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「君たちはどう生きるか」感想&考察【ネタばれあり注意】

*ネタバレのある考察記事だよ。

まず最初に一言。

「こんな大傑作を作ってくださって、本当にありがとうございました」

あのラストで、感極まって号泣した。34歳のおっさんが。人目も気にせず。やばかった。

さて、考察を書くにあたって、あらすじを書いていこうと思う。
ネタばれ全開なので、注意してほしい。
 

【起】理不尽で無情な世界

火事のシーン。戦時中。空襲か何かか。
父が、主人公眞人(まひと)の母が入院している病院が燃えていると伝え、家を飛び出す。

少年は寝巻のままゲタを履いて家を飛び出すが、すぐに家に戻って服に着替え、ズックで病院に向かう。

しかし、少年が辿り着いたころには病院は焼け崩れる最中だった。
母は死んだ。

眞人に罪悪感が芽生える。
自分が母を助けられたかもしれないのに、と。
(もちろんそんなわけはないのだが)

服に着替えなければ、もっと早く駆け付けられていれば。

それから2年後、父と一緒に東京を離れる。
恐らく東北の方。

駅に降り立つと、そこには眞人の母にそっくりな人が立っていた。
彼女は母の妹であり、叔母にあたる人だ。
そして彼女から再婚することと、父の子を懐妊していることを告げられる。

母に似た人を見つけた懐かしさと、父の母に対する裏切りを咎めるような怒りとが眞人の心中に沸き起こる。

母は死に、父は新しい家庭を作ろうとしている。
戦争は終わらず、人は争い、死に向かって出征していく。
眞人にとって、この世界は理不尽で無情な世界であった。

そしてこれから彼が住まう家に到着する。
それはあまりにも、な豪邸であった。
そこは高台にあり、父の所有する工場までをも見渡せる。
(山に金持ちが住む。父は軍需産業のオーナーで超金持ち)

そこにアオサギが降り立つ。
アオサギは少年に何かを伝えようとまとわりつく。

少年は着いた早々に睡魔に襲われる。
まどろみのなか、母が病院で焼け死ぬ夢を見る。

母が言う。

「助けて…」

彼の中で、母は苦悶の中、非業の死を遂げているという認識だからこそ、母の幻聴が聞こえてくる。

眞人は涙で目を覚ます。
すると、先ほど軒先で見たアオサギが飛んでいくのを発見する。
眞人はアオサギを追って、部屋を出て、広大な敷地の片隅にある塔を発見する。

ここでピンと来た。
この話は不思議の国のアリスなのだ、と。

アオサギ=ウサギが塔の中に入り、眞人も塔の中へと入ろうとする。
すると、年老いた女中たちが心配して眞人が魅入られるのを止める。
眞人は女中たちの説得によって、現実世界に戻ってくる。

塔の中は非現実である。
だって不思議の国のアリスだからね。

ちなみにこの7人の女中は、白雪姫の7人の小人である。
ディズニーが好きな宮崎駿らしい遊び心だと受け取った。

話は劇に戻して。

その日の夜、眞人は父と話がしたくて、夜更けまで父の帰りを待っていた。新生活の不安や、母や叔母について語りたかったのだろう。深夜に父が帰宅してくるが、新しい母となる叔母が父を出迎え、キスシーンとなり、眞人は気まずくて部屋に戻った。

そのとき、母を想う気持ちから眞人は炎の幻視をする。もちろんこの炎は病院で母を苦しめ、殺した炎である。そして父への怒りでもある。母は不憫にも焼け死んだのに、新しい女を迎えよってからに、と。

翌日、眞人は学校へ行く。
父の車で学校に乗り付ける、超ボンボンとしての登場であり、田舎者の同級生たちは当然の如くやっかむ。下校時にもみ合いとなり、乱闘に発展。眞人は多勢に無勢で敗北する。

その帰り道、眞人は石を掴み、自らの側頭部を殴打する。
こめかみが切れ、激しく出血する。

これは眞人の計算である。
けんかに負けた腹いせに、大事にして父の力を借りて報復してやろうという魂胆があってのものだった。
そして眞人の思惑通り、父は狼狽し、「必ず復讐する」と息巻いた。
眞人は満足して眠る。

