米津玄師がとにかく好きだっていう話
久しぶりにインスタライブの通知に気付きました。インスタ通知音の鳴らし方がわからないので忘れがちなのですが、米津玄師さんによるライブです。ツイキャス時代からたまに聴いています。
本当に今日はラッキーでした。
米津さんはいつもお酒を飲んで酔っ払いながら話をしてくれるのですが、その言葉がとても深いのですね。なので聴けると嬉しいです。
美しい日本語
インタビューでも思いますが、本当に使う日本語っていうのが美しいんです。ファンの方達はそれを「語彙力がすごいですね」と表現しますが、要するに国語力が高すぎて難しいのだと思います。
本人も純文学を読んだりしていることを明らかにしていました。そしてもちろん私自身も全ての言葉についていけているわけではありません。
けれども米津さんがインスタで文章を書いているのに、その内容についてほとんどの人がコメントせず、「いつも曲を聴いています」など見当違いのことを言っていてさすがにびっくりしたりもしました。
最近は文章に含まれている比喩表現だとか、行間を読む能力がなくなっているということをよく耳にします。
私自身そういった文章がうまく書けるかといえばそうではありません。思ったことをみんなずらずらと書き連ね、書き手に想像させたり考えさせるようなことをするのは難しいと感じています。
ですが、後者のような文章の方が趣があり好きだという方もいます。
難しいですね。私は一応どちらも書けはするのですが、性格的な面ではっきりものをいうのが好きなので前者の書き方を選びがちです。
けれども「沈黙は金雄弁は銀」という言葉もあり、雄弁に思ったことを語るよりも沈黙をうまく使いながら、表現をしていくのも素敵だと思います。米津さんは曲によってそのバランスを使い分けていると感じます。
多くの人に届く表現
実際にFlamingoという曲を聴くと特にそう思います。韻を踏んだり言葉遊びや日本語の美しさが際立っているんですよね。
こういう曲がヒットしているのを見ていると、私も本来の「noteではそぐわないような書き方」に戻していいものなんだろうかと迷います。まあ、対してうまいわけでもないんですがね。
けど憧れますよね、米津さんには…….。
flamingoとは逆に、わかりやすい日本語でヒットしている曲の方が多いですね。Lemonもそうですが、アイネクライネとか。
といっても私が好きなのはドーナツホールっていうボーカロイド時代のカバーの曲なんですがね。けど歌詞が切なくてとても好きです。
米津さん自身、最初に作ったアルバムが自分にとっては最高傑作だと感じていたらしいです。けれども自分がそれ以降も活動していく上で、「多くの人に聞いてもらいたい」というようなことを感じたことから作る作品を変えていったと聞きました。
「適当」の意味
また今回のライブで「適当に生きる」というのが座右の銘だと米津さんが言ってました。
適当に生きるっていうのはどうでもいいと思って生きるという意味ではないと考えます。ちょうどよく自分なりにバランスを保つということ。自分の行動に責任をもって、できないことも受け入れること。
つまりできていない時の自分を自分自身が許すっていうことが含まれているのです。この言葉は自己肯定感に繋がってくるのですね。
今の自分ではだめだ、変わらないといけないっていうのは向上心でもあります。そういう価値観もありますが、自分が無理しても変わろうとするのは違うっていうことも言いたいんじゃないかと感じました。
米津さんは変わっていくのは美しいとも言っているので、変わろうとすること自体を否定しているわけではありません。
あくまでも自分の意思で変わるということを決めるっていうことと、その判断は自分が苦しくなるくらいに無理にはやらなくていいっていうことではないかと思います。
その判断はあくまでも自分が楽しいように、ただそれは怠惰という意味ではないようにと。それを「適当に」と米津さんは表現しているわけです
この解釈で合っているかわかりませんが、私はそういう意味ではないかと思いました。
自分を受け入れる
私はつい一生懸命に頑張ってしまい友人たちに「あまり無理しないようにね」「肩の力を抜いたほうがいいよ」など言われてしまうタイプです。
それは頑張っている自分が好きだということも関係していますが、もしかしたら休んでいる自分や変わろうとしない自分を許せないということに関係しているのかもしれないと思いました。
先ほども少し言及しましたが、これは自己肯定感の問題になります。
ありのままの自分を受け入れるということが難しいのです。何かができない自分、何かを失敗した自分ということの方がわかりやすいし、意味としては近いかもしれませんね。
簡単に言えば、自分の欠点を受け入れることが難しいということです。それも自分だということを認めることがなかなかできないということです。
前者は自分の欠点を受け止められず、自己否定的な考え方になってしまっています。後者は自分の欠点を受け止め、さらに自分が頑張ったことも認めています。この考え方の違いがどんどん響いてきます。
おそらく米津さんが言った「適当に生きる」という言葉とは、こういった劣等感を刺激されるようなことを気にしすぎず、うまくスルーして他の楽しいことに目を向けるといった意味だったのだと思います。
米津さんも最初はバンドを組んで音楽をやっていたらしいのですが、どんどんボーカロイドの方の音楽制作が楽しくなり、そちらをメインでやるようになっていったと言っていました。
そしてハチ時代を経て今の米津玄師での活動に至るわけですから、すごいですよね。
好きで始めたことができなくなる
私も文章を書くのが好きで今もnoteをやっているのですが、米津さんのインスタライブを聴くまではしばらくお休みしようか……なんていうことを考えていました。
自分よりもずっとうまい方がいて、自分は全然できていないと思うことが多くなり苦しくなってしまったのです。合っている表現か自信がありませんが、これは劣等感というものでしょう。
最初はとにかく書くことが好きで始めたことが、いろんな現実を見ることで楽しくなくなっていました。
けれども米津さんが楽しいことをやっていくといいと言ってくれたことで少し吹っ切れた気がします。これからも道に迷うこともあるかもしれませんが、私も適当に自分のペースで好きなことをやっていこうと思います。
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