荀子 巻第二十堯問篇第三十二 7 #2
前回は、「荀子は孔子に及ばない」という人に対して反論し、荀子の若い頃には賢主がおらず晩年は秦という乱暴な国が台頭して、世の中は真っ暗な状態となり、君主の耳目は覆われて賢者を見分けられず、賢者も悪臣に阻まれて君主に近寄ることもできなかったという所まで読みました。
続きです。
然→しかり。そのとおり。肯定や同意をあらわす語。
懐→いだく。心にいだく。思いをいだく。
佯狂→狂人のふりをすること。
色→おもむき。面白み。ようす。
蒙→こうむる。身にうける。かぶる。
視→④しめす。おしえる。⇒示。
哲→さとい。かしこい。利口。賢明。
白→⑥あきらか。あきらかにする。
徒与→仲間。徒党。
光輝→②名誉。ほまれ。
遺言→②先人が生前言ったこと。また、その言葉。いごん。
余教→②残しておいた教え。後世に伝えられた教え。また、教えの一端。
法式→儀式・礼儀などのきまり。作法。
表儀→手本。
神→⑨おさめる。⇒敒。敒→おさめる。
過→①すぎる。(ウ)こえる。
奈何→②文末に用いて、状態などについての疑問を表す。どんなであろうか。
拙訳です。
『この通りの状況であるから、荀子も聖人であろうとする思いを心にいだきながら狂人のふりをして、世間には愚人のように見せかけたのである。詩経に「聡明かつ賢明であって、その身を保全する。」というのはこの事を言うのである。だから名声が明らかにされずそのため仲間は多くなく、名誉は広く行き渡らなかったのである。現在の学者が、荀子が生前に言ったことや残した教えを修得すれば、世界の作法の手本となるのに十分であり、その教えの在る所は治まり、その教えが通った所は感化されるのである。このような善行を見ると孔子でも越えられない。世間の人が細かなところまで明らかにしないで「荀子は聖人ではない」というのは、どういうものか。世界が治まらなかったのは、荀子が良い時代に巡り合わなかったからである。』
時代が悪かったため、荀子は愚人のふりをして身を守らざるを得なく、そのために荀子の賢明さは明らかにならず仲間は集まらず結果名声は広まりませんでした。今の学者が荀子を学び教えを修得すれば世界の手本となることができ、世界を治められるのです。その善行は孔子も越えられませんと力説しています。
時代の巡り合わせが悪かったために、世間には知られておらず正しい評価がされていないと訴えています。
続きは次回とします。
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