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家について...

ジャズ喫茶を契機に音の世界へ。さらに進む前に、音と音楽の基礎を築こうと決めた。日本を離れて、これから音を探求する道に巡り合ったことを書き留める。新しい拠点では深刻なハウジング・クライシスがある故に、「家」について考え込み始めた。

旅行と移動を好んできた自分は、今まで「家」に執着しなかった。新たな生活を始めるにあたって、安定した環境が欠けるとストレスが募る。住所を登録できる物件がめったにない。そうなると、口座、保険、収入もなし。200人以上が一つの部屋に応募する。朝に同じ授業を受けたクラスメイトとお昼の内見でばったり会い、仕事の面接より競争激しい。結婚していないのに、友人の推薦で離婚ハウジングも登録してみた。オンライン、オフライン。いつでも、どこでも。授業中に物件をスクロール、コンサートのひと休みまで続く。

前向きな自分は、助けがなかった。ちょうど一ヶ月目、熱から回復しながら、9回目荷物を詰めていたところ、これはいつまで続くのだろうと初めて涙がぐずぐず流れていた。今回は、リビングリームに移動。大家さんはバラしたダンボールでベットを囲み、女の子だからプライバシーを作ってくれた。夜になったとき、ボギっと崩れた。2週間後、どこにいるのか全く見当つかなかった。リビングはモテて5ヶ月後まで並んでいた。東京の心を落ち着かせる民家の部屋と、いつもお裾分けしてくれる大家さんを思い出した。闇の中、窓に映った自分を眺めて、意識が弱まった。私はいったい何をやっているだろう。日本の心地の良い生活を離れたのは正しい判断だったのか?

前回、家の重要さを気づいたのは、東京のシェアハウスの一人がコロナを抱えた時だった。その時、外でうろうろして、敏感な時期に友達に迷惑をかけたくない。こういう時期は、家族にしか無条件に受け入れられない。一人ぼっちだった。今、振り返ると、日本での家探しも大変だった。賃貸契約に20歳以上の日本人の保証人が必要。17歳だった自分は、知り合いは一人もいなかった。2回目東京に戻った際、物件を探した間に、友人の押し入れに3週間泊まらせてもらった。ドラえもんのように住めることに興奮して、これ以上何もいらないとわかった。しかし、3日目は目が痛く腫れるまで、息を切らして泣いていたことを覚えている。押し入れのために泣いたわけではなく、お父さんの突然の死だった。

今は、延長の可能性がある、3ヶ月のストレージルームに泊まっている。一枚の木の板でこれまで満足したことがない。静かな3畳半の部屋にある机。他人の屋根の下では、彼らのルールで生きる。光、音、匂いに繊細なルームメイト。次の挑戦は、高度に清潔さを保つ。香りが漂わないキッチン、水滴が残らないお風呂、5分間に測られるシャワー。掃除している日々、不器用な自分はいつ追い出されるのを恐れている。自由奔放で、ルールが苦手な自分。今、外はつま先を感じられない寒さ。泊まる場所が必要だ。ルールが増えていく中、選択する余地もなく従わざるを得ない。

家は私たちを精神的に支えてくれる、私たちの生活のもとになる。誰もが持つことを願っている。


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