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ピアノのバッハ6: 左手のためのシャコンヌ

わたしは我が家の料理担当です。

家族のために毎日台所に立ち、毎日数時間を料理に費やしています。

海産物が豊かな土地に住んでいるので、自家用ボートで海釣りをするフィリピン人の隣人からおすそ分けしてもらったり、スーパーで魚を丸ごと仕入れて(切り身よりも一匹そのままの方が安い)、三枚に下ろして、新鮮な刺身などを自家製でこしらえて舌鼓したづつみを打ちます。

なのですが、もう十何年も包丁で怪我したこともないのに、なかなか取れない硬い鱗をガリガリと無理して剥がそうとしているとき、鯛の尖っている鋭い背びれを指に刺してしまったのでした。

https://www.rnz.co.nz/news/national/282728/too-many-undersized-snapper-caught-mpi
鯛の背びれは硬くて鋭い
刺身にする場合は鱗を取る前に
けが防止のために
料理用ハサミで背びれを
切ってしまうことをお勧めします

油断大敵でした。細い棘が右手の中指の上の部分にズブリ!

庭の薔薇などとは違い、魚の背びれなので、折れないで棘が残ったりはしませんでしたが、針のような棘が深く刺さった痛みは衝撃的でした。出血しなかったのに。

水に洗ってとりあえず冷やしましたが、刺した部分の小さな穴がふさがって指先の皮が硬くなりましたが、深い傷なので刺激すると今でも痛みます。

不幸中の幸いは、指先なので指の腹の部分には痛みは感じないことでした。

一応ピアノは弾けます。

ですが指を立てると患部に触れて痛むので、往年のホロヴィッツのように、脂肪のついている指の腹の部分で鍵盤を平たく弾くようにしています。

ピアノの音は丸くなります。

しかしスタッカートなど、鋭い音を出すための指先での打鍵は当分は難しい。

中指を使わない運指を試してみたりもしましたが、無傷の左手を有効活用してみようと、バッハの多声音楽の左手部分だけを弾いてみたりしました。楽曲構造分析の勉強になります。

なのですが折角なので、左手だけで演奏できるピアノ曲を弾いてみることに決めました。

左手のためのピアノ曲

ピアノという楽器は一人オーケストラとも呼ばれるほどに多彩な音が出ます。

高音部も低音部も全て十本の指で弾けてしまうという便利さですが、曲を成立させるためには低音部だけあれば十分。

なので低音部担当の左手だけのピアノ曲がたくさん書かれています。

右手だけだと音楽を支えるベース=土台がないので物足りないため、そういう音楽がほとんど書かれてはきませんでした。

オーケストラで超高音を吹くピッコロ・ソロの音楽がほとんどないのも同じ理由からです。

音楽というものは、低音ベースに支えられて、初めて立派な音楽になるのです。

というわけで辿り着いたのは、左手のためのソロピアノ曲の最高峰かもしれない、バッハのシャコンヌ。

後期ロマン派の大作曲家ヨハネス・ブラームスがバッハの無伴奏ヴァイオリン曲を編曲したものです。

SDXLが描いた作曲家ブラームスの肖像
ブラームスはシャコンヌ編曲を
ヴェルター湖のそばのペルチャッハで完成させたので、
湖をバックグランドにしてみました
こんな写真存在しないのですが、実際にこんな場面はありえたのかも
AIが作った老いたヨハネスとクララのレトロ写真

大作曲家ブラームスが書いた左手のための音楽

左手のためのピアノ曲と言えば、クラシック音楽に詳しい方は、すぐにモーリス・ラヴェルの「左手のための協奏曲」や、セルゲイ・プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第四番」を思い出されるかもしれません。

どちらも第一次大戦に出征して右手を失ったピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインのために書かれた曲。

ヴィトゲンシュタインは戦傷のために右手を切断せざるを得なかったのです。

Paul Wittgenstein (1887-1961)
©Wikipedia commons

しかしながら実際のところ、指と腕を武器にするピアニストはよく怪我をする

無理な体重のかけ方で弾けば腱鞘炎にもなるし、なんらかの体の不調から指が動かなくなったり、腕が上がらなくなることも。

加齢による筋肉の衰えも全てのピアニストが克服すべき課題。

ピアノを弾くのは全身を使う肉体労働なので、筋トレは欠かせません。本当ですよ。

ピアノは小手先ではなく、背中で弾くものです

さてブラームスの場合、彼自身のためではなく、思慕しているローベルト・シューマン未亡人クララが右手の肘を脱臼するという災難に見舞われたために、クララを慰めるために書いた音楽でした。

