ピアノのバッハ(番外編2):リュートの弦を張ったチェンバロ
今回は短めのお話。
バッハの器楽曲はあらゆる楽器のために編曲され、どんな楽器で演奏されようとも「バッハだから」と許されてしまうのが「音楽の父」バッハの凄さ。
拍子のリズムを誰よりも重んじるバッハの音楽は規則正しいリズムの躍動感ゆえにどんな楽器で演奏されようとも素晴らしい。
電子楽器でも非西洋楽器の尺八や和笛でも。
あまりの汎用性の高さに脱帽するほかないのですが、やはり個性的な楽曲には楽器との相性の問題もあるものです。
クラシック・ギター奏者はバッハの無伴奏チェロ組曲のギター版を当たり前のように演奏しますが、クラシック・ギターがおそらく最も似合うバッハの音楽はリュートのための音楽です。
リュートはバッハが活躍した時代よりも前のルネサンス時代・バロック時代初期に大変な人気を誇った撥弦楽器(つまりギターと同族)。
エリザベス朝イングランドのシェイクスピア作品にもリュートは何度も登場するほど、当時には現代のギターのようにポピュラーなものだったのですが、人気楽器の栄枯盛衰、流行り廃りも激しいもので、バッハの時代にはもはやリュートは時代遅れな楽器だったのだとか。
しかしながら、バッハはそうした時代遅れになりつつあったリュートの音色を好んでいたのでした。
弦楽器や鍵盤楽器に誰よりも堪能なバッハでも、リュートまでは他の楽器の水準まで流暢に演奏できなかったらしいのですが、17世紀から18世紀にかけて、鍵盤楽器チェンバロの金属弦をリュートのためのガット弦に取り換えた楽器が存在したために、バッハはこの楽器を奏でることでリュートの音色を楽しんでいたのでした。
ドイツ語をカタカナ読みして「ラウテンヴェルク Leutenwerk」または「ラウテンチェンバロ Leutencembao」という楽器、英語では「リュート・ハープシコード Leute Harpsichord」。
クラヴィコードと並んでバッハのお気に入りの楽器だったのだとか。
ガット弦とは動物の腸を固く乾燥させて作った弦のことです。後述で解説します。
リュートは弦が多くて演奏が難しく、また音量が小さいのですが、リュートの胴体をより大きな箱型の鍵盤にしてしまえば、反響が得られて大きな音を作り出すこともできるようになります。
バッハのような鍵盤奏者は、この楽器を使えばチェンバロを弾くようにリュートを演奏できたわけです。
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685‐1750)の年上の再従兄弟のヨハン・ニコラウス・バッハ(1669‐1753)は作曲家であると同時に楽器製作者でもあり、リュート・チェンバロも制作していたことが知られています。
バッハの遺品目録には、バッハが大好きだったコーヒーカップのセット(!)などと共に、ラウテンヴェルク(リュート・チェンバロ=この呼び名は英語ドイツ語を混ぜた言い方で和製英語です)が記載されていました。
ヨハン・セバスチャンは、一族の縁からヨハン・ニコラウスの作成した楽器を購入して取り寄せたのかもしれません。
バッハの死後、楽譜類は二番目の息子、しっかり者のカール・フィリップ・エマニュエルが管理して、数多くの自筆譜が現在にまで伝えられているのですが、音楽家にならなかったバッハの遺族たちに与えられた遺品は、彼らが経済的に困窮したためか、多くが散逸してしまい、バッハ所有のリュート・チェンバロの行方は杳として知れず。
バッハの末娘レギーナ・スザンナ Regina Susanna (1742-1809) は晩年、頼りになる兄弟たちの死後、
と音楽家仲間に呼びかけて、それを知ったウィーン在住の新進作曲家ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは新作「交響曲第三番作品55・エロイカ(1804年出版)」の出版印税を彼女の支援のためにあてたという逸話がよく知られています。
ベートーヴェンは、1801年、1803年、1805年と三度にもわたって出版社に自分の交響曲第三番出版売り上げ、演奏会利益(交響曲第三番の演奏会)をバッハ夫人に送ってくれと手紙で頼んでいるのです。
その都度、まとまった額fのお金が贈られたのでは。
義侠心に富む作曲家ベートーヴェンにまつわる私の大好きなエピソードのひとつ。
高齢者のための年金などの社会制度の発達していなかった時代でした。レギーナさんはどれほどベートーヴェンに感謝したことでしょうか。
さて、そもそもガット弦なんてものは長持ちしません。
