友人

 この世には2種類の友人がいる。新幹線で旅行するときに車内で遊ぶタイプと寝るタイプだ。
 ありがたいことにこの春休み、どちらのタイプの友人とも旅行に行く機会があった。

 最初に行ったほうは新幹線の席をひっくり返して、なんとなく喋りつつ朝ご飯を食べるメンバーもいて、車窓から見える某中学受験塾と某予備校の並びを見て笑った。その後私が持っていたトランプでババ抜きなどし、絵しりとりをし、気づいたら目的地というまあ何とも緩い旅であった。
 まあそれからの日程はメンバーの1人の尽力もあり、予約していた店やたまたま入った店にて昼食夕食には困らず最大限楽しむことができたと断言できる。

 一方後者は酔いやすい子がいることもあって最初からフルスロットルで寝ていた。私は特に眠くなかったので2010年代頃の懐かしの音楽(きっともっと上の世代からは怒られるんだろうが、私はこうした類の音楽を懐メロと言ってしまう)を適当に聞いて過ごしていたが最終的にはどこかで意識が途切れまた戻る、というのを2度ほどやったと思う。
 ちなみにこちらは旅程も輪をかけて緩く、理由もなくホテルでゴロゴロすることの楽しさを覚えた。

 こんなことを書くと友人と旅行するというジャンルにおいてベテランなのではないかと疑われやしないだろうか。実際私は友人と旅行に行ったのは今のところ(修学旅行を除いて)2回が全てである、ズブの素人だ。それでもこんなことをnoteの記念すべき第1回目の投稿で書くことにしたのは、短期間で真逆の旅行の仕方をしたのがなんとなく面白かったからである。
 ここで注意しておきたいのはただただ面白かったというだけでどちらを下げるだの上げるだのそんな意思はないということだ。もし億が一、この文章を知り合いが、ひいては私と旅行に行った当人が読んだとき、そういったことを思わないようにしてほしい。見つかるはずもないが、お前の文章はわかりやすいと散々言われた高校時代を思うとそうも言ってられないのである。

 ここまで書いてnoteの産声の定石は自己紹介だったことを思い出すが、私が動きにくいフリック入力を駆使して打ったこの887文字を無駄にするわけにはいかない。
 そう、使いにくいのだ。「この」を打とうとすると三分の一ぐらいの確率で「の」が出ない。「う」は「つ」になる。やはり初投稿は新たなパソコンを買ってからのほうが良かったかもしれない。ほら、初投稿だって「はつとつこつ」なんて謎のものを編み出してしまった。

 そういえば、誤変換に一家言ある友人から意味のわからないメッセージが来たと思ったら、彼女の家に新たな家電が到着したという意のものだった。テレビに謎の名前をつけるのはネーミングセンスというよりは発想力にケチをつけるべき問題だが、たぶん彼女のセンスはきっと悪くない。きっと。

 こうした愉快な友人たち(愉快さでは負けていない他の友人もまだたくさんいる)を思い出したくなったのは、きっとこれから新天地に向かうからだろう。友人たちもこんな思いをしているだろうか。と思ってツイッターを開く毎日。
 でもそんな愉快な友人たちにも共通点がある。皆、Xのことをツイッターと呼ぶことだ。


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