そして夢うつつ、アオサギがやってくる。

眞人はアオサギと対決し、戦う。
なんとかアオサギを追い払うことに成功するが、それは夢の中だったと知る。

こめかみの出血と相まって、眞人は夢と現実の区別がだんだんつかなくなっていく。

そしてまたアオサギがやってくる。
アオサギが去り際に、眞人に知られない場所でつぶやく。

「助けて…」

これは眞人が現実には聞いたことのない母の言葉である。

つまりこのアオサギは眞人の感情を表している。

そう、罪悪感である。

アオサギ=罪悪感は眞人にまとわりつき、眞人を苦しめる。

そして何度かの接近の末、ついに眞人はアオサギと対峙する。
アオサギは姿を変え、人の目を見せる。

そう。彼は鳥ではなく人なのだ。眞人の心なのだから当然なのだが。隠された気持ちだからこそ、普段は鳥の姿をしている、ということか。

そして彼は告げる。

母は生きていると。

眞人は動揺し、体が固まる。
それは「信じたい願望」であり、「いつまでも見ていたい夢」である。
罪悪感から逃れるために、彼は「母は死んでいないはずだ」と死すらをも否定しようとしていた。

そのとき、叔母なつこが鏑矢を放った。
空を切り裂く音が、眞人を呪縛から解き放つ。

なつこは、すでに保護者であり、母であった。
眞人を真剣に探す想い、心配する想いは、産みの母親にも劣らぬものだった。

自分を白昼夢の呪いから救ってくれた叔母の愛に感謝しつつも、眞人は意識を失う。

そして後日、叔母なつこが倒れる。
眞人がたびたび部屋から抜け出し、行方を晦ますため、その心労と、つわりとが重なり、寝込んでしまったのだ。

父や女中たちから「見舞いに行ってやれ」と催促されるが、眞人はそれを承服しかねる。
母を奪った女、とどこかで思っているからだ。

それでも最後にはいやいやなつこの寝所を訪ねる。
そこでそっけなくたった一言の見舞いの言葉を放つ。

なつこは涙を浮かべながら、こめかみの傷をなでる。
その手は暖かく、母にそっくりで、思わず撫でてほしいとすら渇望する。

そしてなつこが言う。
「こんな傷をつけてお姉さまに申し訳が立たない」と。

少年は母に対しても申し訳なく思う。自分までもがこの人を認めてしまったら、あなたはどうなってしまうのか、と。

それから眞人はそそくさとすぐに立ち去った。

 
 

【承】裏世界(死の世界)を航海する

眞人が部屋からアオサギを見張っていると、なつこが寝巻のままふらふらと茫然自失状態で森の中に入っていく姿を目撃する。

それから数時間経ち、屋敷は騒然とする。
なつこは行方不明になっていた。

眞人は理解する。あの意識が朦朧としていた状態は、自分の白昼夢と同じであると。
アオサギが彼女を連れ去ったのに違いない、と。

眞人は森の中に入り、彼女の足跡をたどる。
そしてあの「塔」にたどり着く。

塔はひとりでに明かりが灯り、眞人を誘う。

眞人が進もうとすると、女中が止める。
「罠ですよ」と制止するも、「罠でも構わない」と眞人は進む。
「あなたはなつこお嬢様にいなくなってほしいと願っているのに、変ですよ」と女中は尋ねる。
「アオサギは母が生きていると言ったんだ、確かめなければ」と母の安否を気遣う口実で塔に入っていく。

実は眞人はもうなつこを母として慕い始めている。
自分のことを手放しに、無条件に愛し、心配してくれる、母性の塊である叔母を。
しかし、そのことを認めたくないがあまりに、こういった口実を無意識に作っているのだ。

塔に入ると、アオサギとの大立ち回りが始まる。
少年はアオサギを自作の弓矢で射抜き、これを倒す。

そして塔の主が現れ、眞人をアオサギが案内するように、と告げる。
地面が溶け、塔の裏世界に突入する。

眞人は海岸に立っていた。寄せては返す波。
そして、そこに建っている洋館。
彼はそこに向かって歩き出す。

門の前で立ち尽くしていると、突然ペリカンたちが大挙してきて、彼を洋館の中に押し込んだ。

その様子を見て、キリコ(女中の一人、眞人と一緒に塔に入った)が船を漕いでやってきた。彼女はキリコと同じ服を着ていて同じ名前だが、年齢が若く、性格も豪放磊落で、共通点はあるが別の人間である。

