純粋な自分でいれない、当たり前になっている癖
お風呂上がりに読んだ本の一節が今の自分にかぶる。
要らないのになぜか取ってしまっていたものを、友達に『これ要るやつだった?』って聞かれて
っという一節。要らないおもってたのに引き伸ばしてて、要るのか、要らないのかを選択する直面に立ってはじめて『捨てるもの』だったことに気づいた瞬間の場面。
今日は月一の観察グループワークの日で、朝から夕方までワークだった。
午前中のみんなの振り返りのシェアだけでも今日は5時間半かかっていたけど(毎回おもうけど文字にすると凄い事に感じるw)、自分がこの1ヶ月の自己観察のシェアする時もそれを振り返って話すことで観察や気づきは深まるし、みんなのシェアを聞きながらも意識は同時に自分にも向くから、そこから自分のことだけでは深まりきってなかったり気づかなかった事に気づいたりする。
5時間半、人の話を聴くっておもうとそれって忍耐力がいるように感じるけど、内観しながら聴いてるからみんなの話を聴いてくほどに意識がクリアな瞑想状態に近くなってく。 この時間に感じとれることって1人での向き合いだと何日もかかるような事だったりもするから、グループワークのエネルギーの高まりってほんとに毎回凄いなとおもう。
そこからの午後のワークではosho禅タロットの【激しさ】と【怠惰】のカードから、『自己不信』や『不安』から純粋な自分でいれなくしている自分の当たり前にやっていたり・やってなかったりする癖やパターンに気づくというワークで、私は
○(仕事以外で)意識が散漫になってひとつひとつの事を集中してやるってことを忘れていたりする事や
○やりたいことややるべき事があるのに、何気ない癖で心地良くないやり方の休憩をしている。(自我から少し出て他者ととけあう休憩や仕方をしてる)
こんなことがでてきた。
これは気づいてないわけではないけど『これは落としていくもの』って決めてはなかったものでした。
今の自分のテーマとしても『今あるものを遊ぶように楽しむ』ってことが意識に上がってきて取り組んでいるから、少し現実逃避や無駄にしているような、ぼんやりした時間を落としていくと決めるときだなっとかんじました。
そこから結果を出そうとせずに表現するってことを、みんなのシェアからの事でファシリをしてくれてるともちゃんが伝えてくれた。それはわたしにとってもとても大切なあり方だなっておもって聴きつつも、そこに対しての価値観をシフトチェンジする(素晴らしい、かっこいいとおもう価値観ごとシフトチェンジする)って提案にはそのイメージがつかなくて、みんながイメージがつくなか1人イメージがつかめなかった。
それに対してモチベが上がる角度ではつながれなくて、なんとなく自分の合う角度は『かっこいい』ではなく『たのしい』『おもしろい』とかなんだなって事はそこで感じれたけど、その後家に帰る頃には気持ちがなぜか沈んでいっててちょっとだけ焦った。
何が自分の中で反応してそうなってるのかわかりそうでわからなくて、ご飯のあとパートナーの風人に話を聞いてもらった。いろんな角度でそれを話していってみて出てきたのは、自分にとってまだ完全には昇華しきれてないトラウマが触ってるんだなってことが見えてきた。それは風人が好きなアイアンマンの話からそこが見えてきて、みたかいがすでにあったなと感じるw
一方方向からだけではみえてこないものは、色んな事に置き換えて考えてみるとそのことの輪郭や雰囲気が浮き彫りになってくる。
トラウマのフィルターがかかってて捩れてたり制限になってるんだなって気づいて、ぢゃあトラウマ(原因)を昇華したらいいのかって言うとそういうことでもなくまずそれに気づいたことで今はいいんだとおもう。100%昇華しきれていないと進めないわけではないし、それにはタイミングがあるのも重々わかっているから。
けど、そのトラウマ的な出来事の闇しか見てない自分もそこで気づいたからそこにあった光も受容れることを今日やってみた。今おもうとその当時そこにみていたものは純粋な光だとは言い難いものだったとかんじるけど、純粋な光ではなかったけどそれを通らないとわたしは進めなかったのが事実だとおもう。それによって闇が強まって、極まったことで反転したから。健全ではなかったけど、不健全さを極めなかったら健全さにも気づけなかった。
今日起きてみると気分は変わってて今日改めて、無意識に【怠惰】になって純粋な自分でいれなくしてたり表現できなくしていることについて感じてみて、そこを《越えて》純粋な自分で創造性を発揮していくことに焦点をあわせてみると『バカになりそう、バカにおもわれそう』っていうようなニュアンスが自分のなかからあがってきた。
えっ、、何それ!?💦
って一瞬おもったけど、
きっと突き抜けていくことへの抵抗や幻想なのかなっと今は感じてる。
やり切ってく、やりきって越えていく。そこに『このくらいでいい』『このくらいだと波風たたない』っとネガティブなニュアンスで調和をとっていること。昨日のワークテーマは私にとってみたらここの【怠惰】のような気がするな、っと少し奥に入った。今ここ。
午前中のクライアントさんとのセッションでも、無意識に諦めて無いことにしていた自分の願いに気づいたってことを言われてて、いっしょに【怠惰】を越えて純粋な自分へと向いていってるんだなってこと、そこに進んでいくエネルギーを感じさせてもらった。
わたしも、まずはそういうニュアンスでやっていたことを気づいて終わらせていこ。
そんな晴れた突風の日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?