は憲法改正を論ずる義務を放棄している。憲法96条に「改正手続き」が明示されている以上、改正の是非は常に議論されなければならない。しかるに最初から「いっさいの改正をしない」ことが国会の事実上の総意になっている。こんなバカなことがあっていいのか。
 国会が動かないのであれば、国民が直接、改正手続きをしてはどうか。実は96条の改正手続きでは,国会(衆参両院)では修正条項の発議(提案)をするのであり、決定は国民投票でということになっている。主は国民王票なのである。
「何条を○○と直す」などと具体的に示さなければ国民投票ができない。それで国会で具体的内容を発議せよとなっているわけだ。いきなり国民投票にかけるならば、提案修正内容をだれが起草するか。百論続出でまとまらなければ国民投票を実施できない。

 そこで考えた。修正や追加であれば議論が割れる。しかし削除であれば、賛成か反対かしかないから各論続出にならない。
 ではどういう改正提案があり得るか。もっとも簡単なのは9条のまるまる削除。この条は本文中のどの条項とも関連しない。

 そこで9条を削除したら、現憲法の本質をゆがめることになるかである。しかしその心配はない。憲法の心髄である前文を読んでみればわかる。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…政府の行為によって再び戦争の災禍が起ることのないように…主権が国民にあることを宣言…」とイの一番になっている。9条はそれを繰り返しているに過ぎないのであり、なくても憲法は本質はいささかも変わらない。憲法学者と称する人たちがひねくり回した結果、隣国の軍事的脅威になす術もなくなっている現状を脱するためにも、9条を削除してしまう。
 国会が機能しないのであれば、直接の国民投票で9条を削除する。これが現実的方策である。そのうえで国会が目覚め、本気で国家の安全のために必要な議論をするようになれば、そのうえで先に挙げた民主主義体制を前提とした安全保障のための憲法条項の議論をすればよい。

 なお、同じく前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と平和を保持しよう…」を非武装の根拠にする主張があるが、それは日本語の読み方として明らかに間違っている。”平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して”は条件節になっている。そして四囲の隣国を見れば、信頼できない侵略志向の国々であるのあるのだから、今はこの条件を満たしていない。
 この文章の含意は“すべての外国が信頼できる国であったならば”という願望であり、そのためにはそれらの国々を民主主義国に転換させるとの決意を示しているのである。そう読めば、前文の最期部分で、「政治道徳の法則(民主主義を示していることは文意から明白)は普遍…日本国民は、国家の名誉にかけ、この崇高な理想と目的(民主主義)を鉄製することを誓う」に自然につながるのである。
 




 

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