塔の中の世界はワンダーランドであり、時や次元を超越した場であり、眞人の潜在意識でもある。

それは彼の中のキリコ像が変質した姿であり、彼を助けてくれる七人の小人の集合したメタファーでもあった。

洋館の中にいる眞人を助けに来たキリコ。
結界を張り、呪術を用いて難を逃れた。
ここは塔の主の管轄で、見つかると危ないという。

船を二人で漕ぎ、荒波を超え、ついに新世界=裏世界=死の世界へと到達した。

キリコが船を漕ぎながら言う。「ここは死人の方が多い」と。死人が船を漕いでいる世界だ。ここになつこがいる。
つまり、なつこは死の淵にいる。
心労とつわりとが原因の早産で死にかけているという暗示だろうか。

そして眞人はキリコとともに、ワラワラと呼ばれる存在に、自分たちが釣り、解体した魚の肉を分け与える。

そしてその夜、ワラワラたちが空へと旅立っていく。
ふくらみ、空へと上がっていく。

キリコは言う。これは魂であり、天に昇って上の世界で人間になるのだと。

と同時に俺は思う。
これは眞人の贖罪であり、罪の意識が昇華されていく瞬間でもあると。

巨大な魚を捌き、血や内臓にまみれ、穢れを負いながら、他人に奉仕することで、彼なりの贖罪を果たしたのだと。

次々と天に昇っていくワラワラ=魂=罪の意識。

しかしここで異変が起きる。
ペリカン(眞人を洋館に押し込んだ死の世界の住人=獄卒)が魂を喰らいに来たのだ。
せっかく昇華した魂たちが、獄卒につぎつぎに食われていく。

眞人が取り乱していると、ヒミさまと呼ばれる女が現れ、炎を操り、ペリカンを駆逐していく。
しかし、同時に魂をも焼き尽くしていく。

この炎は病院を焼いた炎であり、母を焼いた炎である。
そして炎の主こそ、眞人の母である。

ペリカンもワラワラも区別なく焼いていく炎は、善悪の二元論を吹き飛ばす痛快な炎だ。

この宇宙には善悪などない。
ただ自然があるのみ。

自然現象は対象を選ばない。
ただそこに存在し、いいも悪いもなく、影響を及ぼす。

ヒミはワラワラを焼いたことに関して、なんの罪悪感も持たない。
それは彼女が死を肯定し、受容しているからだ。

キリコはむしろ「これでペリカンはしばらくやってこないだろう」とヒミに感謝している。

しかし、眞人はそうではない。いまだに母の死に囚われている。だからこそヒミに「やめろ!!」と叫ぶ。

そしてペリカンは去っていき、ヒミも去った。

釈然としない気持ちを抱えたまま、眞人は眠る。
しかし、物音がして起きる。
庭に出ると、そこには翼の折れたペリカンがいた。

ペリカンは一思いに殺せ、と告げる。

どんなに空高く飛んでも結局はこの海に戻ってきてしまう。
我々はワラワラを食べるために存在している。
ここは地獄だ、と。

ここで彼は気付く。

誰もが本能に従って生きているのだ、と。

ライオンに罪悪感はない。ライオンがシマウマを食べてもなんの罪の意識もないだろう。
しかしペリカンは違う。知能があり、食べることに罪の意識がある。
これは人の抱える原罪と同様であり、ペリカンもワラワラもどちらも「ヒト」なのだ、と。

ここでもう一度言いたい。
「この宇宙には善悪などないのだ」と宮崎駿は訴えかけている、と。

眞人はペリカンの行動の動機、メカニズムを理解し、彼らは憎むべき存在などではなく、この呪われた世界に囚われた一員なのだと、仲間なのだと、悟る。
そして切り捨てたり否定したりするのではなく、受け入れねばならないのだ、と。

