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崔承喜の愛娘・安聖姫(勝子)のことなど

半島の舞姫・崔承喜が娘・勝子について語っている。

「朝鮮では女の子よりも男の子を尊重しますので、この子が生まれたとき、御祖父達が大変力を落とされたので、私が勝子という名前をつけたのです。子という字は朝鮮では男を意味するので、つまり勝子は男に勝つという名前なのです」

〇〇子……明子(ミョンジャ)、順子(スンジャ)という日本風の女性名は、併合以前朝鮮になかったことがわかる。そもそも、李朝時代、女子には正式な名前もなかった。名前には流行りすたりがある。この時代、日本風の女子名はナウいと思われたようだ。今では、日本でも韓国でも、〇〇子は古風な響きがある。
ちなみに、安勝子は昭和7年生まれ。創氏改名令(昭和15年)とはまったく関係がない。作曲家の小林亜星は安勝子とは小学校の同級生で、家に遊びに行ったことがあり、崔承喜ママを身近に見たという。

崔承喜ママの英才教育。体の柔らかさは母譲り。
若林敏子こと金敏子(キム・ミンジャ)。崔承喜の内弟子であり、身の周りの一切合切をサポートする文字通りの右腕。多忙な崔に代わり勝子の養育係もつとめた。彼女もまた、崔とともに戦後、北に渡った。

崔承喜は、終戦を慰問先の満州で迎えた。日本に戻ることもできず、夫・安獏がプロレタリア作家でもあった関係で韓国にも帰れず、一家は北朝鮮へ渡った。当初こそ、金日成に厚遇された崔だったが、結局は夫とともに粛清されている。

平壌の舞踏研究所で後進の指導にあたる崔承喜。

勝子は北で安聖姫(アン・ソンヒ)と名前を変え、やはりダンサーとして活躍した。

安聖姫。
『豪勇イリヤ巨竜と魔王征服』。社会主義国の映画だけあってモブ・シーンは圧巻。

安聖姫は1956年のアレクサンドル・プトゥシコ監督のソ連映画『イリヤ・ムウロメツ』に、少数部族の踊り子という役で出演、妖艶でエキゾチックなダンスを披露している。イリヤ・ムウロメツとはロシアの古典叙事詩に登場する英雄の名前。舞台は今話題のキエフのあたり。
なお、同作は『豪勇イリヤ巨竜と魔王征服』という邦題で1959年に日本公開もされている。輸入配給したのは、なんと大蔵貢の新東宝である。邦題も大蔵の命名だという(大蔵は、『〇〇と〇〇』というタイトルを好んだ。例『憲兵とバラバラ死美人』)。

左下が安聖姫。眉のあたりに勝子と呼ばれた幼女時代の面影が。

また、『イリヤ』には、東宝のキングギドラの元ネタとなったといわれる、空飛ぶ三つ首龍が登場することでも一部怪獣おたくには有名。

群衆に向かって本物の火焔を吐いている。撮影にあたっては死者も出たことだろう。
飛翔するシルエットはまさにキングギドラ。

▲『イリヤ・ムウロメツ』。安聖姫登場は1h.05あたり。ギドラは1h.19から。

その後の安聖姫だが、はっきりした消息は伝わっておらず、おそらく彼女も粛清されてしまったのだろう。

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