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(単行本未収録)みんな日本軍の子・前編

なぜ日本軍だけが悪なのか

 たとえばです、あなたのお父さんが突然、警察に逮捕されたとします。容疑は「強姦殺人」。お父さんは、そんなことをしていないと強く潔白を主張していますし、あなたも当然それを信じたいはずです。そもそも、逮捕の理由というのが、「(お父さんが)殺しているらしいという人がいるようだ」 「殺しているに違いないというのが大方の見方だ」などという、およそ刑事事件の証拠にはなりえないものばかりなのです。まさに不条理、カフカ的状況といえます。
 そんな折り、お父さんの当日のアリバイを証明してくれる人が現れました。あなたは藁をもつかむ思いでその人に証言を頼むでしょう。また、「あなたのお父さんはそんなことをする人じゃない」と励ましてくれる近所の人たちの声も心強いものです。
 ところがです。自分の父親の無実を証明してくれるという人が現れるたびに、
「何てことを言うのですか。俺の親父は殺人犯に決まっている。俺は殺人犯の息子として謝罪したいんだ」、「殺人強姦魔のパパを無実だなんていうのは歴史修正主義だわ」
 と声を荒げて、証言者の口を塞いでしまう不思議な人間がいるとしたら、どう思いますか。それが、戦後のいわゆるリベラルを自称する日本人たちです。そして、ここでいう「お父さん」は日本軍、あるいは戦前の日本を意味します。
 あなたが日本人である限り、先の大戦では父、祖父、曾祖父、あるいは親戚の誰かが必ず従軍しているはずです。その意味で、私たちは「日本軍の子供」といえます。誰だって戦争はいやなものですが、その戦争があって今の自分があることは否定しようもありません。
 戦後、この国では日本軍=悪という神話がまかり通っています。むろん日本軍の行いのすべてを肯定しようとは思いませんが、当事者である旧軍人が冤罪を主張する事例まで、一切の検証も許さず問答無用で断罪するという空気は冷静に考えれば異常というより他はありません。普段、冤罪という言葉に敏感な朝日新聞などの左派メディアも、こと日本軍のことになると、当事者の声を黙殺してきました。こうして、いわゆる従軍慰安婦も、南京大虐殺も、百人斬りも、沖縄の集団自決も、日本軍の犯罪として神話化されてきたのです。
 第二次大戦中、旧ソ連のグニェズドヴォ近郊の森で捕虜兵や警察それに一般人を含む約22万人のポーランド人が虐殺されるという事件がありました。いわゆるカティンの森事件で、これは戦後長い間ナチスドイツによる戦争犯罪として語られ続けていましたが、近年の調査でソ連内務人民委員部による犯行であることが明らかになっています。同じく大戦中、ポーランドの町イェドヴァブネ近郊で行われたユダヤ人虐殺もナチスの仕業ではなく、非ユダヤ系ポーランド人によるものであることも判明しています。イェドヴァブネ事件真相解明のドキュメント別番組は日本ではNHKで放送されています。
 まるで、人類の敵、悪魔の軍団のようにいわれているナチスドイツさえ冤罪は晴らされているのです。それでいながら、日本軍が行ったとされる"悪行"に関して、なぜ科学的な検証が許されないのか理解できません。また、日本のマスコミが、こと社会主義国の戦争犯罪に関してはどこか寛容で追求が甘いのも解せない限りです。ちなみにカティンの森事件に関してロシア当局府は、あくまで独裁者スターリン個人の犯罪であって、現ロシア政府に一切の責任はないという立場を取っています。ちょうど、ドイツが戦前の悪事のすべてをナチスとヒトラーにおっ被せて国際社会に復帰したやり方に似ています。そんなことを知ってか知らずか、韓国は「ドイツは過去を真摯に反省しているが、それにくらべると日本は……」などと責め立てているのです。
 日本は過去の軍国主義を反省しろというなら、プロ左翼たちもまたソ連邦崩壊を機に、これまでひたすら共産主義を信奉、礼賛し、社会主義国をユートピアであるかのように喧伝してきたことを自己批判するべきだったのです。スターリン、毛沢東、金日成、ポル・ポト……日本の軍国主義が殺した数の何千倍もの人間を共産主義国は殺しています。軍国主義は戦時に人を殺しますが、共産主義は平時にこそもっとも人を殺すのです。どちらがより恐ろしく非人道的かは言うまでもないでしょう。
 戦前の日本の翼賛体制時における言論統制をあげつらうなら、社会主義国のそれについても語るべきなのです。少なくとも、第二次大戦中の日本でも新聞が東条内閣批判の記事を書くこともできました。スターリンや毛沢東の生前、彼の批判を書いたソ連や中国の新聞などあったでしょうか。

