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がらんどう

 「がらんどう」とは「中に何もなくて広々していること」と説明されているが「何もない」なんてことはあり得るのだろうか。「がらんどう」の由来であろう「伽藍堂」は「寺院で『伽藍神』を祭ってある堂 」のことで「伽藍神」とは「寺院を守護する『神』」と説明されている (「大辞泉」)。

 ある日「ある晴れた朝に 山へ 深く深く果てしなく 今ここに ある晴れた朝に 海へ 広く広く果てしなく 今ここに ああ 満たされて がらんどう 奇跡でも偶然でもない 今ここ」 という歌がやってきた。奇跡でも偶然でもなければ「自然」か。「しぜん」ではなく「じねん」がしっくりくる。