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7.誕生日プレゼント

私は小学生4年生になっていた。

あの後、母の友人の伝手で、私達は家賃3万の借家に引っ越していた。

廊下のない全部屋が繋がっている古いつくりだったが、4LDKと、3人で住むのには充分な広さだった。

水道料は無料だが、その理由は井戸水だから。
この井戸水は飲めるのだが、独特の匂いと味がして、私は嫌いでしょうがなかった。
蛇口をひねれば誰でもすぐ飲める水なのだが、水を飲みたい!そう思っても飲む事ができず、辛かった事を覚えている。

また、この家は少し特殊なつくりだった。

風呂は地下にある。

地下といっても、家自体が傾斜の土地に建てられている為、風呂場には窓があり、ちゃんと外が見える。

だが、その風呂場に行く通路がとても怖かった。

地下へと続く扉を開けると、小屋のようなつくりで、真っ暗な中に歩くとギシギシとなる木でできた階段がある。

そこを降りて、風呂場へ行く途中に、今は使われていない封鎖されたトイレがあり、ホラー映画に出てきそうなその場所がとても怖くて仕方なかった。

この家には中学1年の途中まで住んでいた。

ちなみに違う家に引っ越してからは、好きな時に好きなだけ水を飲めるという幸せを噛み締めていた。

この頃、母は私達の前で、父を親父と言うようになっており、その影響で私や姉も同じ呼び方をしはじめていた。

時にはクソ親父と。

私の中で、大好きだったお父さんから、私達を苦しめる悪者のような存在になりつつあった。

しかし混乱している中であり、父を好きだという気持ちは残っていたと思う。

父はいろんなところから情報を得て、私達が住んでいる場所を知ったり、私や姉が通る場所を把握して、車で待ち伏せする時もあった。
私や姉は、遭遇しないように気をつけるようにしており、この父の行動を、母はストーカーと言っていた。

そして私もストーカーされているという感覚になっていた。

この日は私の誕生日。

母は

「親父、家に来るじゃない?」

みたいな事を言っていた。

夜8時頃だったと思う。

外でバタンッと車の扉を閉める音がした。

茶の間の障子ばりの薄い戸を開けると、そこはすぐ玄関になっていて、様子を見る事ができるようになっている。

そして、曇りガラスでできた玄関の戸にササっと人影が見えた。

「来た来た」

母が言う。

私は少しビクビクしていた。

車が去った音を確認して玄関の戸を開けると、そこには小さなダンボールが置いてあった。

中を開けるといろいろな物が入っていた。

記憶に残っているのは、当時流行っていたGショックとCDプレーヤーの2つ。

私の家は母子家庭。
高価なものを買ってもらうことなんか出来なかった。

何も買ってもらえなかったわけではないし、そういう事に対して母を恨んだ時もないが、当時流行っていて周りが持っていたポケモンやデジモンも、私はやった時がない。

そういう話を友達がしていてもわからず、テレビでやっていたアニメの内容を見てなんとかついていける程度だった。

そんな中のマイブームは数百円で買えるビーダマンだった。

欲しくて欲しくてやっと貯めたお金で買ったプレステも、買った頃にはプレステ2が発売される頃だった。

私はこう思っていた。

「別にうらやましくないし。そんなに欲しいものが手に入ったらわがままな性格になるし、なんでもすぐ買い与えてあげる親ってどうなの」

と。

本当はとてもうらやましかったと思うが、そういう風に思う事で、自分の本当の気持ちを閉じ込めるようになっていたようだ。

とはいえ、そんな生活の中で、普段は手に入らないものが家に届けば、欲しいという感情になるのが当然だ。

しかもそれが、嫌いになりつつある父からとはいえ、認識できない混乱した気持ちの中に残っている大好きなお父さんからだという無意識無自覚の感情も合わさって、欲しいという気持ちがあったようだ。

でも、受け取ってはいけないという気持ちとの戦いで、すごく戸惑っていた。

なんか文章がめちゃくちゃだ。
説明するのが難しい複雑な状態だった。

母はプレゼントを送り返すつもりのようだった。

次の日だったか、週末だったか忘れたが、プレゼントはダンボールに入ったまま、茶の間の隅に置かれていた。

私は、CDプレーヤーが欲しかった。

壁にもたれかかって雑誌を読んでいる母に恐る恐る聞いてみる。

「これ、もらっていいの?」

母はこちらを見もせず、雑誌に顔を向けたまま不機嫌そうな顔で冷たく言った。

「もらいたきゃもらえば」

私は一瞬、恐くてウゥッと息ができなくなったが、欲しい気持ちが強く、気づかれていたかはわからないが、母の様子を伺いながらこっそりとCDプレーヤーを持ち出した。

私は当時GLAYが好きだった。
ちょうどHOWEVERが大ヒットした頃で、親戚からもらったお盆こづかいか何かで、GLAYのアルバムを買った。

あの黒いPanasonicのCDプレーヤーで聴いていたHOWEVERは、多分人生の中で1番聞いた曲だろう。

あのやっとの思いで手に入れたCDプレーヤーはもうないが、GLAYは好きなままだ。

そして、いつもHOWEVERを聴くと、あの頃を思い出す。

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