イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や…

イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や映画の感想など、いろいろと書いていきます。

最近の記事

岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

岸本佐知子のエッセイ、書評、日記をまとめた新刊「わからない」(白水社)を読んだ。 順に読むのではなく、開いたページから適当にだらだらと読み、その後あらためて、はじめから読み直した。 そして、いろいろなことを思い出し、いろいろなことが、気になった。 まず、いちばんはじめに収録されている、「カルピスのもろもろ」。著者の、子供時代の記憶。 毎日幼稚園で泣いていて、泣かなかった日が三日くらいしかなかったこと。 お人形が嫌いだったのだが、友達にあわせて(そして、親の期待にも応えて)、

    • 金井美恵子『愛欲の谷』

      「ファン」のくせに、しばらく金井美恵子から離れていて、2012年に「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」が中央公論社から出たときも、買いもせず、読みもしなかったのだが、今年の春、文庫化されたものを手に入れ、そして今、ゆっくり、読んでいる。 まだ読んでいる途中だけれども、きっと最後まで読み終わっても、「『愛欲の谷』が収録されている21編の中でいちばん好き」、という結論になるだろう、と思っている。 あるとき「私」は母親から、昔、中国に住んでいた頃、何代も続い

      • 驚くべき新婚旅行の話・山尾悠子の「山の人魚と虚ろの王」

        「山の人魚と虚ろの王」(国書刊行会)は、「これはわれわれの驚くべき新婚旅行の話。」という文章ではじまる。 われわれ、というのは、「私」と、それから、「私」の遠戚に当たる、年の離れた、寄宿舎育ちの妻のこと、「さほどよく知りもしない」で結婚した妻のことである。 そして「私」は、「それにしてもどこから始めるべきなのだろう」と、さまざまな記憶をひとつひとつたぐり寄せるように、新婚旅行の話をはじめる。 話は時系列通りには進むことなく、前後したり、また、過去の記憶や目にしたものが、一枚

        • 「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」

          メアリー・ポピンズのシリーズはどれもおもしろいが、「公園のメアリー・ポピンズ」(岩波少年文庫)は、メアリー・ポピンズの「四度目の訪問の物語」でなく、今まで彼女がバンクス家を三度訪れた中の、「そのあいだに起きたエピソード」を集めたものだ。 町の人たちが集まってくる公園という場所を舞台に書かれた6つのお話は、どれもみんな楽しいものばかりで、私がとくに好きなのは、「物語のなかの子どもたち」だ。 五月最後の土曜日、天気が良くてさわやかなこの日にぴったりだと思うので、この話について、

        岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

          三浦しをんのエッセイを読んで、声を出して笑う。

          ここ何日かで、三浦しをんのエッセイと書評集をまとめて読み返した。 今回読み返したのは、「桃色トワイライト」「夢のような幸福」「人生激場」(新潮社)、「妄想炸裂」(新書館)、「のっけからしつれいします」(集英社)、「三四郎はそれから門を出た」(ポプラ社)など。 読みはじめたら止まらなくなり、何回か、声を出して笑った。 本を読んでいて声を出して笑う、ということはあまりないので、こういうことがあと、単純だけど、特別に幸せな気分になれる。 個性豊かな友人達のエピソードがおもしろいの

          三浦しをんのエッセイを読んで、声を出して笑う。

          「いつも17歳」だった作家、城夏子(じょう なつこ)。

          城夏子(じょう なつこ)という作家がいた。 1902年生まれ、編集の仕事をしながら少女小説を執筆、「女人芸術」の同人として活躍したが、1969年、67歳のときに老人ホームに入居している。 「また杏色の靴をはこう」(河出書房新社)は、その城夏子の、とびきり楽しい、エッセイ集である。 このエッセイではおもに、彼女の老人ホームでの暮らしの様子、そして、「老い」や「年齢」に対する考え方などが、軽やかな筆致でつづられている。 まず、エッセイ集の巻頭、「17歳を呼び込む方法」と題され

          「いつも17歳」だった作家、城夏子(じょう なつこ)。

          「ピクニック・アット・ハンギングロック」4Kレストア版鑑賞。「原作も映画も、映画も原作も!」

          2月、バレンタインの日にあわせて「ピクニック・アット・ハンギングロック」の記事を書いたが、今月上旬から4Kレストア版が公開中であるということをまったく知らなかったため、さっそく見に出かけた。 この映画は、テレビとDVD、そして、古書店で購入したパンフレットでしか知らなかったため、一度スクリーンで見てみたい、と思っていた。 つまり、今回、夢が叶ったということだ。 パンフレットを購入し、特典のポストカード(白い服、黒い靴下、黒の編み上げ靴のミランダが、岩山にたたずんでいる)と

          「ピクニック・アット・ハンギングロック」4Kレストア版鑑賞。「原作も映画も、映画も原作も!」

          アンネ・フランクが見た、映画スターの夢。 

          これは、1943年、アンネ・フランクが14歳のときに書いた小説、「映画スターの夢」の冒頭部分である。 アンネが、隠れ家で生活を共にしていたファン・ダーン夫人に、「どうして映画スターになりたくないのか」としつこく聞かれ、その「答え」として書いたものだという。 文藝春秋より刊行されている「アンネの童話」(原題は、「アンネ・フランクの隠れ家からの物語集」。こっちのタイトルのほうがいい)に収録されているが、その中でもいちばんおもしろいのが、この小説である。 映画スターになることを夢

