見出し画像

一週遅れの映画評:『怪物の木こり』(PG12)『劇場版 ガールズ×戦士シリーズ』

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『怪物の木こり』です。

※※※※※※※※※※※※※

 三池崇史って、まぁ当たり外れの大きい監督だと思うんですよ。それでも「当たりがあるだけスゴい」とか「そもそも”当たり外れ”が発生するだけの作品数をコンスタントにシネコンのスクリーンで上映できる監督がどれだけいる?」っていう点含めて、私は三池が好きなんですね。
 そして今回の三池は……R(レア)三池崇史でした! Nよりはかなり良いけどSRには至らない……と思いきや、思いきやですよ。最終進化まで育てると弱めのSRよりはかなり強い優良R三池だったんです!(ちなみに個人的SSR三池は『ヤッターマン』『忍たま乱太郎』『初恋』

 なんというか「中盤までは(きっつ……)って感じだったのが、終盤一気にいい感じになる」作品でしたね。
ざっくりとしたあらすじは、弁護士でサイコパスである主人公はカジュアルに人を殺したりして楽しく暮らしておりました。一方、世間では斧で人間の頭をカチ割って脳を取り出す「脳泥棒」という連続殺人犯が暴れています。ある日、主人公はその脳泥棒に襲われてしまうと。
脳泥棒の発言から、主人公は「コイツは俺が殺人を繰り返しているのを知っている」と察した。だから警察が捕まえてしまうと、主人公のことを話す可能性がある。「だったら俺が先に犯人を見つけて殺せばいんじゃね?」と考えた主人公は、脳泥棒を探しはじめるのでした。
 一方で警察は心理捜査官のプロファイリングにより、脳泥棒の被害者には未だ発見できていない何らかの共通点があると推測。主人公同様、犯人探しに奔走をはじめる……って感じなのね。

 で、毎度のごとくネタバレをしていきますけどw
主人公は脳泥棒に襲われて頭をケガしてしまう。それで病院に行き検査したところ「あぁ、脳チップを使われている方なんですね~」と言われる。あの、私はあんまり固有名詞を覚えるのが得意ではないので、こうやって映画評とかでは大抵「主人公」とかって表記するんです。だから「あぁなんか特別な名前がある装置だけど、覚えられなくてすぱちゃんは”脳チップ”って言ってんだな」って思うじゃない。
 残念だったな! 作中で正式に「脳チップ」って呼ばれてるんだぜ!
で、この脳チップ。頭蓋骨に穴を空けて設置することで電波を発し、脳の機能をコントロールするって道具。ただこの脳チップは人道的問題によって30年前から使用が禁止されている。まぁつまり1990年代初頭に、脳にチップを埋め込んでいい感じにコントロールする技術があった……という作中設定がいきなり飛びててくんのねw
 それで脳チップが禁止された人道的問題の背景にはある事件があったことが語られる。それは30年前に児童大量誘拐事件があり、そこで当時5歳とかぐらいの子どもたちにバンバン無許可の脳チップ埋め込み手術が行われていた。それで15人以上の死者をだして事件は解決した、とされていた。
だけど実はその裏で手術に成功した子どもたちが何人も、児童養護施設に捨てられていたことが判明する。主人公もそのひとり。

 その誘拐事件を起こした夫婦には実の子がいたのだけど、その子どもは天然の「サイコパス」だった。夫婦は「サイコパスを作れるようになれば、治せるようにもなるだろう」という謎の理論により、サイコパスになる、倫理観と共感性を意図的に抑制する脳チップを誘拐してきた児童に埋め込みまくっていた。
 なるほどなー、だから主人公はサイコパスなんだー。そして「脳泥棒」はその実験で生き延びた人工的サイコパスを全滅させようと、連続殺人を起こしていたんですね。

 いや、まぁ正直ここまでは「なんじゃそりゃ」の世界じゃあないですか。謎技術で量産されるサイコパス、斧で襲ってくる殺人鬼、なんでもありのプロファイリング。ここまで見てる間は「うおー厳しい、これは厳しい映画ですぞ」って思ってたんです。

 だけどね、ここからちょっと話が変わってくる。この脳チップは衝撃に弱くて、頭に強い打撃を受けたりすると故障してしまうんです。そして主人公は脳泥棒から頭部にケガを負った。
つまりここで主人公の脳チップは故障してしまう。人為的にサイコパスへと変えていた脳チップが壊れたら、そう、主人公は本来持っていた倫理観とか共感性を取り戻してしまうんですね。
 するとどうなるか。いままで自分がやってきた非道な行いが、唐突に深い後悔になって襲いかかってくるわけですよ。

 この「いままで平気で繰り返してきた悪行が、許されないことだと突然気がついてしまう」。なるほど、この作品が描きたかったのはここなのだな、と。
そういう、人がいきなり倫理観を手に入れてしまい、自分が「悪」だと知ってしまったときの衝撃と戸惑い。それが苦しいから「サイコパスに戻りたい」と考えてしまったり、だけど目覚めた善性がいままでみたいな行動を許さないから、どうしたらいいのか困惑するしかない。

 私にとって三池崇史は「バイオレンスの巨匠」でも「ブロマンスを描かせたら天才」でもあるのですが、それ以上に「ガールズ×戦士シリーズという4クール女児向け特撮の総監督として5年間やってきた」人でもあるんです(一応断っておくと”約4クール”を”約5年”ね)。
女児向けの戦う女の子作品やってきた三池が、そこでは「未就学児のための倫理」がしっかり描かれてきたわけです。その背景を持って見たとき、この「突然、自分のなかに生まれた倫理観に戸惑う男」と「正義の味方として成長しようとするガールズ×戦士」がバチバチに絡み合うわけですよ!

 幼い女の子が「正しいと信じるもののためにがんばる」姿、それを大人の男にやらせるには? ってなったとき「よっしゃ、いきなりマトモになるサイコパスにしたろ」って、すごい発想だと思うんですよ。もうね、これを見せられたら私はどんな無茶設定だって許せる、許しちゃう。
だってキッズ向けで描かれた「幼いけれど、それゆえに普遍的な正義」を成人男性に適用するってことは、その「普遍的な正義」に対する信頼じゃあないですか。こうやって自分の描いてきたものを「間違ってねぇ!」「正しいんだ!」って証明してみせた。これはねぇ、女児向け作品を愛好してる私としては、かなりマジで感動することなんです。

 バイオレンスの巨匠、ブロマンスの天才が女児向け特撮を経由して見せて来たものが「キッズ向け作品で描いたものの信頼と証明」って、めちゃくちゃカッコいいんです
もちろんバイオレンスはしっかりやってるし、最後には主人公と脳泥棒の強烈なブロマンスが描かれるところも「三池作品だなぁ!」って満足感もあって、かなり良かったです。

 いや、もうホントこれ「三池作品を普通に見るけど、ガールズ×戦士シリーズも当たり前に見てたぜ〜」っていう特殊な層(とはいえ、私の周囲では何人か思いつく。たぶん私の生息環境が超偏ってるからですけど)が、もっとも楽しめると思います。
思い当たる節がある人、ぜひ!!

※※※※※※※※※※※※※

 次回は『ダンジョン飯』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?