交響曲第二番ニ長調などを作曲していた1879年頃の夏のこと。

演奏時間は十数分かかります。

さらには演奏想定者が当代最高のピアニストのクララなので、技術的にもかなり難易度が高いのはいうまでもありません。

ピアノの二段楽譜のヘ音記号で書かれた
左手部分だけで演奏
広い音域が掴めないならば分散和音にするか
ペダルの使用が必然となります
片手だけだと体の左右のバランスも悪くなるので工夫が必要

五本の指だけで弾くわけですが、広い音域の音を分散和音でかき鳴らしてモダンピアノのペダルの性能を最大限にを活かして演奏しないといけません(ペダル指定は書かれていないので自分で自由にペダルを踏むといいですね)。

ですが、頑張って全身の体重を片手にかけて弾くと、まるで両手の十本の指で弾かれているような錯覚を受けるほどに見事な編曲です。

のちに二十世紀になってイタリアのブゾーニが両手のためのピアノ版シャコンヌを発表するのですが、こちらはオルガン曲「トッカータとフーガ・ニ短調」を超ロマンチックに編曲した作曲家らしく、バッハらしさは後退しますが、「トッカータとフーガ・ニ短調」よりは曲想がブゾーニのスタイルに合うようで、名作です。

分散和音の発想を使えば、単旋律しか奏でられない管楽器でもシャコンヌは演奏できます。

フルートでもシャコンヌ!
こういう和音の楽譜は「ソシ♭レーーーーーレ」みたいに
下の音を装飾音音符であるかのように高速で演奏するのです
倍音を響かせるハーモニック奏法には限界があるので
フルートでは論理的に演奏不可能な個所もあります
いかに大事な音にアクセントをつけて
シャコンヌらしさを再現するか
が演奏の秘訣です

このYoutubeで見つけたフランス人女性のフルートの演奏、見事です。

神曲バッハのシャコンヌ

シャコンヌという音楽は変化しない規則正しいメロディが低音でひたすら奏でられ続ける変奏曲のことです。

色違いで線を引いてみました。
音楽は四小節で一つのフレーズになり、
八小節が変奏曲の基本単位となります
(でも12小節だったり6小節だったりと変動します)
この楽譜では主題が最初の八小節、次の十六小節は第一変奏となります

一番下のベース旋律ラインがいつまでもほとんど変化せずに繰り返されます。
「レー・レド♯ー・レシー・ソラド♯・レ」という音型
メロディはこのベース音に応じて和音の形を変えながら変容してゆくのです

シャコンヌは主題と三十の変奏曲から成る長大な変奏曲。

短調の変奏が15回続いて、中間部で9回長調に転じて、再び短調に戻って六つの変奏曲が全曲を締めくくります。

シャコンヌ終結部
数え方次第で最後の拍は257小節目となりますが、
冒頭の拍は四分音符一拍分足りないので
最後の小節と合わせて一拍となります
(バッハは終結部を盛り上げるために付点付き二分音符にしましたが)
全体は、やはり8の倍数の256小節。
基本フレーズは8小節x30変奏=240小節
そこに主題とつなぎの16小節が加わりますが、
数学的にほぼ完璧なプロポーションを保っています

この曲は正式には無伴奏ヴァイオリン組曲第二番ニ短調のフィナーレ。単独で名ヴァイオリニストの演奏会の掉尾を飾るほど重みのある曲。

全てのヴァイオリン音楽のみならず、すべてのソロ楽器のための音楽の中の最高傑作とさえも言われています。

ある音楽評論家に「バッハは一丁のヴァイオリンで宇宙を表現した」とさえ言わしめたほど。

SDXLに描かせてみたバッハのシャコンヌの宇宙のイメージ
ヴァイオンと弓までが舞っている。
楽器の形がおかしいけれども(笑)
AIはこのようにどこかでリアル描写に破綻をきたします

それではシャコンヌの何がどれほどに凄いのか?

アップビートの音楽

楽器の魅力である音色を度外視するならば、純粋に作曲として、わたしが思うところのシャコンヌの素晴らしさの秘密は徹頭徹尾、アップビートの音楽であること。

クラシック音楽はアップビートではないなんて定説は誤りです。

前回アップビートの話はこちらで詳細に語りました。

西洋音楽のビートには拍があり、拍の中のビートにはアクセントがある。

アクセントがないと拍の変わり目がわからないし、また音楽は前に進んでゆかない。

そして音楽を前に進める力こそが、アップビート、裏拍の強調

シャコンヌは弱い拍の第二拍めから、音楽が始まります。

第二拍よりも強い、冒頭の強拍の第一拍がシャコンヌでは含まれていないのは意図的なのです。

冒頭には第一拍目の休符は存在しない
アクセントのない二拍目から開始
つまりアップビートでアクセントは二つ目の音符に
三拍で区切る縦線、これがこの曲の最小単位
これが何度も繰り返されてゆく
演奏のためのフレージングは後ろの音符も伴って
もっと長くなりますが

