" 雲がくれの短歌 "
今日もまた、犬と一緒に、池の公園を散歩してきました。
※ ヘッダーの写真
幹から折れて傾いた大きな木。池に半分浸かっていて、冬は枯れ木のようでしたが、水面上に若葉が見られるようになりました。
短歌 ) ) )
春の池
浮く白鯉がしぶき上げ
すうっと消え入る雲かかる月
撮った画像を眺めていたところ、ん?? 白い鯉が三日月に見えないこともないです。
こちらは、連休初日に撮りました。右の前方には菖蒲の花が咲いていました。こんなところに菖蒲、あったかな? 花か咲く前は、きっと、葦か何かだと思って見過ごしていたのでしょう。
お月様役を、今からしようとしている白鯉さんの回りには、たくさんの黒い鯉が黒子の役で蠢いています。
先日、NHK全国短歌大会と、俳句大会を観ることを忘れていて、慌ててNHK+で観ました。
その俳句大会の方で「本歌取り」ということについて、選者の俳人の方が語っておられました。
聞き慣れない言葉で、気になり、調べてみました。
簡単に、まずWikipediaによると、
………歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法………
だそうです。
「本歌取り」は平安中期以降から始まり、新古今時代に盛んに用いられました。当時、賛否両論あったそうですが、平安から鎌倉時代初期、歌人の藤原俊成とその息子藤原定家はこれを表現技法として評価し、そして定家は「詠歌大概」にて原則を作りました。
・本歌と句の置場所を変えないで用いる場合には
2句以下とする。
・本歌と句の置場所を変えて用いる場合には2句
に加えること3・4字までとする。
・著名歌人の秀句と評される歌を除いて、枕詞
序詞を含む2句を本歌をそのまま用いるのは
許容される。
・本歌とは主題をちがうものとする。
・定家から見ての近代詩は採用しない。
等、
実際どんな和歌があるのか調べると、実にたくさんの和歌が、本歌取りの技法をを使っていることがわかりました。
その中で1つだけご紹介……ご本人、藤原定家の歌
こぬ人を【まつほの浦】の【夕なぎ】に【焼く】や【もしほ】の身もこがれつつ
この歌の本歌は、万葉集の長歌にあります。
【松帆の浦】に【朝なぎ】に玉藻刈りつつ夕なぎに【藻塩焼き】つつ海人娘人
藤原定家のこの和歌の意味、「本歌取り」を知らななかったこともあるけど、焼くや藻塩の、の辺りが難しくて分からないままにしていました。
藻塩とは、海水から精製された塩のことで、その製法で煮詰める (焼く) から、恋い焦がれる、へ繋がっており、実は、恋する乙女の身になって詠んだものでした。
千年近く前の和歌で、歌人がそのまた昔の万葉の歌に敬意を表し、このような技法を用いる遊び方があったなんて私にとっては新しい発見で、全国NHK俳句大会がきっかけとなり、思わぬ勉強をさせてもらったことになりました。
◇ ◇ ◇
そこで、そろそろもううんざりかもしれませんが、
私の "今日の短歌"
" 春の池浮く白鯉がしぶき上げすうっと消え入る雲かかる月 "
実は、作った時、まだNHK……を観ていなくて、「雲かかる月」を「雲がくれの月」にしていました
。ちょっと使いたかったのです。
それは、もちろん・・・
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ前に 雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
からの引用、いや「本歌取り」なんですが、
「「雲がくれ」」、私の拙い短歌に、畏れ多くて使えなくなってしまったのです。
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