大東亜戦争は壮大な外科手術だった

 繰り返しますが、われわれは「日本軍の子」です。戦前の続きとして戦後があり現在があるわけで、戦前を全否定したら、今ここに存在している私たちまで否定してしまうことになります。
 人類が地球(グローブ)というものを意識するきっかけとなったのは中世の大航海時代の到来でした。これによって交易は海を越え、キリスト教は地球の裏側にまで広がりました。同時に、それは侵略と植民地主義、奴隷貿易の歴史の始まりでもあったのです。かといって、植民地主義や奴隷売買を断罪するあまり、大航海時代そのものを否定してしまうのは愚かなことです。
 鉄腕アトムは「科学の子」。しかし、科学はバラ色の未来ばかりを保証するものではありません。環境破壊や人間社会の変質も科学によってもたらされます。それでもやはり、科学を否定した生活は考えられません。戦争も然りで、功罪で語るべきなのです。
 大東亜戦争の功罪というのであれば、戦後日本は「罪」の部分ばかりが強調、誇張されて語られ続けてきたような気がします。功罪でいえば、むしろ「功」の方が大きかったと断言したいのです。大東亜戦争のなんといっても最大の「功」は欧米列強の植民地主義からのアジアの解放です。いってみれば、大航海時代の人類の功罪の「罪」の部分を400年後の日本軍が全人類に代わって清算したといっても過言ではありません。この民族自立の気運は戦後、アフリカにも広がりました。大東亜戦争がなければ、アルジェリア独立戦争やインドシナ戦争もなかったでしょう。世界の地図と秩序は大きく塗り替える大事業だったのです。
 などと書くと、当然こういう反駁があるかと思います。「アジアの解放なんて後づけの理由でしょ」「侵略戦争の言い訳だよ」と。あるいは「戦争を美化する気か」といわれるかもしれません。
 百歩譲って、「後づけ」だとしても、結果として西欧列強はアジアの植民地のほとんどを失うことになったのは事実です。米国の南北戦争の奴隷解放にしても結果であって目的ではありませんでした。北軍も無辜の民を沢山殺していますし、兵士はレイプもしました。だからといって、エイブラハム・リンカーンを「好戦的な軍国主義者」「人殺しの親玉」「戦争犯罪人」だのとは誰も呼びません。
 そもそも、大東亜戦争を侵略だと主張するアジアの国は、南北朝鮮と中国くらいのもので、東南アジアの国々での大東亜戦争の評価はとても高いのです。比較的、日本軍に対して批判的といわれるフィリピンにしても特攻隊へのリスペクトの念は強く、毎年現地の人が主体となって追悼式が行われているのはよく知られています。
 いわゆる南進にしても、日本軍はなにも平和に暮らしている人たちの土地を武力で強奪したわけではありません。白人の占領地に入って、その白人を追い出し、独立の支援を約束する代わりに基地のための土地と燃料などの資源の提供を受けただけです。アジア各国の独立軍の結成と軍事訓練は日本軍が行ったのです。それすらも「後づけの理由」「言い訳」というなら、ポツダム宣言受諾後もインドネシアの地に残り、独立のために戦った日本軍将兵3000人の存在はどう説明がつくのでしょうか。せっかく生き残って迎えた終戦、一分一秒でも早く家族のもとに帰りたいというのは当然の人間の情です。それを振り切って、インドネシアの戦友と交わした独立の約束を果たすために彼らは戦ったのです。3000人の将兵のうち約1000人が戦死、この方たちは同地の英雄墓地に眠っています。毎年、インドネシアの独立記念日には盛大なパレードが行われ、日本の軍歌や唱歌なども演奏されるそうですが、これを「戦争の美化」というのでしょうか。それでいうなら、自国の「戦争を美化」していない国を教えていただきたいものです。
医学の進歩は現在、人類の宿敵だった癌をも克服しようとしています。かつては外科手術するしかなかった病気が、今では内科治療と投薬で完治するケースも珍しくありません。だからといって、過去の外科手術の実例を嘲笑うのは愚かなことです。戦争というメスを振るわなければ、世界秩序を変えることができなかった、そんな時代があったということだけです。手術には出血はつきものですし、患者の体力を著しく消耗させます。日本は4年間に及ぶ大手術の果て、大量に出血しながら、どうにかこのアジアから欧米支配の病巣を取り除くことに成功しました。まさに人類史に残る大事業といえます。
 韓国は日帝の戦争の被害者ではなく、共に戦った戦友です。本来自賛好きの韓国人ならば、大日本帝国軍の一員として大義に挑んだことをむしろ大いに誇るべきなのです。
 
