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第26話 自分を隠すための帽子は、今でも手放せない

楽しい時間が増えてきましたが、それでもハゲていることへの自己嫌悪は消えません。
でも、そういう日常にもだいぶ慣れてきました。ときどき自己嫌悪を感じて凹むけれど、すぐに復活するという形になってきました。

でも、帽子はなかなか手放せませんでした。
冬はニット帽。春、夏、秋は、基本的に野球帽のようなツバのついた帽子をかぶっていました。
スーパーで買い物をするとか、電車に乗るとか、直射日光が当たらずに冷房が効いた室内では帽子は不要です。そんな環境でも、私は帽子をかぶり続けていました。
帽子をかぶっていると、パッと見ただけでは私の脱毛に気付かれないからです。

このことは、自分の弱い心の象徴にも思えました。
あえて、帽子をかぶらずに外を歩くこともあります。それは、自分の一番無防備な部分をさらけ出しているようで、なんとも落ち着かない気持ちになるのです。
街を歩く知らない人たちからの何気ない好奇の視線を避けるためにも、私は帽子をかぶり続けていました。

それから、他人の何気ない行動が、自分を傷つけてしまうこともありました。
例えば、エレベーターに乗ろうとした時。
私がエレベーターに近づいていくと、先に待っていた女性が何かを思い出したかのようなふりをして、エレベーターから離れて階段を降り始めるようなことがありました。
そんな時、私は被害妄想的に考えてしまうのです。あの女性は、私の顔を見て変な人が来たと思い、一緒にエレベーターを乗るのを避けたに違いないと。
女性の真意は分かりません。なにか忘れ物を思い出したというような理由があったのかもしれません。でも、そういう行動に出くわす度に、私の心は凹みます。

結局、こういう自己嫌悪の瞬間が消えることはありませんでした。
何十年も経った今でも同じです。
他人の視線や、他人の何気ない行動。
それが、自分の見た目のせいで引き起こされたと感じ、ちょっとした被害妄想に陥ってしまいます。

だから、私は今でも、帽子をかぶっているほうが安心します。
昔ほど、自分の頭を隠そうという強い欲求はないのですが、それでも帽子をかぶっているほうが何だか落ち着くのです。
結局、自分自身の弱い心に完全に打ち勝つことはできませんでした。
でも、それでいいのだと思っています。
たまに古傷がうずくことはあるけれど、すでに傷のほとんどは強いかさぶたに覆われて、日常生活には全く支障のない状態になったのですから。

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