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第16話 閉じこもる息子を心配する両親

もちろん、私の両親も、私のことを心配していました。
体育会の部活を辞めてからというもの、大学の近くで一人暮らしをしていてもやることがなく、実家にいることが多くなりました。
ちょうど運転免許を取ろうとしていた頃で、実家近くの教習所に通ったという理由もあるのですが。

教習所に行っている時間以外は、何もすることがなくぼーっとしていました。
部屋に引きこもって、本を読んだり、本すら読まずに無為に過ごしたりしていました。
はたから見ればどう見ても鬱状態でしょう。でも、自分自身では鬱ではないという根拠のない自覚を持っていたのです。
ひどい脱毛症を患い、外に出るたびに自分への自信をなくして家に引きこもる。そういう意味では、軽度から中度の鬱に近い状態です。でも、その状態を冷静に見ているもう1つの自分がいて、自分自身をまだコントロールできていると思っていました。本当に鬱状態になれば、自分自身をコントロールできず、体が動かないとか、動悸やめまいなど身体的な症状が出るものだと思ってました。私は深く悩んではいるけど、そういうコントロール不能状態には陥っていない、だから自分は鬱ではないという論理だったのです。

でも、今から当時のことを振り返ると、明らかな鬱状態なんでしょうね。
少なくても、両親を含めて、周囲の人には随分と心配をかけてしまいました。

近所の人がシンガポールに赴任していたことをきっかけに、家族でシンガポールへ旅行しました。私にとって、初めての海外旅行です。受験勉強では一応英語も学んだはずですが、現地では全くしゃべれませんでした。ハンバーガー1つ、買うことができませんでした。
そんな中で、現地を案内してくれた近所の人が、流暢な英語で買い物をし、タクシーに乗るのを見て、本当にかっこいいなあと思いました。
シンガポールの動物園が、一番印象に残っています。どこまでも続く広大な敷地。人工物とは思えないほど工夫して作りこまれた自然の風景。その中で幸せそうに暮らす動物たち。そこは、地上の楽園のように思えました。
今の自分は、辛い状況の中でこの動物園を歩いているけど、いつか彼女ができたり家庭を持ったりして、幸せになってからもう一度ここを再訪したい。そういうことを夢想したのを覚えています。

後日談ですが、それから20年経って、ようやく妻と子どもたちと一緒にその動物園を再訪することができました。
最初の訪問時には無限に続くような広さだと思っていましたが、再訪した時には広さが現実的なものであると感じました。いろいろと、物の見方が変わったということもあるのかもしれません。いずれにしても、自分の中では、当時の望みを叶えることができたという点で感慨深いことでした。

話を戻して、両親は鬱状態に陥っている自分を無理に激励するのではなく、シンガポールへ旅行するなど頭を切り替える機会を作ってくれたり、当時の自分でもできるようなアルバイト先を探してくれたり、さりげないサポートを続けてくれました。
自分の親には、なかなか感謝を伝える機会はないものですが。
でも、昔も今も、本当に感謝しています。

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