現代の金属製のヴァイオリンの細い弦さえも消耗品。
弦楽器の弦は定期的に取り換えないといけないものです。
チェンバロ演奏で弦を酷使すれば、やはり定期的に弦を取り換えないといけません。
チェンバロやピアノの弦が金属製なのもそうした必然からなのでした。
チェンバロにガッツ弦を使用すれば長持ちはしませんよね。
この英語サイトには現代におけるガット弦の制作過程が写真付きで説明されています。
ガット弦の楽器は長持ちしない。
きっとそれが十八世紀のリュートチェンバロが現在ではどこにも存在しない理由なのでしょう。古くて使えなくなった楽器は場所取りですので、普通は廃棄されてしまいますから。十九世紀にはチェンバロでさえ博物館に仕舞い込まれていたのですから。
バッハは四曲のリュート組曲を後世に遺してくれましたが、弟子たちはそれらは普通のチェンバロのために書かれた作品として疑わなかったのですが、「リュートのための」と楽譜には書かれているのです。
ホ短調の組曲(BWV996)には「リュートまたはチェンバロのための」と明記されてさえいるのです。
しかしながら、バッハの遺品にはリュートは含まれていず、バッハが所有していたのは「リュートチェンバロ」なのでした。
ですので、リュートのための作品(BWV995-1000)を十七世紀のリュートで演奏することはバッハ的には正しくないのかもしれません。
バッハのリュート作品の楽譜は、鍵盤楽器的な対位法の音楽ではなく、リュート的に和音をかき鳴らす音符で楽譜は埋まっています。
バッハはリュートで演奏しなかったのかもしれないけれども、正統的な古い時代のリュートで演奏されるバッハは本当に美しい。
バッハのリュート曲は当然ながら現代のギターで演奏してもすこぶる美しい!
リュート組曲はギターの最上の音色を引き出すことができる最良の音楽なのです。
現代の音楽学者と楽器製作者は十九世紀に忘れ去られてしまったチェンバロを現代に蘇らせたたように、現代では博物館にも現存していないリュートチェンバロを歴史的資料を読み込んで、想像力を駆使して復元!
巨大なリュートに鍵盤を取り付けてある楽器がリュートチェンバロなのでした。
復元されたのはごく最近のことです。
いまでは幾人かの古楽専門演奏家たちが復元されたバッハ版リュートチェンバロを演奏録音しています。
チェンバロ特有の金属的な響きが皆無なためにリュートチェンバロの響きには独特の風情があります。
リュートを指でかき鳴らすのと、鍵盤に連動したジャック(弦を弾くための針)が爪弾く音には違いが生まれます。
もちろんチェンバロの欠点である音の強弱の変化をつけることもできませんが、バッハの時代のリュート奏者はリュートチェンバロの音色を聞いて本物のリュートの音との違いを判別できなかったのだとか。
この録音はハンガリーの Gergely Sárközy による、バッハが「リュートチェンバロのための」と明記したハ短調組曲の演奏。
バッハのリュートチェンバロもこんなユニークな形状だったのでしょうか?
ピアノの前身であるピアノフォルテにも通じる鄙びた響きが素敵ですね。
この楽器を使ってバッハのクラヴィア音楽の最高峰「ゴルトベルク変奏曲」を弾いてみると:
ピアノ演奏とは全く違った味わいの素晴らしい演奏に魅了されてしまいました。リュート弦の音色を生かした装飾音のつけ方がとてもチャーミング。
わたしには歴史的チェンバロによる演奏よりも、リュートチェンバロによる演奏の方が好みです。
でもリュートチェンバロ奏者の住んでいるドイツやハンガリーなどにでも行かない限り、リュートチェンバロの実演に接することはなさそうです。
それほどに希少で特殊な、バッハがこよなく愛したリュートチェンバロ(ロイテンヴェルク)なのでした。
おまけ:リュート奏者を描いた名画
これほど絵画に頻繁に描かれていたように、リュートは十五世紀から十七世紀にヨーロッパ中で広く愛された楽器でした。フェルメールよりも新しい時代の画家たちはリュートをもはや絵画の題材にはしていません。そしてフェルメールが好んで描いたのは家具型ハープシコードのヴァージナルなのでした。
ですが、そのヴァージナルにしても、十八世紀以降は新しい楽器の弦の数の少なくて使いやすいクラシックギターや新しい鍵盤楽器ピアノに人気を奪われてしまいます。
バッハは時代の流れの中で滅びてゆくリュートの雅な調べを惜しんでいたのかもしれませんね。
こちらのサイトを訪れると数多くの復刻リュートチェンバロを見ることができます。
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