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荀子 巻第二十堯問篇第三十二 7 #3

前回まで。荀子は孔子に及ばないという人に対しての反論、時代の巡り合わせが悪かったために、荀子は愚人のふりをして世間には知られず正しい評価がされていないのだ、というところまで読みました。
続きです。

徳は堯・禹のごとくなるに世にこれを知るもの少なく、方術用いられずして人の疑う所と為る。其の知はきわめて明かにして、道に循がいて行を正し、以て綱紀と為すに足る。嗚呼ああ、賢なるかな。宜しく帝王とも為るべきに天下は知らず、桀・紂を善しとして賢良を殺す。比干は心をかれ、孔子はきょうくるしめられ、接輿は世を避け、箕子きしは佯狂せるに、田常は乱を為し、闔閭は強をほしいままにし、悪を為す者は福を得て善き者はわざわいあり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

方術→②学芸技術。道術。
綱紀→国家を治める大法と細則。また、一般に規律。
剖→さく。切りさく。切りわける。
匡→古代中国の地名。
拘→とらえる。とどめる。つかまえてとどめておく。
接輿→春秋楚の隠者。孔子と同時代で、狂人のふりをして、隠棲したといわれる。高士伝には、姓は陸、名は通とある。高士→①志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。
田常→春秋時代の斉国の大夫で、田氏の宗主。斉国の政権を掌握し、後の「田斉」の端緒を開いた。
闔閭→中国,春秋時代末期の五覇の一人。呉王 (在位前 515~前 496) 。闔廬とも記される。王僚を殺して即位。
擅→ほしいまま。ひとりじめにする。自分の思うままにする。
殃→わざわい。災難。不幸。
拙訳です。
『徳は聖王・堯や禹のようであるのに世間で荀子を知る人は少なく、学芸技術は採用されずに人が疑うものとなった。(しかし)その知力は極めて聡明であり、道義に従って行動を正しくし、これらは国家を治める大法と細則とするのに十分である。ああ、なんと賢明な人だろう。帝王にもなるべき人なのに世間は知らず、(世間というものは)暴君桀や紂を良しとして賢良な人を殺しているのだ。殷の賢人比干は心臓を割かれ、孔子は匡国で捕まり拘留され、高士である接輿は世を避けて隠棲し、殷の賢人である箕子は狂人のふりをし(このように賢人が難儀をした一方で)、田常は乱を起こして斉の国を奪い、呉の闔閭は強さをもって思うままにふるまい、悪事を働く者が福を得て善人が災難に遭っている。』

今の説を為す者は又た其の実を察せずして乃ち其の名を信ず。時世の同じからざれば、誉れ何に由りてか生ぜん。政を為すを得ざれば、功んぞ能く成らん。志修まり徳厚ければ、たれか賢ならずと謂わんや。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

名→評判。名誉。功績。
時世→時とともに移り変わる、世の中。時代。ときよ。
同→⑥おなじくする。(エ)ととのえる。
安→「いずくんぞ」と読み、「どうして」の意を表す。
志→こころざし。心に決めた目的や目標。
孰→「たれ」「たれか」と読み、「だれが~か」「だれを~か」の意を表す。
拙訳です。
『今の時代に(荀子は孔子に及ばないと)主張する者は、又その実体を明らかにしないでその評判を信じているのだ。時代が整えられていなければ、名誉・評判は何によって生じるだろうか。政治を執り行うことができなければ、どうして功績を残せようか。志を修めて、徳が厚いのであれば、誰が賢人ではないと言うだろうか、いや、皆荀子を賢人と認めるはずだ。』

『荀子』の最後は、荀子を礼賛する内容でした。
賢君主不在、暴秦の時代を生き抜くために愚人のふりをした荀子の本当の姿を知れば、誰もが荀子を孔子にも劣らない聖賢であると認めるだろうという内容です。
僕のポイントは「其の実を察せずして乃ち其の名を信ず(その実体を明らかにしないでその評判を信じている)。」です。
権威に弱い僕は、「其の実を察せずして乃ち其の名を信ず。」という傾向が強いと自認します。フェイクニュースの危険も身近にある時代です。其の名に惑わされず、自ら能動的に其の実を察していきたいと思います。

ということで、2年と少しかかって、岩波文庫『荀子』を読了しました。
読了できたのは多くの皆さんにいただいた「スキ」のおかげです。心よりお礼を申し上げます。中でも、「鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生」さんにはほぼ毎日応援をいただけ、感謝しかありません。『さすが塾の先生、僕の怠惰な性格を見越して毎日見回ってくださっている。』と勝手に解釈し、日々の読書の励みにさせていただきました。ありがとうございました。

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