力尽きて息を引き取ったペリカンのために、眞人は墓を作ってやることにした。

ペリカンは魂を喰らう悪者ではなく、ただ単にこの世界の一部なのだ、と視野が広がり、受容できたからである。

そして眞人はキリコの勧めもあり、アオサギとともに旅に出る。
叔母なつこのいる場所に向かって。

アオサギは塔での大立ち回りの結果、くちばしに穴が開いていて、そのせいで魔力を失い、空を飛ぶことが出来なくなっていた。

そして射抜いた人間が修復しなければ魔力が回復しないという。

なぜ自分で穴を埋めるのではだめなのか。

それは、「許し」が必要だからだ。

アオサギの傷は、眞人が付けたものである。

自らの罪悪感を打ち消そうとし、自分の行いや罪に対して、受容や許しではなく、罰によって報いた結果である。

しかし、何度も言うように、この世界には、この宇宙には、善悪などない。

少年だった彼が母を助けられなかったのは悪か?
父が再婚したのは悪か?
叔母がやさしく、母性を与えてくれ、母親の影を薄れさせるのは悪か?
同級生たちへの報復のために自らのこめかみを石で切ったのは悪か?

ただただ、それらは「人間であるだけ」に過ぎない。

ペリカンがペリカンとして生き、死んでいったように。
人間も人間として生き、死んでいくだけだ。

だからこそ、そこに罰は必要ない。
もちろん罪の意識も。

必要なことは、理解、受容、肯定である。

少年はその死の世界=精神世界=内的世界において、アオサギに歩み寄り、そのくちばしの傷をふさいでやった。

それは許しの徴である。

アオサギは力を取り戻し、眞人に協力する。
否定し、打ち捨てられた罪悪感を、受容し始めたというメタファーだ。

そしてセキセイインコのいる家に辿り着く。
この中に叔母なつこがいるという。

アオサギがインコの注意を引くあいだに眞人が救出するという作戦を立て、二人は協力して作戦を開始する。
アオサギは見事にインコの注意を引き、眞人は家に侵入する。

しかし内部にもインコが大量におり、眞人は彼らに食べられようとする。

そのとき、ヒミが助けに来てくれ、インコたちを火で撃退し、別の場所へと魔法で連れ出してくれた。

そこでヒミがパンのトーストをふるまってくれる。
それは眞人にとって懐かしい味であり、知っている味であった。

別のシーンで、女中たちが父にヒミ=ヒサコ(眞人の母)がかつて15歳のときに1年間失踪していたことを告げている。

このお屋敷では不思議なことが多々起きる、だからなつこと眞人とキリコが神隠しにあったのも、この家ならあり得る、と。
そしてまたひょっこり姿を現すかもしれない、と。

炎を操るヒミは、15歳当時の母であった。

この世界はさまざまな次元・世界・時間と繋がっている場所であり、時を超越した場である。
だからこそ、15歳の母がここにいる。

母は生きている、というアオサギの言葉は、ある意味ではあっている。

人はいつでも、生きているし、死んでいる。
量子のように、ゼロとイチが重なり合っているように。

時間が存在しなければ、生きているし、死んでいるし、生まれ変わっているし、成仏していない。

ともかく、ここには15歳の母が生きている。

余談だが、時を超越できるならば、いつでも会いたい人に会える。
精神世界で、内的世界で、心象世界で、呼び名はなんでもいいが、心の中で。
いつでも、かつて受け取れなかったものを受け取れる。

そう、これはそんな話なのだ。

話を戻して、眞人はパンのトーストをかじり、涙ぐみ、母の愛を受け取る。

母を失い、寂しさのなかにいた眞人は、心の中で、母の愛を受け取ったのだ。

そして力を得た二人はいよいよなつこのいる塔へと入る。

この塔は屋敷の中にあった塔と同じであり、すべての世界に存在し、すべての世界を橋渡しするものだ。

つまり人の心=意識のことだ。

人の心=意識は常にすべての世界に通じている。

裏世界のなかの塔は、なつこの意識のメタファーか。
これは新しい母と兄弟を受容する物語だからね、文脈としてはそうだろう。
中にいるのが叔母だし、ストレートに解釈してもそうだと思う。