子爲父隱(しいふしん)

 自分の父、祖父、曾祖父をここまで悪しざまに罵ってきた民族はおそらく他にないといっていいでしょう。こういった、戦後日本人の奇妙なメンタリティを内心大いに嘲笑っているのが韓国ではないか、私は最近そう思えてなりません。
 韓国は自称儒教道徳の国です。李朝時代の両班は、ひたすら四書五経を素読することを教養人・貴人のたしなみとしてきましたし、現在の韓国人も半ばそんな先人を誇り、自分たちを日本の文化的兄であると自慢します。そんな彼らなら、いやしくも『論語』の中のこの一節ぐらいは諳んじていることでしょう。
《葉公、孔子に語りて曰く、吾党に直躬(ちょくきゅう)なる者有り。其の父、羊を攘(ぬす)みて、而(しこう)して子、之を証せり。孔子曰く、吾党の直(なお)き者は、是に異なり。父は子の為に隠し子は父の為に隠す(父爲子隱子爲父隱)。直きこと其中に在り》
(葉の君主が孔子に語って聞かせた。「私の領地に正直者の躬という男がいる。躬の父が羊を盗んだときに、躬は正直に父の盗みの証人になったのである(父の犯罪を役人に告発した)」。孔子は言った。「私の故郷の正直者は それとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。本当の正直さはそういった親子の孝の心にこそあるのです」)
 孔子は、子であれば親の罪を隠し、親であれば子の罪を隠すのが人の道であると説くのです。まして、親が犯してもいない罪を子がまるで事実のように騒ぎ立て、親の潔白の主張を子が潰すことをひたすら激励する戦後日本の似非インテリたちの姿は、韓国人の目から見れば人の道を知らない禽獣の類でしかありません。
 自虐史観に凝り固まった日本の自称リベラリストたちは、韓国人に「良心的日本人」などとおだてられ、ヤニ下がってみせますが、その実、彼らに心底軽蔑されているのです。こんな禽獣どもにはどんな理不尽なことを言ってもかまうことはないと思っているからこそ、彼らはますます居丈高になります。その尊大な態度に萎縮して、さらに自虐に走る、という自虐のスパイラルに陥っていることを真のインテリゲンチャは自覚しなければいけません。

仲間よりも親の喪を優先させた朝鮮の将軍

 面白い話があります。
 日韓併合を3年後に控える1907年(明治40年)、李麟栄(イ・イニヨン)という将軍が抗日の旗印の下に挙兵します。しかし、いざ進軍という前日に、父親の訃報がとどいたため総大将であるはずの李麟栄が喪に服することを理由に帰省してしまい、抗日軍は総崩れになりました。李麟栄にとっては国の存亡よりも父の喪に服するという「私」の方が優先されるべきものだったのです。はっきり言いますが、韓国に「公」の概念はありません。
「親に孝を尽くせない者はケダモノに等しい。そんなケダモノが守り治める国に誰が住みたがるだろうか。私は祖国をケダモノの国にすることはできない」
 李麟栄将軍の言い分です。
 この論理からいけば、親を捨てインドネシア独立軍に身を投じた3000人の旧日本将兵は、人間の血が流れていないケダモノということになります。ついでにいえば、韓国人の小中華思想から見れば、インドネシアを含む東南アジアはすべて夷狄(中華から外れた野蛮人)です。人間としての最大の道徳である「孝」を捨て、夷狄のために命を捧げる――彼らから見ると日本人の行動は理解できないことだらけなのです。
 韓国の精神文化は相手を見下す文化といえます。一度、見下されると、とことんまでひれ伏すことを暗に要求され続けるのです。シーソーを思い出してください。片方が下がれば片方が上がる。これが韓国人の基本的な対人関係なのです。彼らの概念に、対等な関係というものは存在しないと覚悟しておくべきと付け加えておきます。

