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滅びて欲しいと思っていた地元がいざ衰退していく様をみると辛い

この間、つい好奇心で地元のgoogle mapを調べた。結論から言うと、びっくりするほど衰退していた。高校の時に映画を見たりプリクラを取ったりした商業施設は潰れ、通っていた小学校は閉校となり、車で行けた大きなスーパーも軒並みなくなっていた。

◇ ◇ ◇

私は東北出身だが、大学と共に上京し現在はかなり栄えた土地で暮らしている。人が溢れてコンビニも近所にあって、百貨店やルミネなんかも電車で一時間以内にいけるような場所だ。

当然地元はその対極にあって、コンビニもない。最寄り駅までのバスもなく、2時間かけて歩くしか電車に乗る方法がない。電車も1時間に1本来ればいいほうで、車両も1車両しかない。

時折SNSで田舎に移住したものの、その土地の人によそ者扱いされて結局逃げたなんて話とか、老後は田舎でスローライフを、なんて話を耳にすることもある。でも、田舎で18年暮らした身からすると、失礼ではあるが「田舎暮らしに夢を見すぎではないのか?」と思ってしまう。

例えば環境的な面からすると東北の冬は雪がたくさん降る。あらかじめ降ることが分かっていて、朝起きたら除雪車が大きな道を綺麗にしてくれていることもあるけれど、それ以外の自分の土地は自分で雪をかかなければならない。2時間かけて雪をどかしても、まだまだ降るので次の日も外に出なければならない。

また人に関しては、(私の体感では)非常に閉鎖的だ。幼稚園、小学校、中学校まで一クラスしかなかったので、どこかで人間関係をうまくやっていけない出来事があると詰む。それだけならまだいいけれど、あからさまにいじめられても逃げることができない(ちなみに私の学校は荒れており、教師や生徒間での暴力も当たり前だった)。不登校になろうものなら町中に噂が広まって、「あいつの家はこうだ」「学校での態度がどうだ」「誰と誰が付き合っている」などとプライバシーが尊重されることはない。

そんなわけなので、地元にとどまるのは地元でいい思いをした人か、圧倒的に勉学の大切さを知らない人だけになる(勿論介護とか知的な障がいとか、家にお金がないとかで抜け出せない環境の人もいる)。ただでさえ若い人が少ないのにさらに減り、人が減るから消費も減り、店もなくなり、また閉鎖的になり…と悪循環を繰り返して最終的に縮小していく。

私も例外なく「地元でいい思いをしなかった」人間なので、高校は隣の市まで行かなければならないような場所に通っていたし、大学進学と共に上京した。そして社会人になった今も地元へ行かずにいる。

本音を言うと、地元を出る時「こんな閉鎖的な場所は淘汰されたほうがいい」と思っていた。実は今でも思っている。変化を嫌い、外から入ってきた人間を排除する癖に、町の発展を願うという自己矛盾を孕んだ我儘さの中で、犠牲になるような人間を見るのは心底嫌いだ。

私は虐待を受けていたし、勉強ができるという理由だけでいじめも受けていた。「お前みたいに勉強だけできても、将来秋葉原無差別殺人のやつみたいになるんだ」という謂れのない呪いもかけられていた。部活でたまたま良い成績を挙げた時も、「お前は調子に乗っている。いじめられっ子のくせに」などと理不尽極まりない扱いだった。すべての経験に意味はあるのかもしれないけれど、じゃあ先に挙げたような経験を買ってまでしたいか?と問われて頷く奴は相当なドMだろう。

これらの経験が私に齎したのは、自己否定や自尊心の欠損、そして双極性障害Ⅱ型といったもので、上京できなければどうなっていたかを想像するとぞっとする。そして特に双極性に関しては一生付きまとう。この間も躁状態で恐ろしい状態になりかけた。これをどう自分の糧にしようというのだ。

私の心を傷つけ、何億積まれようが許容できないような人や環境に関して「憎い」と思う以外の感情は持てず、かといってそればかりでは生きていけないので、栄えている土地の養分を取り入れることでそれを限りなく自分の中で薄めた。薄めて、記憶の底にある地下倉庫を掘り当てなければ思い出せなくなるまで存在を追いやった。都会の人は冷たいというがそんなことはなくて、暖かな人や環境の中で自分がどんどん回復していくことがわかった。目の前には地元の人なんかいなくて、私ももうあの頃の自分とは違うはずなのに、どうしても時々内側から爆発しそうな憎悪が自分を襲った。