つまりこれは叔母を理解し、歩み寄る旅である。

彼女の心=塔に入るということは、想像力を働かせ、彼女を知るということである。

眞人は産みの母親のガイドで、新しい母の心象世界に足を踏み入れる。

そこにはセキセイインコがたくさん存在し、眞人やヒミ=ヒサコを拒絶しようとする。

このセキセイインコは、女心のメタファーである。

いま好いている男がかつて好いていた別の女への嫉妬。
その女が遺した子への嫉妬。

セキセイインコは、ヒミや眞人を執拗に狙い、殺そうとする。
それは嫉妬に狂う女心の表れだ。

なつこの塔は二人を拒絶する。
しかし、眞人はそれでも進んでいく。
明確な意志を持って。
もはや「母が生きているかも」などというかりそめの虚構を信じる必要もなく。

そして産屋にたどり着く。

母の制止を振り切って、眞人は産屋に入る。

そしてなつこに語りかける。

「起きてください、もう帰りましょう」と。

意識を取り戻したなつこははっとする。

そして告げる。

「どうしてこんなところにいるの!もう帰りなさい!」

これは自分の醜い心を知られたくない気持ちの表れだろう。
姉と甥を、心のどこかで憎く思う自分を恥じているのだ。

「大っ嫌い!!」とまで言う。

しかしこの言葉は単に嫌いなだけではない。
自分の嫉妬心が暴走したとき、何をしでかすかわからないから、自分から離れていてほしい、危害を加えたくはない、という気持ちでもある。

眞人の複雑な心境も、大人だからこそ余すところなく理解している。
自分に母性を求めていることも、その母性を求めることに罪悪感を覚えていることも。新しい母を恋い慕い、否定しているという矛盾を。

でも人間だから、なつこにだって感情はある。

いくら優しくしても甥はなついてくれない。
いつも冷たくそっけない。
このまま家族としてうまくやっていけるのか。
傷つき、不安に思う。

姉に対する気持ちもある。
この子を預かり、立派に育て上げられるか。
プレッシャーを感じながらの育児だ。

妊娠し、ホルモンバランスが崩れ、精神的にも疲弊していた彼女。

かわいいという気持ちと、守ってあげたいという気持ちと、姉の分まで愛してあげなければという気持ちと。
その正反対の醜い気持ちと。

これもまた「人間」であろう。

大っ嫌い!!という言葉には、万感が詰まっている。

そして、「嫌い」と敢えて伝えることで、この産屋から引き離そうとしている。
これもまた母性である。

攻撃してしまう前に、自分の醜い部分を知られてしまう前に、どうぞ離れてください、という祈りにも似た言葉である。

今の私はあなたを傷つけてしまう。
だから離れていて。
あなたを愛せるような精神状態になるまで待っていて。

愛しているからこそ、距離を置きたいと願うなつこ。

それでも。

そして紙が眞人に巻き付く。
それは激しい粘着力で、剥がしたあとは赤く腫れる。

これは母からの拒絶の痛みだ。

眞人は受け入れてほしいと願っている母に、否定される痛みと戦う。それでも呼びかける。

「一緒に帰りましょう!!」

眞人は抵抗を押し退けて近付こうとする。

母を恋い慕う子のように。

彼はついに自分の気持ちを認める。

「母さん…!!」

物語の目的である、新しい母を受容する、というテーマはここで回収された。

「一緒に帰りましょう!!」
「なつこ母さん!!」

眞人はもはや必死である。
母を二度も失うわけにはいかない。

しかし、無情にも意志を持った紙が二人を引き裂いた。
そして塔の魔力がヒミと眞人を攻撃し、二人は意識を失う。

なつこの産屋=心は出産による変化にまだ耐えられないのだ。

二人はセキセイインコによって別々に運ばれていった。
 
 

【転】世界を作り替える神となる誘惑

眞人は謎の空間を歩いていた。

真っ白な回廊を抜けると、白髪の老人が緊張の面持ちで、複雑に積まれた積み木を弾き、揺れが収まるまで迫真の表情で見守っている。

「これでこの世界は一日は持つだろう」と老人は言った。

彼こそ、塔の主であり、なつこやヒミの大叔父でもあるその人だ。

彼は世界を管理しており、世界の均衡を保つ存在でもある。

つまり、神だ。

神は眞人に告げる。

この世界を継承してくれないか、と。
そして君には積み木をひとつだけ足す権利がある、と。

眞人はそれを拒絶する。

その「世界を構成する積み木には悪意がある」、と。

ここの解釈は難しい。

ただ、老人の行動からある程度読み解くことは可能だろう。

①「世界は絶妙なバランスの上で成り立っている」
②「神のテスト・審判に耐えられなければ世界は崩壊する」
③「世界はいつも終わりかけている」
④「神ですらも世界を存続させることは難しいし、確信がない」
⑤「世界は何度も崩壊している(散らばった墓石のかけら)」
⑥「”最善の”世界を求める大叔父」