パパ以外はみな殺人鬼

 韓国認定の、いわゆる「良心的日本人」の類に上げられる人物のひとりに故・松井やより氏がいます。
 松井氏は朝日新聞出身のジャーナリストで、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NET)を主催、慰安婦問題における日本の「戦争犯罪」を追求する活動で知られた活動家でもありました。
2000年(平成12年)12月、松井氏とその一味は、東京の九段会館で、昭和天皇を被告とする「女性国際戦犯法廷」なる模擬法廷を開催。「法廷」と謳いながらも弁護人もおらず、およそその態もなしていませんし、「検事」役に黄虎男(ファン・ホナム)氏ら北朝鮮工作員の顔があるなど、最初から結果ありきの、極めて政治的工作色の強い極左プロパガンダ、法廷ごっこ、茶番劇であったことは明白です。のちに、この法廷パフォーマンスの特集番組を巡って、朝日新聞(05年1月12日付)が、安倍晋三、中川昭一両議員(当時)によるNHKへ内容改変の圧力があった旨の虚偽報道を行い、両議員が反論するなどの騒ぎがあったこともまだ記憶に生々しいところです。番組の内容変更にVAWW-NETがNHKを訴えるという一幕もありましたが、原告敗訴に終わっています。
 さて、その松井やより氏が、第二次大戦を特集した討論番組『朝まで生テレビ』(98年10月30日放映)に出演した際の動画がYouTubeにUPされていますので未見の方はぜひ一度ごらんになっていただきたい。
例によって、やれ殺人鬼だ、強姦魔だ、と持てる語彙を駆使して旧日本軍を罵り始めた松井女史に、司会の田原総一郎氏が「あなた(松井氏)のお父さんも召集されたそうだけど、中国で(他の兵隊と同様に)ひどいことしていたんじゃないの?」とやや意地悪な質問を投げかけています。そのときの松井氏の答えがふるっていました。
「二等兵だった父は、こっそりハンストまでして人を殺さないですむ通信部隊に配属してもらった(だから中国人に恨まれるようなことはしていない)」
 彼女のこの言葉にスタジオにいたパネリストほぼ全員から失笑がもれました。
 ご本人はどこまで自覚しているかはわかりませんが、彼女の中に2つのパラレルな日本陸軍が存在しているようです。「非人間的な殺人集団としての日本陸軍」と「二等兵でも要望さえすれば配属を換えてもらえる一般企業よりも融通の利く日本陸軍」です。そもそも、こっそり行うハンストに何の意味があるというのでしょうか。
 また、同じ放送で松井氏はこのような発言もしています。
「私の父はキリスト教の牧師で現地の子供たちにいろいろしてあげたからとても慕われた」。
 この言葉の半分は事実であるといっていいでしょう。旧軍兵士と中国の子供たちとの交流の話はそれこそ枚挙にいとまがありません。春風亭柳昇師匠の自伝『与太郎戦記』(ちくま文庫)にも南京(あの大虐殺があったとされる南京です)に駐留中、高熱を出した現地の幼女のために軍医に頼んで注射を打ってあげ大いに感謝されたというエピソードが出てきます。別に松井氏の父上がキリスト教徒だから慕われていたのではなく、軍規正しい日本の兵隊さんだから安心され受け入れられていたまでの話だと思います。これが国民党軍や八路軍であったら事情も違っていたはずです。第一、松井氏のいうように、日本陸軍が残忍な殺人集団であるのなら、その人物がキリスト教徒であろうがゾロアスター教徒であろうが、崇教真光の信者であろうが、日本軍の軍服を着ているのを見ただけで子供たちは逃げていくのではないかと思うのですが。
 日本軍をさんざ悪しざまに言う松井氏も、その日本軍の一員のはずの実父だけは例外と思いたいようです。その意味では彼女も人の子、「父爲子隱子爲父隱」の心ぐらいは持っているというべきなのでしょう。フランスに「お袋以外はみな娼婦」という言葉があるそうです。母親以外は誰でも夜の相手の対象になりうるという意味なのか、あるいは、せめて母親ぐらいは清らかな存在であってほしいという思いを込めた言葉かはわかりませんが、さしずめ松井氏にすれば、「パパ以外はみな殺人鬼」といったところでしょうか。
 松井氏が述べている通り、彼女の父上は牧師で、やはり左翼活動家としてもよく知られた平山照次氏。東京渋谷の公園通りに建つ日本基督教団東京山手教会の設立者です。靖国神社襲撃で日本でもその名を馳せた台湾の自称原住民で国会議員の高金素梅(カォチン・スーメイ)氏一行が来日の折り必ず立ち寄るのがこの山手教会で、韓国の反日活動家や上記の北朝鮮工作員とも縁が深く、反靖国・反天皇勢力のアジト(アジテーション・ポイント)としても一部では有名なのでした。

※後半に続く

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