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「歴史検証主義」ノススメ

 レッテル貼りをして攻撃する――、昔からサヨクが常套手段としてきたものだ。彼らは仲間うちでも容赦なくこれを使った。曰く、反革命分子。曰く、日和見主義者。曰く、トロキスト。事実はどうでもいい。先に相手をレッテル貼りし、自己批判という吊るし上げに持ち込むことで、セクト内の権力闘争に勝ち抜く手段としてきたのである。
 いわゆる保守活動家や言論人に対して彼らが用いるレッテルもおおむね決まっている。右翼、排外主義者、レイシスト、ネトウヨ……。サヨクというのは、今も昔も実にボキャ貧だし、これらレッテルを用いて相手を罵倒することで精神勝利に酔っている様を見ると、その思考回路はいたってシンプルといわざるをえない。

 歴史修正主義者。――これもまたサヨクが好んで保守派に貼りたがるレッテルのひとつである。
たとえば、「南京大虐殺はなかったと思う」と発言しただけで、その人はサヨクから歴史修正主義者のレッテルを頂戴するのだ。果たして南京攻略戦において市民虐殺が本当に行われていたのか、物理的に可能なのかといった一切の検証は、「レッテル」の前では不要となる(らしい)。
科学的検証を不要とするというのであれば、それはむしろ宗教に近くなる。中世欧州の政教一致の社会において、「魔女」「異端」のレッテルを貼られた無数の無辜の民が火刑に処せられてきたことは、ここに改めて記すこともないだろう。

南京虐殺記念館の怪しげな展示物を前に、手を合わせる鳩山由紀夫。中韓にとって、これほど使い勝手のいいバカはおるまい。

 英語圏でRevisionist(歴史修正主義者)といえば、「歴史を都合よく捏造する人」を指し、その響きは、まさに「魔女」「悪魔」に匹敵するほどにネガティヴなものがあるらしい。しかし、本来、Revisionismという言葉自体に、否定的な意味合いはなかったはずである。この語を否定的な意味に色付けし、レッテル貼りに利用したのはやはりサヨクだった。「修正マルクス主義者」はその好例だろう。マルクス様の教義を勝手に改変する異端・魔女といった意味で使われる。

 そもそも「修正」とは、辞書で引くまでもなく、「間違いを正す」ことであり、そこに否定的なニュアンスが入り込む余地はない。歴史も学問であるなら、新しく有力な学説が登場した場合、そのつど科学的に検証し、修正されるのは当然のことであるし、実際、修正は行われているのだ。
たとえば、われわれ昭和世代は小学校の歴史の授業で「1192(いい国)作ろう鎌倉幕府」と教わったはずである。が、実際の鎌倉幕府成立はそれよりも数年早いというのが現在の定説らしい。そればかりか、源頼朝のものといわれた、あの有名な肖像画も別人のものである可能性が高いという理由で、現在、歴史教科書から外されているのだ。

子供のころ、恐竜は「大型爬虫類で、重い体を引きずるようにのっしのっしと歩く」
と教わった。しかし、最新の恐竜学では、「爬虫類よりも鳥類に近く、動きも俊敏で、カラフルな羽毛にくるまれた種族もいた」という説が有力になっている。学説とは、常に「修正」されるものなのである。とりわけ医学の進歩は、過去の「修正」なしにはありえない。

  近現代史も同様である。長らくナチス・ドイツの犯行と喧伝されてきた、1940年ポーランド「カティンの森虐殺事件」の真相が1980年代になって明らかになり、虐殺はスターリン=ソ連軍によるものであることが判明した。歴史が修正されたのである。これに関しては、NHKが地元テレビと協力し特別番組まで放映していた。

映画『カティンの森』。監督のアンジェイ・ワイダの父親もカティン虐殺の犠牲者だった。


南京大虐殺なるものの虚構性に、科学的な見地からメスを入れている研究者はこの国に少なくない。ぜひNHKにはそれらの人々に取材し、南京大虐殺の真相を究明する番組を作ってもらいたいものだが、それはしょせんはかない夢と知る。戦後、悪の権化のように言われ続けるナチスさえ冤罪を晴らす機会を与えられたのに、だ。旧日本軍の冤罪に関してもテレビメディアのスポットが当たってもしかるべきではないか。「カティンの森虐殺」の真相を語ることはジャーナリズムの良心であり、「南京大虐殺」の真相に迫ろうという動きは危険な歴史修正主義なのだろうか。
歴史修正主義という言葉の罠はそこにある。サヨクが、自称・戦後平和主義者が、用いるこの語の「歴史」とは、せんじ詰めれば、「GHQの書いた歴史」に他ならないのだ。それを1ミリたりとも「修正」してはならんということらしい。まさに、彼らにとって歴史は学問ではなく、宗教なのだ。

 

リニューアルされた南京大虐殺記念館。アイリス・チャンの写真の隣に掲げられた東史郎と本多勝一のパネル。こやつらの罪はあまりにも重い。

むろん、われわれは南京大虐殺なるものは戦後つくられた虚構、プロパガンダの類であると主張するものである。南京に限らない、慰安婦強制連行や軍艦島奴隷労働といった、戦前の日本軍の悪行とされるものの多くは冤罪であり、それに関しては科学的な検証をもって明らかにするべきものだという立場をとっている。
歴史に刻まれた嘘を検証し「修正」するのがわれわれの仕事であり、その意味ではわれわれの目指すものは真の意味の「歴史・修正」である。ならば、われわれは堂々と「歴史修正主義者」を名乗るべきかもしれない。しかし、やはり、それでは混乱が生じるうらみがある。

 そこで私は、新たに「歴史検証主義」「歴史検証主義者」という言葉を提唱したいのだ。
たとえば、サヨク人士が「歴史修正主義者」のレッテルを押し付けてきたなら、「いえ、私は歴史検証主義者です」と返せばよろしい。「歴史を検証し間違いを修正する研究者」である。
 この言葉をぜひ一般化させてもらいたいと願う。それが、サヨク勢力のレッテル攻撃を無力化するひとつの策であると思うからだ。
 そして、戦後最大の歴史修正主義(Revisionism)である東京裁判史観に打ち勝つための、最初の一打となると思うのである。

死刑廃止論者は、東京裁判をどう見るのだろうか。裁判の名にも値しない、あの茶番で、7人もの命が絞首台に消えたのだ。東京裁判、まさにそれは歴史修正主義の祭典だった。

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