このような文脈である。

積み木を一つ足すということはこのような文脈であろう。

①「眞人の求めるルールを足せる」
②「しかしそれは余計に世界の存続を難しくさせる」
③「世界に住まう命に対する無責任さにつながる」

ただでさえ神業のような(まあ神の御業なんだけど笑)バランスの上に成り立っている世界なのに、自分の嗜好を加えたら、余計に世界はぐらぐらしてしまうのではないか。そしてその提案には悪意があるのではないか。自分の求めるルールは所詮世界にとっては悪意に過ぎないのではないか。

俺はこのような解釈をした。

神=大叔父の提案を退けたとき、そこで目が覚める。

眞人はインコの厨房に居た。
インコのコックは包丁を研いでおり、これからまさに解体が始まろうとしているところであった。

そこへ現れたのはアオサギ。
アオサギはコックを鈍器で殴って気絶させ、眞人の拘束具を打ち壊し、救出する。

自分を助けてくれるのは神=大叔父でもなく、母でもなく、父でもなく、ほかでもない自分自身なのだ、という力強いメッセージを感じる。

自分を許し、受け入れたとき。
その力を十二分に発揮できる。
自分が敵から味方になるのだ。

アオサギと力を合わせ、ヒミの居場所を突き止める。

ヒミは産屋に眞人を案内した罪によって囚われていた。
インコの大王はヒミを取引材料に、世界の拡張を神に求めようとしていた。

もはや、この世界にはインコが増えすぎており、どうにもならないところまで来てしまった。
世界はひっ迫していた。

人口、いや鳥口過密状態である。

余談ながら、神との取引というのは神話みたいで好きなモチーフである。

神によって創作された、創作物たるインコたちの自由意志。
これは人間のメタファーでもあろう。
(これは物語の作劇上の暗喩であり、実際にそう思っているかは別としてね。俺は無神論者。神がヒトを作ったのではなく、ヒトが神を創作したと思ってる)

ともかく、インコの大王は世界の拡張を求めて息巻いている。

ヒミを助けるために眞人とアオサギは追跡するが、大王が剣を振るい、橋を切り落としてしまう。
崩落する橋に巻き込まれて落ちていく眞人とアオサギ。

ここでもインコ=なつこのダークサイドは眞人を拒絶する。
これ以上なく、断ち切る。
立てつく島もないとはこのことだ。

インコがいっぱいというのは、考え事・不安・悩み・ストレスで塔=意識=心がいっぱいということだろう。

大王は暴力性の象徴であり、破壊衝動であり、タナトス(死への欲求)である。

大王が動き出すということは、最終的な事態であり、つまりなつこの命と心の危機ということだ。

そして大王は捕らえたヒミを連れて神と謁見した。

神に対して、大王はさらなる新天地を要求する。
これは救いや解決を求めているということだ。

デウスエクスマキナ(神がすべてを解決するご都合主義的展開のことを指す)をなつこは求めている。

「神様、この苦しい状況を解決して!」という神頼み状態というわけだ。

しかし神は鷹揚に話を聞くばかりではっきりとした返事はしない。

それはそうだ。
神は不在であり、現実問題を何も解決してくれることはない。

眞人をアオサギが助けたように、大王がなつこを助けねばならない。
しかしなつこはまだ自分自身を受容できていない。
だからこそ大王は外部に解決策を求めているのだ。

神は供物であり取引材料でもあるヒミを受け取り、大王は去った。

ヒミは目を覚まし、神=大叔父に抱き着く。

そして神は言う。

「眞人はいい子だ。帰してやらねばのう」

瓦礫のなかから、眞人とアオサギは抜け出す。
そして神の玉座へと通ずるポータルが開いているのを見つける。
眞人とアオサギはその中を通る。

そしてなつこのダークサイドたる大王もそのあとをつけていく。

真っ白い回廊を抜けると、そこにはヒミがいた。
ヒミと抱き合い、再会を喜ぶ眞人。
そして、神に会いに行く。

ヒミは「本当に会いに行くの?」と不安がり、引き留めるが、眞人はもう迷いがない。

彼はアオサギやキリコやペリカンやヒミやインコとの出会いで、世界とは何かを理解したからだ。
 
 