          アンネ・フランクが見た、映画スターの夢。 

          「日記を書く」ことで自分を支えた、少女時代のアナイス・ニン。

          「リノット 少女時代の日記 1914-1920」(水声社)は、アナイス・ニンが少女時代に記した、内面の記録である。 アナイス・ニンは1903年、パリで生まれる。 父親はスペイン人のハンサムなピアニスト、母親はフランス人。アナイスを頭に3人の子供ができたが、父親は若い愛人の元へ出奔する。母親は、子供たちを連れて親族の住むアメリカへと移住する決意をする。 彼女が日記を書きはじめたのは、その船の上でのことだ。 「日記」はこのときから、この孤独な少女の、「お友達」となったのである。

          「日記を書く」ことで自分を支えた、少女時代のアナイス・ニン。

          もし、「寄宿学校文学全集」をつくるなら?「ローズ・ルルダン」と、「あざ」について。

          「ローズ・ルルダン」は、ヴァレリー・ラルボーの短編で、寄宿学校が舞台になっている。 そして、「あざ」も、同じく寄宿学校が登場する、アンナ・カヴァンの短編である。 どちらも、もし、私が個人的に「寄宿学校文学全集」をつくるなら絶対に欠かせない、と思っている、素晴らしい作品である。 ローズ・ルルダンとは、語り手である「わたし」の名前だ。 「わたし」は現在、どうやら女優として活躍しているようなのだが、その彼女が少女時代のことを回想する、という形で書かれている。 「わたし」は少女時

          もし、「寄宿学校文学全集」をつくるなら?「ローズ・ルルダン」と、「あざ」について。

          小公女セーラの言葉、「あなたもお話、わたしもお話」の意味とは?

          前回、バーネットの「小公女」について書いた。 その際に、児童向けポプラ社文庫の「小公女」を読み返していて、妙に気になるセリフがあった。 その言葉を、セーラがベッキーに向かって言う場面で私は、「こんなセリフ、あったっけ?」と驚いてしまった。 そのセリフとは、どういったものか? あるとき、アーメンガードが、セーラが住んでいる屋根裏部屋にやってくる。そのときセーラは彼女に、隣に住むベッキーとのあいだで、「お元気ですか」「おやすみなさい」の挨拶代わりに壁をノックしている、という

          小公女セーラの言葉、「あなたもお話、わたしもお話」の意味とは?

          大人になってから読む、バーネットの「秘密の花園」、「小公女」

          金井美恵子の「噂の娘」を読んで、バーネットの「秘密の花園」を、そしてついでに「小公女」も読み返したくなり、どちらとも、光文社古典新訳文庫で読んでみた。 昔読んだポプラ社文庫の「小公女」は、子供向けにかなり大幅にリライトされているのだろうな、と思ってはいたが、やはり、そうだった。 岩波少年文庫で読んだ「秘密の花園」はそれほどでもなかったのだが、「小公女」にいたっては、子供向けではないと判断されたのであろう、あちこちがカットされており、自分が小学生のときに読んだものは、あれは、

          大人になってから読む、バーネットの「秘密の花園」、「小公女」

          金井美恵子「噂の娘」を読む。

          「噂の娘」は、まだ子供である「私」が、弟と一緒に、知り合いの美容室のマダムに預けられ、そこで見聞きしたこと、また、それ以外のさまざまな記憶の物語である。 1950年代の話である。「私」の父親は、なぜかわからないが遠くの町の病院に行くことになり、当然、母親も付き添うことになる。 「私」が預けられるのはそのためなのだが、しかし、「私」は、父親のどこがどのように具合が悪いのか、なぜ、近くの病院ではなく遠くの病院へ行かなくてはならないのか、なぜ、何日も留守にしなくてはならないのか、く

          金井美恵子「噂の娘」を読む。

          金井美恵子が書く、子供時代の読書と、それにともなう幸福な記憶。

          「添寝の悪夢 午睡の夢」というタイトルの、金井美恵子のエッセイ集を持っている。 1979年に中央公論より刊行された文庫本で、たぶん、中学生くらいの頃に近所の人から譲り受けた古本の中に入っていたものだと思われるが、そのとき以来、ずっと私の手元にある。 この本におさめられているのは金井美恵子が20代の頃に書いたものなのだが、あまり変わっていない、と思うのは、子供の頃の読書に関する文章である。金井美恵子は「ページをめくる指」で絵本や児童文学について書いており、これはとても素晴らし

          金井美恵子が書く、子供時代の読書と、それにともなう幸福な記憶。

          金井美恵子熱・再燃。「快適生活研究」で、桃子や花子に再会できる喜び。

          今、「金井美恵子熱」が再燃している。 やっぱり、金井美恵子はおもしろい。 今回は、本棚のどこをさがしてもないので「快適生活研究」(朝日新聞社)を図書館で借りてきて、読んだ。 収録されている七編のそれぞれの作品の登場人物が微妙に関係しあっているという仕掛けなのだが、「古都」と「隣の娘」が桃子の話だったので、その感想を。 桃子はあいかわらず紅梅荘に住んで塾のアルバイトをしており、それ以外は家でごろごろしたり、小説家のおばさんとときどき、会ったり、という日常。 変化、といえば

          金井美恵子熱・再燃。「快適生活研究」で、桃子や花子に再会できる喜び。

          左右違う靴を履く、ということ。N・キンスキーからM・モンロー、そして、小泉今日子までの連想。

          先日、ジョディ・フォスターについて記事を書いた。 その際に、彼女の伝記「ジョデイフォスターの真実」(フィリッパ・ケネディ 集英社)をぱらぱらめくって読み返していたところ、彼女がナスターシャ・キンスキーに関しておもしろい発言をしていた。 ナスターシャ・キンスキーは自分のことを醜い、と思い込んでおり、それについてジョディ・フォスターが、信じられない、と言っているのは覚えていたけれど、この発言についてはすっかり、忘れていたのである。 「彼女はいつも食べ物をくっつけているし、服に

          左右違う靴を履く、ということ。N・キンスキーからM・モンロー、そして、小泉今日子までの連想。