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「人の苦しみや、悲しさ」を理解できなかった、痛い自分に愕然である。

かなり本気で盲導犬との生活を考えていて、協会の方に色々お話しを伺う機会をいただいたことがある。

もし盲導犬と生活を始めたなら、社会の盲導犬に対する理解の低さを痛感する事になると、盲導犬協会の人に教わった。

身体障害者補助犬法という法律によって、然るべき障害者が補助犬を連れて施設を利用する場合、受け入れ義務があると法律で規定されている。しかし、まだまだ多くの施設、特に飲食店では理解してもらえないことが多いのだそうだ。

なぜ、受け入れを躊躇するのか、その理由は様々考えられる。

しかし、多くの場合は明確な根拠や理由があるからではないのだろう。断る理由もないが、前例もない、というのがその答えだろうと思うのだ。

飲食店にペットは、衛生的にまずくはないだろうか?店内をうろうろされるのではないか?他のお客様が嫌がるのではないだろうか?盲導犬というのはどんな挙動をするのだろうか?よくわからん!

とりあえずお断りしておこう!触らぬ神に祟りなしの思考が働いた結果、というのが90%ではないかと思う。

このことに、青筋立てて反論する気はない。ただ、非常に日本人らしい判断をされることを悲しいとは思うけど。

僕も悲しい人間だった話

人生で後悔した、いくつかの場面の一つに、お客様とのお電話でのやり取りで、間違った判断をした時の思い出がある。

かつて、温泉施設の支配人をしていた時のことだ。

新店開店まもなくの忙しい時だった、年配の男性から妻を連れて入浴に行きたいのだが、妻は乳がんで乳房を切除している。その姿を見られたくないので、専用の着衣着を着て入浴させてほしいという申し出だった。

冷静に考えれば、もちろんO Kである。むしろ、喜んでお招きしたいような内容だ。ところが、僕はその申し出を断ってしまった。

湯船にタオルを浸ける行為、刺青をサポーターや、バスタオルで隠して入る行為、そういったマナー違反に対しては、毅然と注意のできるモラルの高い施設にしようと、思っていた。最初は肝心とばかりに意気込んでいたのだった。

しかし、この申し出はそういったものではない、全然問題ないだろう、そう頭をよぎったにもかかわらず、例外は認めてはならないといった考えが優ったのであった。

電話を切ったあと、自分の、合理的配慮のない行動に、暫くもやもやした。サービス業を営む者としては失格だと思う。今でも、あの年配の男性の電話の声がはっきりと耳に残っている。

“どうして、理解してもらえないんですかね!”

やるせないように電話を切られたあの声が!

色々理由を考え、自分の行為を肯定しようとしても、結局、僕は前例がないという安易な逃げ口上で押し切った。自分で決めることが、面倒だっただけだったにすぎない。ほんとに、恥じている。

同業者の取り組みに自分を恥じる

ピンクリボンキャンペーンという、乳がんについて、正しい知識を持とうという運動が毎年10月におこなわれている。全国の温泉施設の有志のあいだでは、この期間おっぱいリレーというキャンペーンが行われる。

人工の乳房が、様々な泉質の温泉であっても、粘着力や、製品に品質に劣化などが起こらないかを、スタッフが着用したり、湯船に浮かべて実験をする試みである。

この実験を、キャンペーン中に次々な施設で順番に行う。この取り組みを、目の当たりにしてもらい、各施設のお客様たちにも乳がんについての認識を持ってもらおうといった運動である。

あの経緯があっただけに、同業者たちのこの取り組みを聞いて、非常に素晴らしいことだと感じた。こうあるべきなのだ!

「信号は青ですよ」という取り組み

僕は、今「信号は青ですよ」という運動を立ち上げ、広めようと考えている。交差点で白杖を持った人や、盲導犬を連れた、視覚障害者を見かけたら、積極的に声をかけてもらいたいという思いを伝えている。

視覚障害となってわかった事だが、交差点を渡るのには勇気がいる。なんてたって、信号の色がわからない。だから、渡っても大丈夫だというお墨付きが欲しい。

だけど、僕らに気づいて声をかける人はほとんどいない。悪気があるわけではない、白杖を見ても、盲導犬を見ても、その人が目が見えないということが咄嗟に理解できないからなのだ。多くの人は、目は見えているけど、目の前の人のことは身えていない。

この運動には、一人一人が目の前に写っている景色に関心を持ってもらいたい。関心を持つことで、見えるようになることがたくさんある、ということを伝えて行きたいのだ。そしてこれは、自分が行った恥ずべき行為の穴埋めは一生をかけて取り返したいという思いでもある。

多様性を認めあう国にしたい


もし、盲導犬と暮らすことがあれば、相棒とは色々なところにだかけたいと思う。

入店を断られたら、仕方ない。その店を誹謗中傷することはしようとは思わない。その代わり、快く受け入れてくれたお店での楽しい思いは、目一杯伝えたい。

多様性を尊重し合う社会という判断基準が、この国のデフォルトとなるように、この国の一員として努力したいと思う。


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