【結】受容と全肯定と許しと

神はもう一度眞人に尋ねる。

「この世界を継いでくれんか」と。

神は無垢の積み木を差し出す。

悠久の時を旅し、幾多の次元を渡り、かき集めてきた、貴重な積み木である。

罪(つみ)のない積み(つみ)木というかけがえのないものだ。

これさえあれば、穢れのない、清浄な世界を創ることができる。

理想の、よりよい、最善の世界を創ることができる。

しかし眞人は首を横に振る。

神は問う。

「よいのか。世界は悪意に溢れている。争いがあり、殺し合いのある世界だぞ」

眞人は言う。

「私のこめかみの傷は悪意によるものです。そんな私に最善の世界は作れません」

彼は自分の悪意を認め、受け入れ、許した。

自分自身がただの矮小な人間であることを理解した。

そしてそれと同時に、不完全で完全なのだということも理解した。

また「最善」という価値観が虚構に過ぎないということも体験から知っていた。
世界には善も悪もない。
争いや殺し合いも、ただそれが人間の所業というだけのこと。

世界は理不尽で無情である。

母は死に、父は再婚し、戦争は続いている。

それでも。

眞人はこの世界を選んだ。

人間でいることを選んだ。

それは世界の肯定であり、自分の人生の肯定であり、自分自身への全肯定である。

世界が醜くてもいい。欠けててもいい。
人間同士が争っててもいい。汚くてもいい。
自分自身に悪意があってもいい。同級生を陥れようとしたり、継母に反抗的な態度を取っていてもいい。

ペリカンがペリカンとして生きて死んでいくしかないように、ヒトはヒトとして生きて死んでいくことしかできない。

しかしそれはペリカンのように「地獄」を生きるという意味ではない。

むしろ、眞人は世界の素晴らしさを体感した。

アオサギを許し、受け入れ、肯定することで、この世界は素晴らしいものなのだと、知った。

アオサギを友とすることで、理解しあったり信じあったりすることの素晴らしさを知った。

この不完全な世界で、不完全なままで生きていく。

そして、人生への肯定は、母の死の肯定でもある。
自分自身の大切な人が死んでいる世界でもいい。
だって、人間はいずれ死ぬものなのだから。

眞人は「理想の世界」ではなく「いまの自分」を選んだ。
それは強烈な愛である。
自分や世界に対する賛歌である。
自分として生まれてきたことへの絶対的な肯定である。

そして大王はその一部始終を見ていた。
大王は神が自分たちの世界を積み木に託していたということを知ると、不安からヒステリーを起こし、自らが積み木を組んでしまう。

純白の無垢な積み木が、穢れた瞬間である。

しかし。それは結局誰が手にしてもそうなっていたであろう。
眞人自身が自覚していたように、眞人にだって悪意はある。

そしてむろん、なつこにも。

なつこの発狂によって神の世界は崩れていく。

しかし、それでいい。

眞人はもう大人になった。

母の死を受け入れられるようになったのだから。

この仮想の世界は、役目を終えたのだから。

これから現実世界で、継母と理解しあい、家族になれるのだから。

なつこの中にある不完全さも、眞人は理解し、受容し、肯定できるのだから。

そして崩れ行く世界のなか、ヒミと二人で次元の扉のある広間へと命からがらでたどり着く。

もはや時間はない。

ヒミは告げる。

「あんたはそっちの扉!私はこっち!」

「僕と一緒の扉で帰ろうよ」

「だめよ、あなたを産めなくなっちゃうでしょ」

「だってそっちに行ったら火事で焼け死んじゃうんだよ」

「火は素敵なものだわ、怖くないわ」

思い出してほしい。

眞人はずっと、母が苦しんで死んだ、非業の死を遂げたと思い込んでいて、苦しんでいたということを。

しかし、その母の口から「火は素敵なもの」という発言を聞き、眞人の心は救われたのだ。

母は苦しまずに死んだのだ、母は満足して死んでいったのだ、と彼は悟ったのだ。

『あなたを産めなくなるくらいなら火事で死んでもいい』という無限の愛、存在の全肯定を眞人は受け取った。

眞人の心を縛る呪いは、完全になくなった。

彼は心象世界で、母から最期の許し、最後の愛を受け取ったのだ。

そしてそれは心の中で、いつでも受け取れるものだと眞人はわかっている。

塔は、誰の心の中にもある。

この次元の回廊は、誰の意識とも、どの時間ともつながっている。

たとえここが崩れようとも、ヒトはいつでも思い浮かべるだけでそこに行けるのだから。

彼は母の愛を受け取り、元の世界へと戻っていった。

塔から眞人となつこ、キリコが飛び出してきた。
そして塔は心象世界の崩壊とともに、あわせて崩落した。

そして眞人は新生した。
 

数年後、新しくできた弟とともに、家族で東京に引っ越していく――Fin
 
 