楽譜にアクセントとフレーズの区切りを入れると

ラーァ|ミーミーィミ|ファー…

となり、「ラ・ミー」という拍子を跨ぐフレーズが強調されるのです。

ターァタ・ターターァタ・ターというアップビートアクセントのリズムが繰り返されてゆく。

声楽的(管楽器的)には、第三拍目のラの直前に大きな息継ぎをしているともとれますね。

全ての音楽は呼吸で出来ているので、正しい場所でブレスを取ると、アクセントが正しく機能する。

シャコンヌは冒頭からアップビートに煽られて、どんどん前に進んでゆく音楽なのです。

言い換えるならば、シャコンヌはリズムが何よりも大事な舞曲、つまりダンス音楽なのです。

でも肉体的に踊れない、精神的なダンス音楽。

ショパンのワルツ(三拍子の舞曲)も同じく踊れないですね。

バッハを心から敬愛したショパンはシャコンヌを参考にしたでしょうか。

聴いているとジャズを聴いているかのように、体が揺すぶられる。音楽の呼吸に合わせて自然と体が動き出す。

アップビートは音楽の生命力。

だから30変奏もある256小節の長大なシャコンヌは十分以上も続けて聴いていても疲れないし、あっという間に音楽の世界に聴き手を引き込んでしまう(演奏する方は消耗してしまうけれども)。

こんなに長いのに全然飽きたりもしない。素晴らしい映画を見ていると、三時間でもあっという間みたいな感じ。

バッハがジャズに通じているといわれる所以です(バッハの方がジャズよりも数百年古いので、正確にはジャズがバッハに通じているのです)。

もしこれが一拍ずれて、アップビートではなく平凡なダウンビートだとすると、

音楽の最初の部分が強いと音楽が鈍重になる。

ターァタター・ターァタターでは体は自然に揺れないし、踊れない。

息継ぎが不自然。

前になかなか進まない。

眠たくなってしまう。

この三拍子をアップビートにしてアクセントをずらして第三拍めを強調しても、三拍目の音は八分音符ではなく倍の長さの四分音符なので

「ターァタター・ターァタター」は「ターァタ・ターターァタ・ター」の力強さには遠く及ばないのです。

心は踊らない。

第一拍の終わりのラの音が短い音符であることでアップビートが活き活きと動き出すのです。

ジャズでは、よりアップビート感を高めるためにさらに短い十六文音符や三十二文音符だったりもします。例えば、Tea for Twoとか。

アートテイタムの弾く典型的なアップビート
撥ねる音とシンコペーションが音楽を前に引っ張ってゆく
聴き手の我々も引っ張られる

ダンス、ダンス、ダンス

シャコンヌの魅力はリズムが変化してゆくダンス音楽であることが絶対的です。

リズムセクションの役割を果たしてくれる鍵盤楽器や低音楽器がないことを逆手にとって、旋律楽器のヴァイオリンをリズムの楽器としてバッハは無伴奏曲を作曲したのでした。

バッハの無伴奏ヴァイオリン曲は組曲パルティータ三曲にソナタ三曲の合計六曲ありますが、どれもリズム要素が強調された音楽ばかり。歌うよりも踊る音楽なのです。

一本のヴァイオリンが手を変え品を変え、まるで万華鏡か、銀河系のある星空のように、色鮮やかなダンスは変幻無限して姿を変えてゆく。

その無伴奏ヴァイオリン曲の白眉がシャコンヌ。

個々の変奏も意味深い。

あまりに専門的になりすぎるのでここでは多くは語りませんが、シャコンヌのリズム変奏の多彩さは比類ない。

時には無窮動曲のように三十二分音符の連鎖、旋律楽器なのに多声音楽にして違うリズムのメロディを同時に歌わせたり、印象的な同音反復を用いたり、いろんな長さの音符が組み合わせて面白いリズムパターンを変容させてゆきます。

終結部近くの第28変奏、ラの音を連打しつつ(保持しつつ)、細かい音符が上下していく部分を聴くたびに感動します。

有名な「トッカータとフーガニ短調」のトッカータ部分と同手法なのですが、こちらの方がずっとリズムの凄さを体感できるのです。

「ラファミ」という具合にドミナントのラ音の周りを飛び交う音符。シャコンヌの主役はリズムなのだと実感します。

リズムはアクセントを変えることで変幻。三十の変奏曲の変化の源はリズムそのものなのです。

ヴァイオリン音楽なのに「ポリフォニック=複数の音が同時にある音楽」であることも驚異的!

