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第22話 外見という社会的ステータスの本質

ここまで自分自身の悩みと活動を振り返った上で、大事な論点を整理したいと思います。
外見というのは、いったいどこまで大事なのでしょうか。

外見より中身が重要なんて、そんな浅薄な理想論を語るつもりはありません。外見は確かに大事です。

特に初対面の人と会う時には、良い外見を持っていることは効果的です。
ハンサムや美人であれば、異性の関心を惹きつけることができます。
ビジネスでの出会いであっても、精悍でさわやかな人が良く通る声で説明すれば、それだけで説得力が増します。
ここでの外見とは、顔のつくりだけではありません。男性であれば、例えば筋骨隆々でがっしりとした体格であることも、他者に与える印象を良くするでしょう。
人間も、基本的な部分は他の動物と同じです。分かりやすく言うと、サルと同じです。ボス猿の堂々とした風格に対して、普通のサルは引け目を感じ、ボス猿に従ってしまうというのが本能です。

しかし、人間は他の動物と全く同じではありません。
第一印象は本能のレイヤー(層)で感じる部分が多いですが、それ以降は理性のレイヤーで価値を判断していくのです。

ハンサムな人であっても、自慢が多かったり、他人をバカにしたりするような言動が目立つと、その人に近づきたいとは思わないでしょう。
不格好な外見の人であっても、話が面白くて良い人であれば、一緒にいたいと思うでしょう。
結局、人と長く付き合うことにおいて、第一印象というのはあくまで最初の数分の印象に過ぎず、第二印象、第三印象という機会でいくらでも挽回可能なのです。
まとめると、外見の良さは第一印象を素晴らしくするけど、それだけに過ぎない
そういうことなのです。

脱毛症を患った私は、最初の半年間はこのことに気付けませんでした。
変な見た目になってしまったら、普通の人と同じように生活することはできないと思っていました。恋愛することなどできない、アルバイトの面接に受かるはずがない、広く社交的な人間にはなれない、こんな風に自分で決めつけていたのです。

でも、多くの人、いやほとんど全ての人は、私の見た目が悪くても、それだけで私を拒絶することはありませんでした。第一印象で劣ってしまうことは否めないけど、第二印象、第三印象を良くできるように頑張れば、普通の人と全く同じように人とコミュニケーションできる。そういうことに、半年たってようやく気付くことができたのです。
ただし、第一印象が特に重要となる仕事があるのも事実です。不特定多数の初対面の人に対応する接客業がその一例です。私の場合、カラオケ屋のアルバイトは不向きだったのだと思います。そういう仕事を選ばないようにするという工夫は、必要なのかもしれませんね。

この半年間は、自分にとって長く辛い時期ではあったのですが、必要な期間だったとも思います。
脱毛症を患う前の、何の不自由もなかった自分。
それに対して、脱毛症を患ったことで外見のハンディキャップを負った自分。
脱毛症が治る気配がなく、脱毛症と長く付き合っていかなければならないことを受容しなくてはならない。でも、それを受容できない自分。
自分自身に降りかかった大きな変化を受け止めるには、相応の時間が必要でした。
悲しみのドン底にいる自分を憐み、悲しい音楽をかけて悲劇の主人公であるかのように自分を追い込み、自傷行為のような中で悲しみに耐えていました。

悲しみにひたるだけの半年間、私の心の中では階段を作っていたのでしょう。
不慮の事故で穴に落ちてしまった自分が、その穴から這い出るための階段です。
穴から出なければいけないことは、当時も分かっていました。でも、すぐに穴から出る方法はなかったのです。
穴底の周りに転がっている石ころを集め、その石を一段一段と積み重ねます。
でも、嫌な経験をしてしまうと、これまで作ってきた階段が崩れ落ちてしまいます。自暴自棄になって、自分で階段を壊してしまうこともあります。
それでも、時間が経って心が落ち着いた後で、また周囲に散らばった石ころを集めて、階段を積み重ねるのです。
友人や両親など周囲の人も階段を作るのを手伝ってくれました。そのおかげで、半年間たったときに、ようやく階段が穴の外までつながったのかもしれません。

でも、これがゴールではありません。
脱毛症が始まる前の世界に、一歩だけ足を踏み出しただけの状況です。
なにか嫌なことが起これば、また穴の中に落ちてしまい、階段が壊れてしまうかもしれません。
それからも一日、一日、階段を上り下りしながら穴の外に出る時間を長くし、さらに石を積んで階段自体を強固にしながら、地盤を固めていくことが必要だったのです。

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