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一生一品 vol.4 村田 明彦 さん

文・撮影/長尾謙一 (素材のちから第34号より)

【Chef's Profile】
村田 明彦 さん 「鈴なり」
18歳から31歳まで〝なだ万〟で修業する。2005年12月、新宿荒木町に〝鈴なり〟を開店。リーズナブルな価格で日本料理の魅力をお客様に提供し、特に女性には人気が高い。季節ごとに素材の〝走り〟〝盛り〟〝名残〟に向き合い、旬を巧みに使いこなす。 流行におもねることなく開店当初の理想を忘れない。気持ちの入った料理を丁寧につくる、それが鈴なりの料理だ。

村田店主が選んだ一皿には、どんな想いが込められているのでしょう

「一生一品」の第4回目は、新宿荒木町にある鈴なりの店主、村田さんにお話を伺いました。

〝ご自分の人生の中から料理を一品選んでご紹介いただく〟この企画、村田さんは「スッポンの丸鍋」を選びました。

この料理は村田さんにとってどんな意味があるのでしょうか。

「スッポンの丸鍋」
1kgのスッポンなら一升の酒、天然のスッポンをさばいてたっぷりの酒で煮る。酒で身をやわらかくし、スープに身の味を残す。天然水、さらに昆布、焼きもちを加え弱火で静かに煮込み、最後に塩と薄口醤油で仕上げる。他の雑味がないスッポンの濃厚な味が楽しめるシンプルな鍋。

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小さい頃から板前になるんだと決めていた

村田さんは小さい頃から、自分は板前になると決めていたそうです。随分早くから自分の道を見つけたものだと感心しますが、そこには理由がありました。実はお母様のご実家が門前仲町にあって、おじい様がふぐ料理店を営んでいらっしゃいました。

そこによく遊びに行っていた村田さんは、将来自分はその店を継ぐのだと思い込んでいたのです。それで高校を卒業してから調理師学校へも行かずに、すぐに〝なだ万〟に入店して修業することになります。しかし、これにはひょんなきっかけがありました。

村田さんが高校2年生の時、板前が集まる忘年会に参加されたおじい様は、〝なだ万〟の料理長と偶然、隣の席になります。後に村田さんの料理の父というか、親父になる方です。そこで、「誰か若い人がいませんか。」という話になったそうで、「うちに今度、高校卒業する孫がいるけど。」となって、「じゃあ、ぜひ会わせてください。」となりました。

そして、村田さんが高校3年生のゴールデンウィークに〝なだ万〟へ面接に行って、その場で採用になりました。ですから、高校3年生のゴールデンウィークには早々と就職先が決まっていたのだそうです。

こうして村田さんは〝なだ万本店 山茶花荘〟で働きはじめます。修業がつらいとは少しも思わなかったそうです。「あの時は大変だったよねと言う人もいますが、何がつらかったのか大変だったのか分かりません。だって修業は全部自分のものになったから。」と村田さんは言います。

ただ、嫌なことはたくさんあったみたいです。「おい、お前あれ持ってこい。」とか、「あれやれよ。」と指図されることがたまらなく嫌で、いつもムカムカしていました。

おじい様のお店で高校3年間アルバイトをしている間、いつも「人が気づく前に気づけ。」と注意されていましたが、頭ごなしに命令される経験はありませんでした。言われる前にやろうとしても知らないことはできないので、とにかく我慢して、指図されることに慣れるようにしたそうです。

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吸い物のあたりをつける難しさを学ぶ

味付けは、教えてもらう人の味と自分の味が合わないと覚えられないそうです。味付けを教えてくれた親父さんのつくる味は凄くおいしく、この人は一味違うなと村田さんは素直に溶け込めました。

初めて吸い物のあたりをつけさせてもらった時、村田さんの味付けは朝、昼、晩、すべてバランスが崩れバラバラだったといいます。何度やっても上手くいかない。そこで塩分濃度計を自分で購入し、おいしさを数値でつかんで自分の舌に覚えさせました。朝自分が出勤した時に一番出汁で吸い物をつくり、これでいいと思う味付けをラップして取っておきました。

同様に昼も夜も吸い物をつくり、仕事が終わった後に比べてみました。塩分濃度を調べると1%だったり0.7%だったり、凄くブレがあったそうです。それを繰り返しながら自分で味のバランスをつけていきました。

具材にもよりますが、吸い物の塩分濃度は0.85~0.9%くらいがおいしく感じます。訓練を続けるとブレることなくその濃度に合うようになっていくらしく、親父さんに吸い物のあたりを持っていき、「オーケー。」と言われたものを自分の塩分濃度計で測ると、いつも濃度は合っていました。

自分の結納式に自分でつくった「丸鍋」を出した

板前になるとスッポンやふぐやアンコウなど、特別な食材にお目にかかります。どうにかして触ってみたい、さばいてみたい、味付けしてみたいという想いが強くなりますが、高価な食材はそう簡単には触らせてもらえません。

〝なだ万〟での修業が5年くらい経った頃、村田さんは結婚することになり、その結納式を自分が働く〝山茶花荘〟で開きました。その頃、まだ煮方の脇について味付けの勉強をさせてもらっていた時で、自分で仕上げた料理が店に出されたことはありませんでした。

親父さんから自分の結納式の食事に何を出したいかと聞かれ、迷わずにスッポンを選びました。自分の結納式に自分でつくった「丸鍋」を出したのです。「自分でつくったのに、凄くおいしい。」そう思ったそうです。奥様もご両親も皆さんおいしいと言ってくれて自信がつきました。

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それにしても結納式に皆さんで鍋をつつくとは、村田さんのざっくばらんな人柄が出ています。そして何よりも、「スッポンを使ってみたい、そして板前としておいしいものを出して認めてもらいたい。」という強い姿勢を感じられる料理です。

これ以降、村田さんは煮方として「丸鍋」はもちろん、他の料理の味付けも任されるようになります。村田さんにとって「丸鍋」は煮方に上がる決定的な料理になったのです。

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この「丸鍋」をさらにバーションアップしたものが今の〝鈴なり〟のメニューにはあります。スープはスッポンのコラーゲンがたっぷりで、いきいきとしています。

村田さんの心意気を召し上がってみてはいかがでしょうか。きっと、気持ちが上がってきます。

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※この記事は2019年5月に取材したものです。


(2019年6月30日発行「素材のちから」第34号掲載記事)

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