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Vol.005 「自分」との渉り合い(2)〜ひよこクラブの基本精神《4 ベテランにはできないことをやれ 》 について〜

《2人のささやかな行為から学ぶべきこと》

 前回からの続きです。
 アオキ先生が、毎朝誰よりも早くHR教室に入って窓を開けて換気していたなんて、生徒の誰一人として気づかないままだったのかもしれません。また、某先生が、マメにゴミを拾って歩いていることも、生徒は誰も気づかないまま卒業していっているのかもしれません。
 気づいた生徒がいたとしても、だからなんなの?ぐらいかもしれません。あるいは、どうせ用務員の方が掃除するんだからいいじゃん、なのかもしれません。効率や合理性といった言葉からはほど遠い行動です。無意味、無駄、と言ってしまえばそうかもしれません。

 直接生徒に指導するわけではない。教育効果が望めることでもない。それどころかその行為自体に大きな意味があるのではない。だから「わざわざ取り立てて話題にすることではない」とか、「些細なことに過ぎない」とか、「だからそれになんの意味があるの?」なんて思われる方もいらっしゃるかもわかりません。
 そこには、効果、効率、実利、実効性、合理性、といった近代が一番大切にしてきた合目的的なものは全くないのですから。

 でも、学校の先生の本質って、こんなところにあるのではないでしょうか。
 こうした先生方を見ると必ず大村はまの「仏さまの指」を想い出します。(注1)また、「神は細部に宿る」という言葉(注2)や、誰も気づかないとしても、ものごとが正しくなされるように心がけた古き日々の建設者たちをうたったロングフェローの詩の一節(注3)想い起こします。

 今はあまたの教育スキルや手法や理論やツールがあります。業者主催の学外研修や研究会も盛んです。実際にこういったものから逃げずに積極的に学んで身につけていかないと、肝心の生徒が損をする時代です。

 授業のみならず調査書に関してさえ、もしこのまま進めば教員ごとに質が問われる時代へと突入します。新しい調査書といえば、「書く教員によって調査書に差がつくのはおかしい!」と猛反対している高校教員は多いそうです。
 一見大正論のようですが、自己保身が見え隠れして、なかなか恥ずかしい。自虐ネタならかまいませんが、自分の出来なさを、本気で逆ギレしながら子どもみたいにヒステリックに雄叫びをあげているように見えてみっともない。

《「プロ」と「アマチュア」の違い》

 それがプロなのでしょうか。

 プロとアマの違いは何だと思いますか?

 責任の重さ? 意識の違い? それらは瑣末なことです。

 プロとアマの違いは給料(バイト代とかではなく、給料です)をもらうかどうかの違いです。

 じゃあ給料もらう意味って何なんでしょうか。

 ご存知のとおり、給料は「労働の対価」であり、当の労働は、当人が所属する「組織への貢献度」で査定されるものです。決して「がんばった(つもりの)私へのご褒美」ではありません。したがって当然すぎることですが、「私の満足度」は給与に何ら相関しません。

 オーダーにより良く応えることができる者、これがプロです。自分のこだわりや趣味で業務を選り好みするならそれは仕事でもなければプロでもありません。

 自分の出来なさや好みの合わなさを、原理主義的な正論や例外の一般化や果ては屁理屈まで動員して主張しても許される業界は伝統的に学校業界ぐらいです。

 かてて加えて今の時代は、「おねだりばかりしないでまず自分が勉強して、練習して、良い調査書を、良い授業を、良いホームルームをしろよ。オキャクサマ、カミサマじゃないんだから。労働者なんだから仕事の選り好みなんかしないで苦手な仕事も嫌な仕事もがんばってきっちりやれ、って意識高い系のお前の好きなマルクスサマも言ってるぜ」なんて当たり前のことを誰も言えない時代です(パワハラになりますから)。ですから、過渡期である今は、自分の意思で学んだり研修会なんかに参加したりして己を謙虚に磨いておくことはなおさら大切です。

 でも、当たり前すぎて見えなくなりやすい、地味なことだって大切です。それは例えば冬場はHR教室の窓を開けることだったり、ゴミが落ちていたら必ず拾うことだったり、行事の前後の設営や撤収に一番に駆けつけることだったり、そんな、一見どうでも良さそうな、スキルなんか必要ない、誰でもできる、なんでもないことです。

 ところがみんなやらない。なぜでしょうか? 

 職員室で教材研究が忙しい、クラスが忙しい、採点が忙しい、成績処理が忙しい、部活が忙しい、校務が忙しい、だから朝のHR教室の換気も、校内に落ちているゴミを拾うのもやるヒマがないのでしょうか? それともそもそもそんなことはそれこそ瑣末なことで、価値や意義のないことだからなのでしょうか?

 みなさん、原点に立ち返ってみませんか?

 次回はもう少しだけ掘り下げたいと思います。
 最後まで読んでくださってありがとうございます。感謝します。

(注1)大村はま…『教えるということ』ちくま学芸文庫
(注2)「神は細部に宿る」という言葉…建築家ミース・ファンデル・ローエの言葉
(注3)ロングフェローの詩の一節…「建築士」

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