見出し画像

辛淑玉に●された大木金太郎


『愛と憎しみの韓国語』(文春新書)

 辛淑玉著『愛と憎しみの韓国語』にこのような記述がある。
 
大木金太郎はふるさとの地で静かに死んだ。

 本の奥付を見ると、平成14年(※2002年)5月20日 第1刷発行 となっている。大木金太郎こと金一(김일)の死亡日は2006年10月26日。つまり、この本が出版された時点で彼は生きていたことになる。なお、亡くなった場所は大木の故郷の全羅南道の居金島でなく、ソウルの病院である。
 なぜこのような見てきたような嘘が書けるのか。こと、人の生き死にの話だけに、誤記ですまされるような問題ではなかろう。調べればすぐわかることではないか。一プロレス・ファンとしても非常に気分が悪い(僕は大木のキー・ロックが好きだった。X固めもよくマネをした)。
 つい筆が走った、とでもいうのかもしれない。ではなぜ、彼女の筆が走ったのか。
「静かに死んだ」は「寂しく死んだ」とも読める。”差別”でメシを喰う辛淑玉女史には、ヤクザに刺されて死んだ力道山(直接の死因は腸閉塞)、自己のアイデンティティに苦しむ長州力と並んで、「寂しく死んだ大木金太郎」が欲しかったのだろう。それが、在日(大木がそのカテゴリーに入るかは微妙だが)格闘家が背負わされた十字架だとばかりに。
 実際の大木は重い病床にあって、日本からのファンレターを楽しみにしていたというし、その死は日本でも大きく報じられ、旧知の徳光アナの司会で追悼特集を組まれたほどだ。母国韓国国民の哀悼は押して知るべしだろう。決して「寂しい死」であったととは思いたくない。
 死亡誤記に関しては、辛女史が直接本人を見舞い、謝罪したとのことなので、この件に関して、僕もこれ以上触れることは慎むつもりだ。
 だが、人様の死に関していい加減なことを書く人の言動を今後一切信じることができないと思ったのも事実だ。事実、彼女の文章や発言は、嘘と思い込みと日本憎しのための詭弁だらけであり、それをひとつひとつ指摘していけば、一冊の本になってしまう。

 この面会で、辛女史は大木から、彼の評伝を書く許可を得たとブログに書いていたが、それは実現しなかったようで、ほっとしている。日本でも人気のあった「頭突きの金ちゃん」を反日本に利用されたのではかなわない。
 実際、大木金太郎が日本、とりわけ寄りどころである同胞英雄・力道山の死後の日本プロレス界に対する思いは複雑だったろう。しかし、彼にはそういった屈辱や怒りを奥歯でぐっと噛みしめ絶える矜持があった。それが、辛淑玉女史との大きな違いだ。

大木金太郎の葬儀には、盟友アントニオ猪木も駆け付けた。力道山道場時代、二人は寮が同室で苦楽をともにしている。NWF戦は伝説の試合となっている。
大統領になる前の朴槿恵。大木との付き合いは、父・朴正煕から。

 ▼大木金太郎に関しては、こちらもぜひお読みください。

▼韓国で放映された大木金太郎ミニドラマ『頭突き王(パッチギワン)金一』。不法入国者として大村収容所に収監された大木を迎えに来るのがアントニオ猪木になっている。むろん、これは事実ではない。猪木は大木の親友として、終始、好意的に描かれている。馬場は出てこない(サイズの合う役者が見つからなかったためか)。最後は、大木本人も登場。ホーホーホという笑いが今ではなつかしい。

▼猪木、大木を語る


よろしければご支援お願いいたします!今後の創作活動の励みになります。どうかよろしくお願い申し上げます。