感想

一回見ただけだから、細かい順番は前後しているかもしれないけど、大体の流れは合っていると思う。

感情のまま、感動のまま、書き散らしてしまった。

とにかく感動した。
深く深く感じ入るものがあった。

この感動を誰かと共有したくて、分かち合いたくて、衝動的に書いてしまった。

もしあなたが同じ気持ちを味わったひとりなのだとしたら、この全肯定された世界で、この気持ちを分かち合えたのだとしたら、本当に幸せだと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。またね。
 
 

おまけ:ナウシカとの共通するテーマ

風の谷のナウシカという物語をご存知だろうか。
宮崎駿が描いた漫画である。全6巻。

映画版は2巻くらいまでのストーリーであり、原作はもっともっと長大かつ重厚なストーリーが展開されている。

で、何が言いたいかというと、この映画と共通するテーマがあるということだ。

それは「この穢れた世界を受け入れ、それでも生きていく」ということだ。

ナウシカの舞台は核戦争後の地球である。
放射能汚染が酷過ぎて、ヒトが生きていけなくなった世界の話だ。

科学者たちは汚染を除去するために、腐海と王蟲を発明し、彼らに世界を浄化させることにした。

そして、世界が浄化される間に、汚染された世界に適応した人類をも開発し、彼らに世界の管理を任せて、旧い世界の文明人たちはコールドスリープに入っていった。

つまり、腐海の瘴気とは、浄化された空気であり、清浄な空気のことだ。
ナウシカたち「汚染された地球に適応した新人類」は浄化の進む世界で、徐々に住む場所を奪われている。

やがて、全世界は浄化される。
ナウシカ達新人類は滅びが約束されている。

ここまでが前提。

ナウシカは巨神兵とともに、旧人類がコールドスリープしている「墓所」に侵入する。

そしてそこでその事実を知る。

私たちは環境に適応できず、死に行く運命にあるのだ、と。

墓所のAIは言う。

「世界は清浄になり、また人類が栄えるだろう」と。

しかしナウシカは承服できない。

いま生きている私たちを、命を、否定する権利など誰にもない。
私たちが「生きたい」と希う欲求は、誰にも止められない。

たとえ清浄な世界で生きていけなくても、滅びのそのときまで、精一杯生きてゆこう。

ナウシカは復活のその時を待つ旧人類を焼き払い、絶滅が約束された新人類と最後の時まで生き抜くことを選択する。

そう。

「この世界を肯定」しているんだよ、ナウシカは。

たとえ滅びようとも。
たとえ地球に選ばれずとも。
たとえ年々環境が悪化していこうとも。

それでも力強く、世界そのものを肯定しているんだよ。

いずれ死ぬのならば、生きている意味などない?

いいや、違うね。

感じる心があれば、生きる意味がある。
自分自身や他人に対し、愛を実感できるのならば、生きる意味がある。
身体を持ち、行動し、すべての体験をかみしめられれば、生きる意味がある。

人間や世界に対する、圧倒的全肯定なのだ。

滅びる運命?

それがなんだ?

いまを生きよう。

それがナウシカの選択である。

ちなみに。ナウシカを馬鹿にしてはいけない。

我々の地球も、あと数十億年もしたら太陽に飲み込まれてしまう。
その前に戦争かなんかで滅びる可能性も十分に高い。

大叔父が積み木を弾いているように、毎日が奇跡の連続で成り立っている。

明日核戦争で人類は滅びてしまうかもしれない。

大王がヒステリーを起こして積み木を崩してしまうように。

それでも。

生きる意味がある。

感じる意味がある。

楽しむ意味がある。

俺は、この、圧倒的人間賛歌を、肯定したい。

明日地球が滅びるとして。

君たちはどう生きるか。

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