弦の重なり合う音(重音)の妙も第28変装の魅力ですね。

ピアノ版では普通の和音になってしまって、ここまで音色の変化を体感できないのですが。

ピアノのバッハ

それでは、シャコンヌを、打楽器であるピアノで弾いてみると

打楽器とリズムを強調したダンス音楽の相性がいいことは理論上この上ない。

だからピアノのシャコンヌは悪くないはずです。

以前から何度も繰り返して書いてきましたが、バッハをピアノで演奏することは本来はおかしなことです。

バッハは19世紀の巨大なコンサートホールで演奏されるために改良された、巨大な音を鳴らすグランドピアノのためには決して作曲しなかったのですから。

モダンピアノが発明されたのはバッハ死後のベートーヴェンの時代のこと。

でもですね、バッハは宇宙の鳴動をも思わせるほどの巨大な音響を作り出す教会堂の大きなパイプオルガンのために作曲した人でした。

そういう稀有壮大な音楽に全曲リズム動機が主体となって作られている無伴奏ヴァイオリン曲のシャコンヌは匹敵すると思います。

バッハにしても、畢生の類い稀なるアップビートのダンス音楽だからです。

シャコンヌの場合、ピアノでも壮大な抽象音響世界を作り出すこともできると思います。楽譜のままにアップビートにピアノでダンスすればいいのです。

ブゾーニ編曲版の名演

まずは20世紀初頭のイタリア人作曲家ブゾーニの両手のシャコンヌ。

2002年録音のイレーヌ・グリモーの超名演をこうしてYoutubeから視聴できることは本当に我々は幸福です。世紀の名演ですね。

ブラームス編曲版の名演

左手によるシャコンヌ。こちらの方が渋くて通好みな編曲です。片手だけの演奏は映像付きだと、とても見応えがあります。

動画はありませんが、現代最高のピアニストの一人であるグリゴリー・ソコロフのライヴ録音は必聴。

グランドピアノの美音を徹底的に究めたような演奏表現がとても感動的です。音響的に大変に優れた録音です。

良く歌うピアノでありながら、リズムを強調する部分では心躍ります。

言われなければ、これが片手だけの演奏だとはにわかに信じがたい。

オリジナルのヴァイオリン演奏

ブラームス編曲に通じる渋いヴァイオリン演奏としては、バロックヴァイオリンの大家ジギスムンド・クイケンの演奏がいいですね。

From YouTube

2017年に彼の実演に接したことがありましたが、三度もこの曲を録音しているクイケンは、黒字のファクシミリ版のバッハ自筆楽譜を譜面台に弾いて演奏していました。

クイケンはこの楽譜を知り尽くしているはずなのに。でも楽譜を置かずにはこの曲を演奏しないという姿勢。

彼のバッハへの敬意には頭が下がります。

バッハの手書きの楽譜は本当に美しいので、お守りのように譜面台に置いておいただけかもしれません。

印刷されているかのように美しい
バッハのシャコンヌ自筆譜
バッハの几帳面な人柄が偲ばれます

シャコンヌの名録音は名ヴァイオリニストの数だけ存在すると言っても過言ではないほどに、全てのヴァイオリニストが演奏する超名曲なわけなのですが、インターネットで聞けるものとしては、やはりヒラリー・ハンの現代的な演奏は素晴らしい。

ヒラリーの演奏は20世紀のブゾーニ的でしょうか。

でも演奏動画付きのものは見つからないので、別の女流、この動画はどうでしょう?

もしピアノで弾いてみようと言われる方は、ブゾーニ版よりもブラームス編曲の左手のためのシャコンヌを弾いてみてください。楽譜はIMSLPから無償でダウンロードできます。

右利きのわたしには、バッハの「シャコンヌ」という不滅の名曲をブラームスを通じて細部まで学ぶことができて、とても勉強になりました。

本当に怪我の功名なのでした。

ブラームス版
中間部(第20変奏から)でニ長調に転じた部分。
ここで音楽の世界がガラりと変わる
同じメロディで同じリズムなのに別世界のように響く

表現される世界は人間的な感情ではなく、
人を超えた大自然や大宇宙を思わせる。
とてつもなく雄大な空や大自然を見つけると
日常的な世界のことを忘れて
人は畏敬の念を抱いてその世界に引き込まれてしまう

シャコンヌはそんな超自然的体験を
体感させてくれるような凄い音楽なのだと
わたしは思います

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。