それなのに、なぜ衰退した地元を知って辛いと思ったのだろうか。
私の望みが今まさに叶っている最中なのに、どうしてこれだけ心が痛いと感じるのだろうか。

憑りつかれたかのように知っている場所を手あたり次第調べていく。中学校、陸上の練習をしたグラウンド、通っていた高校、1人暮らし先…。

恐ろしいくらい心臓がバクバクして、スマホをいじる指が震えて、過去の記憶が鮮やかに蘇った。下駄箱の靴に画びょうを入れられたことも、通っていた幼稚園で性被害に遭ったことも、忘れていたはずなのに何もかもが鮮明で、今にも手に取れそうなほど生々しい痛みが胸を貫いた。

と同時に、いくつかの顔が浮かんだ。

中学生の時に、いじめられていた私の話し相手になってくれた友人。
荒れていく家の現状を泣きながら話して、親の説得と1人暮らしの準備を整えてくれた遠縁の親戚。
ヒステリックな母親から守ってくれた叔父や叔母。

みんな今はどうしているのかは知らない。親と縁を切り、地元を捨てた私が地元の人と連絡を取ることはすなわち今の幸せを手放すことに繋がるから。

でも、確かにかつて私を助けてくれた。地元と一括りに見ていたけれども、あの場所には私が親やいじめから逃げるために、私が未来を生きていくために手を貸して心を砕いてくれた人もいた。

そして私の根底には、地元の野山を走り回っていた記憶がある。
地元でとれた魚や野菜を食べて育ったという事実もある。

地元の衰退は、お世話になった人がそれに巻き込まれてそのまま死んでいくことの辛さや、自己の根底が根こそぎ消えてしまうような侘しさを彷彿とさせていたんだ。

もし、もっと早くに信頼できる大人と出会っていたら。
もし、もっと早く家庭から出られていたら。
もし、私が進学を望まない生き方を希望していたら。
そうしたら、衰退しなかったのだろうか?
もし、もし、もし…。

あるはずのない「もし」が頭を駆けずり回ってから、それは無意味な問いだという現実だけが目の前に残った。

私はどれも選べなかった。選ばなかった。生まれた家庭、環境、他者との関わりの中、今の道を選んで生きてきた。あの時別の道を選んでいたら、死んでいただろうと思うような分岐点だって幾度なく遭遇していた。それに、たかだか私一人でどうこうできる問題ですらないことは自明だ。

地方の人口減少に関する問題なんてとうのとっくの昔から議論に挙がっているのに、一向に改善しない。私の倍以上生きている大人が考えているのに、力のない私が考えられることで何かが解決するなんて思い上がりだ。

じゃあ、どうするのか?というと、もう生きていくしかない。お世話になった人が衰退によって不便な思いをしていても、自己の根底を証明するような場所が消えていっても、私は生きていく。そうして、私の住んでいた場所には素敵な方がいたという事実や、自分の根底にある地元の風景を伝えていくしかない。経験を語れるのは生きている人にだけ持てる特権だから。

これからきっと色々な人が地方から首都圏や政令指定都市に移住していくだろう。衰退はもう止められない。たかだか10年程度であそこまで消えていくとは、なんとなくしか把握していなかったけれど想像以上だった。

でも、いつかもう一度地元に行けたら、と思っている。
実は地元のアンテナショップが近くにあるのだが、レストランも併設されている。そこで食べた地元の魚や酒は懐かしさと舌に馴染むような感覚をもたらし、自分の根底にあるものは変えられないことを実感する出来事となった。

自分の知っていた場所が変わってしまったことを見るのはつらい。
でも、もう一度あの美しかった風景を見たい。地元の魚が食べたい。地元の酒蔵に行きたい。できればお世話になった人に会って、あの時の御礼を言いたい。そして、地元の記憶を辛いだけのものから別の経験で上書きできれば、と思っている。

普段は都会で地方の作物や電力をじゃんじゃん使っている身がこう望むのは都合が良すぎるかもしれないけれど、いつか、できたら、と思ってしょうがない。




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