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イエス・キリストの最後の道筋を辿るヴィア・ドロローサ(悲しみの道)

キリスト教徒ではないので、聖書の知識は子供の頃の童話や物語あたりでしか得ていないのですが、どういうわけか興味があって、ゴルゴダ、ゲッセマネ、ピラトなどの言葉は、なんとなく覚えていたものでした。
それでも、今回エルサレムに旅行するためにいろいろ調べるまでは、さすがにそんなに細かい描写まで聖書に書かれているとは知りませんでした。
ヴィア・ドロローサは、時の提督ピラトによって死刑が宣告されて、その後刑場であるゴルゴダの丘に至るまでの道のり(という風に設定した場所)を辿ることができるように、少なくとも数百年前から定められていたようです。
今回は暑さもあって、じっくり道筋を辿ったわけではなく、2日間の中でタイミングを見て廻ったものです。

第1留 ピラトに裁かれる

学校の門は閉ざされていた

かつては聖アントニオ要塞があった場所で、ここでイエスが裁かれた場所。今は学校なので、放課後なら入れるというけれど、結局行けませんでした。

第2留 鞭で打たれる

鞭打ちの教会

イエスが鞭で打たれた場所に教会があり、茨の冠の模様が天井に描かれていました。ここから十字架を背負って歩き始めたとされます。

第3留 最初につまづく

倒れこんだイエスの姿が刻まれている

モニュメントの下が入り口となっていて、アルメニア教会がある。

第4留 聖母マリアと出会う

第3留のすぐそばにある

マリアと遭遇した場所とされていて、教会はあるが、入れる感じではなかった。

第5留 シモンがイエスを助ける

多くの人が行きかう場所

人が多い交差点のところにマークがあり、ここでキレネ人のシモンという人が、十字架を代わりに背負って歩き出したという場所。

第6留 ベロニカが汗をぬぐう

細い坂道の途中

ベロニカという女性がイエスの汗をぬぐったという場所

第7留 二度目につまづく

スークの通りとぶつかるところの正面にある

裁きの門という門があったところとされ、ここでイエスがつまづいたという。今はコプト正教の教会になっています。

第8留 エルサレムの女たちを慰める

小道を上がったところにある

ここから当時であればエルサレムの城壁の外になり、エルサレムの婦人たちに「私のために泣くな、子供たちのために泣け」と話しかけたところ。

第9留 三度目につまづく

聖墳墓教会の屋根近くにある

スークの中からわき道にそれるのぼり階段を上がり、聖墳墓教会の屋根に近くコプト正教の教会のそばに記念のプレートが埋め込まれています。

第10留 衣服を剝ぎ取られる

聖墳墓教会の入り口。右側が第10留

聖墳墓教会自体がゴルゴダの丘に立てられていて、現在の入り口の右側が丘だったところ。外の階段をのぼったところが第10留の聖堂なのですが、入ることができませんでした。

第11留 十字架が立てられる

十字架にかけられるイエスの絵がある

教会に入ってすぐ右側の石段を上がったところがゴルゴダの丘で、そこでイエスが十字架にかけられたとされている。このあたりの各留は、少しわかりにくい。

第12留 イエスの死

ギリシャ正教の聖堂

11留の隣にある聖堂で、祭壇のところに十字架を立てた穴があり、祭壇に潜れば触れることができるようになっています。

第13留 マリアが亡骸を受け取る

11,12留の間にある小聖堂が、マリアが亡骸を受け取ったとされる場所。スターバト・マーテルという祭壇があります。このタイトルのプーランクの名曲をちょうど今年聴く機会があったので、なんとなく感情が昂ります。

第14留 イエスの墓

イエスの墓とされる聖堂

ゴルゴダの丘から実距離にして15mほどのところにこの聖堂があって、そこに葬られたということで、立派な聖堂があります。
さらに3日後に復活したということから、第15留という言われ方もするそうです。

正直、なかなか追体験するというほどまでには至りませんでしたが、実際どうだったかはともかくとして、多くの人たちが、何百年にもわたってこの道を巡礼したと思えば、非常に価値あるものだな~とは思いました。

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