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第83話・2004年 『戻るか、男女代表の活気』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

2月、男子代表チームがカタールでの9ヵ国による第11回アジア選手権に乗り込み準決勝へ進出、ホームのカタールを27-23で破り、クウェートとの決勝は24-28で敗れたが、1991年広島で行なわれた第6回以来久々の準優勝を飾り翌年の第19回世界選手権(チュニジア)への出場権を手にした。熊本大会(1997年)以来4大会ぶりだ。大会に参加したのは中東圏以外は日本だけ。

女子は7月、広島で行なわれた第10回アジア選手権(第9回ヒロシマ国際)で、韓国と中国が8月のアテネ・オリンピックを控えて若手中心の布陣で参加したこともあり日本が順当勝ち、初優勝した。

男女代表の活気を甦らせるきっかけになるだろうか。期待が高まる。

国際ハンドボール連盟(IHF)が、ビーチ競技の第1回世界選手権を11月エジプトで開くと決めたため、アジア・ハンドボール連盟(AHF)は急きょ各国に参加の意思を問い、1ヵ国の代表を決める予選を第1回アジア・ビーチ選手権とした。女子は7月千葉県富浦町(現・南房総市)で日本-香港の1試合を行ない、日本が2-0でストレート勝ち(男子はエントリーせず)。

世界選手権には香港も参加することになり、8ヵ国による総当たり戦でビーチ競技の経歴を持つ社会人、学生による日本は1勝6敗の7位。初代勝者は男子がエジプト、女子がロシアだった。

日本協会が女性進出を促進する目的で組織内に「女性委員会」を設けた。1943年以降のいわゆる「戦中」は高等女学校、女子体育専門学校、女子師範学校などの愛好者によってハンドボールの灯は守られた歴史があり(第22話第23話参照)、組織運営や競技面で女性の活躍は盛んだったが、日本協会執行部などへの登用は遅れ、ようやく扉を開ける姿勢がとられた。

第84回は10月15日公開です。


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