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私の欠点 ー愛着障害とADHDー

私はどうしようもない人間だな、と思うことがよくある。


「そりゃ人間誰にだって悪いところはある」とか「そういうのは仕方がない」とか、「そういうのあるよね、自分もそうだよ」とか


そういうのは有難いけどいらない。


ただ私が自分の至らない点を書き記したいだけだ。
いつかこの記事を見て「私そういう所あったな〜」と思いたいだけの記録に過ぎない。思える日なんて来るのか。



人を傷つける


よく人を傷つける。喧嘩もよくする。色んな人と何回も衝突を重ねてきた。


自分の言いたいことを素直に伝えられない。伝えたいけど伝えられなくて、上手な伝え方も分からなくて最悪の形で感情が爆発することもたくさんある。


傷つけて、大事な人が離れてやっと自分の犯した過ちに気付く。

気付くのが遅すぎる。大事な相手のことを何だと思っているんだ、と何回も思ってきた。なのに変わらない。変われない。


そんな自分に飽き飽きしているし、何度も嫌気は刺しているが自分で人生をやめない限り私は私と生きていくしかない。

私は私という存在から死ぬまで逃げられない。



感情の抑制が効かない


俗に言うドメンヘラだ。もう本当に勘弁してほしい。


感情の波が本当に凄い。万年自分は生理中なんじゃないかと思う。

いや本当にPMSも酷いし本当に周りに迷惑をかけるし自分もその後の自己嫌悪で死にたくなるからやめてほしい。


いつか現役時代の依頼で、パートナーが愛着障害かもしれなくて対応に困っている、という相談を聞いた。

愛着障害について無知な私は依頼のメールをいただいた瞬間にネットで調べた。


びっくりした。自分の自己紹介かと思った。


ああ私って障害持ちなんだな、と当時思ったのを今でも覚えている。

覚えているというか、実際そうなんだけれども。


私じゃねえかこんなの
私じゃねえかこんなの(2回目)
出典:http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-21/


自分のことを知れた安心と、改善方法が載っていないことに絶望した。

こんな面倒臭い特徴を抱えて生きていかなければならないのにどうしていけばいいんだ、と思った。自力で頑張るしかないが改善されるまでに何人の大事な人を傷つけていくんだろうと。


精神科医にも相談したが愛着障害は名称はついているが病気としては確立されていないというような旨を聞いた。もう本当に勘弁してほしい。薬で多少抑制が効くなら効いてほしい。誰か有識者がいたらX(twitter)でDMください。


部屋が汚い


ADHDの特徴の一つだ。

というかADHDは父親の遺伝でかつ絶賛今鬱病も患っているのだが、鬱病は母親譲りの遺伝である。とんでもない社会のバケモンが爆誕してしまった。社会に申し訳ない。

話が逸れた。

私は注意欠陥型と多動傾向の2種類のうち多動傾向の方が強いが、もうとんでもなく部屋が汚い。毎回私の家に来ると恋人も友人も絶句する。申し訳ないなと思う。


だらしない人間と言われたらそれまでだし実際そうなんだが、もう正直どうしようもないと思っている。将来もし結婚するとしたら絶対に別居婚がいい。それか家政婦さんを雇いたい。雇える金は無いけども。



友達への連絡を疎かにする


これも本当に申し訳ないと思っている。予定が組めない。

これも何かの病気なんじゃ無いかと思っている。そうでなかったら私がただだらしなくて人を大事にできない人間なだけだ。


遊ぶ日程の連絡をしているのに普通に返信しなくなる。流石に頭が沸いている。
バイトも行けなくなる。仕事も行けなくなる。自分で組んだシフトなのに。


何で返信できないんだろう。何で上手に予定を組むことができないんだろう。

皆普通に出来ていることなのに。



終わりに


「終わりに」なんて書いたが全然終わらない。まだまだいくらでも欠点なんてある。けど書いてて辛くなってきたのでこの辺りで一旦閉じたいと思う。


自分は自分から逃げられない、と上に書いた。

逃げられないなら、自分で死を選ぶことができないならせめて少しずつ周りに迷惑をかけないように、自分が生きやすくなるようにしていくしかない。

その方法を知るために今生きている。こんな私だがやりたいこともある。


いつか死にたくないと胸を張って言える日まで、私が私の生を謳歌できる日まで死んでも生き続けたいと思う。



追記


正直、自分の欠点を見つめ返していると

「いやもうどうしようもね〜な〜〜(白目)」

となる。最終的に。


今すぐに自分を変えられる訳では無い。
変える努力をし続けて、ふと振り返ったら「あれ?前よりマシになってるかも?」となるのを期待するしかない。


即座に変えられるものでも無いことを見つめ続けて自分を責め続けるのはゆっくりと死への選択が近付くだけだ。

だからもし、この文章を読んでくれた人で、自分を責め続けている人は少しそれを休んで欲しいなと思う。


人生は長い。短いようで全然長い。この先を想像したら普通に気が狂いそうになる。死にたくなる。でも死ねない。


私は自分で死を選べるほど強くないし、死にたい割にはこの世に未練がありすぎる。


 家庭環境は悲しい位に終わっているが、愛情は受けながら生きてきた。愛情だと以前は気付けなかったが、あれは愛情だったのかもしれないな、と思うこともある。難しいけど。


有難いことに友人もたくさんいる。本当に有難い。
結構頭沸いてるのによく仲良くしてくれるなと思う。頭沸いてる人間ながらに仲良くしてくれている人達には精一杯向き合って大事にしていきたいと思っている。


脱線したが、一つ言えるのは死にたい気持ちには波があるし、死にたくないと、生きていて良かったと思える瞬間がある。私にはあった。


辛い時は「そんなの知らねえよ今が死にたい程辛いんだよ」となる気持ちも分かる。痛いほどわかる。


希望なんて無いと、生きる意味なんて無いと、ただご飯を食べて寝るだけのこの体になんの価値があるんだと、そう思う夜もいくつもある。


でも残念なことに、有難いことに人生は長い。


きっと大丈夫。何の希望にもなれないかもしれないけど、こんな言葉では絶対に救えないけど、でも大丈夫。


この文章を読んでいる貴方にも、生を選択している私にも、「生きていて良かった」と思える瞬間がこれからたくさん起こることを祈っています。



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