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荀子 巻第二十哀公篇第三十一 2 #4

前回まで、孔子が哀公に、人には庸人・士・君子・賢人・大聖の五等級があると言い、哀公がそれぞれについて質問を重ねてきました。庸人・士・君子までの説明が終わっています。
続きです。

哀公曰わく、善し。敢えて問う、何如いかなればすなわちこれを賢人と謂うべきかと。孔子対えて曰わく、所謂いわゆる賢人なる者は、行は規繩にあたりて本(真)をそこなわず、ことばは天下に法とらるるに足りて身を傷わず、富は天下を有して、怨(蘊)財なく、天下に布施して貧をうれえず。くの如くなれば則ち賢人と謂うべしと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

規繩→ぶんはわしと、すみなわ。転じて、てほん。きまり。法則。
中→🈔①あたる。(イ)かなう。適合する。合う。
本→もと。大切な部分。要点。
傷→そこなう。傷つく。傷つける。
法→のっとる。手本とする。従う。ならう。
有→もつ。たもつ。持ち続ける。
怨→🈪つむ。⇒蘊。蘊→つむ。積み重ねる。蓄える。
布施→①人に物を施すこと。
病→やむ。わずらう。苦しむ。心配する。病気にかかる。
拙訳です。
『哀公は、「(君子については)分かった。わざわざ尋ねるが、どのようであれば賢人と言うべきかな。」と質問を重ねた。孔子が答えて言う。「世間一般に言われる賢人という人は、その行動はきまりに適っており根本を傷つけることなく、その発言は世界を従わせるのに十分で自身を傷つけることはなく、その富は世界を保ち、蓄えられる財産はなく、世界の人に施しをして貧する心配がありません。このような人が賢人と言われる人です。』

すごいです。賢人ともなると、世界が相手となります。
行動は法に適い、発言は世界の手本となり、富は世界を保ち世界の人に施しをしても貧する心配がありません。
アメリカの大富豪・元大統領を思い浮かべましたが、行動や発言が必ずしも世界のお手本になっているとは思えず、賢人とは元大統領でも届かない人なのだと、勝手に想像してしまいました。
続きは次回とします。

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