僕は弁論をどう評価するのか

今週末の第12回全日本学生弁論大会(全日杯)で、学生審査員を仰せつかることになりました。
審査基準は以下のように示されています。

・理念(20点)
 弁論を行う目的が明確であったか、社会的重要性があるかにより決定
・論理性(40点)
 弁論の内容が現状分析から解決策まで一貫したものであるかどうかにより決定
・説得力(40点)
 弁論時の声調及び質疑応答を含めて、弁論内容総体で弁士の主張に説得されたか否かにより決定

全日杯では当然この基準に合わせて点数を振り分けるのですが、そもそも自分は弁論をどう評価しているのか、書き連ねてみたいと思います。
以下は、僕の弁論観を述べた、完全に私見のコラムですのでご了承ください。


弁論の審査の難しさ

実は、僕は高校時代は演劇部(とディベート部と釣り研究会)に所属していました。
高校演劇の大会(発表会)にも「審査」というものがあるのですが、弁論大会と同じ難しさを感じています。
1つの大会に10校以上が出場し、お涙頂戴の感動作品から、高校生活の青春を表現した作品など、さまざまな劇が上演されます。さらには、20分の枠の中でコントを3つ上演するという型破りな部(弊校)もあります。

真面目に演じる著者
漫才をする著者(ツッコミ)

こうした多種多様な演劇作品に対して、「点数」を付け、「順位」が付けられます。
これが非常に難しいのです。
お涙頂戴とコント3連発を、同列に比べるのは正直困難ですが、なんとか折り合いをつけて採点をします。
この難しさと同じ状況が、弁論大会においても発生していると考えています。

弁論の目的は何か

弁論は何を目的としているのか。
それは、まずは目の前にいる聴衆に訴えることで、自分の弁論に共感させること。
端的に言えば「説得」が弁論の一次目的であると、僕は考えています。

「説得」の内容は様々あって良いでしょう。
この政策を導入すべきだ!という弁士の主張を説得する、その前提となる問題の存在と重大性を説得する、など、政策弁論においても様々な説得目的があり得ます。
価値弁論においては、弁士の価値を聴衆にも共有するという説得が行われます。
これらは、「何を」説得するかという目的は異なるものの、「説得する」という行為自体は共通しています。
そのため、僕は「説得されたかどうか」で弁論の良し悪しを判断しています。

したがって、あまりに弁士の独りよがりな説得内容では聴衆は説得されません。ある程度一般化する余地のあるテーマが求められます。
一方で、既に社会に広く受け入れられているテーマを扱っても、聴衆は既に説得されています。
何を説得するか、という問題設定は、こうしたバランス感覚が必要です。
このバランスが崩れると、聴衆は「説得される」ことができません。

「説得」をどう評価するか

さて、適切な問題設定がなされた上で、どうすれば僕は「説得」されるのでしょうか。

これは、政策弁論においてはある程度明確に述べることができると思います。
最終的には「その政策を導入するべきであるか」が判断基準になります。
まずは問題設定の妥当性や重要性が、説得の土台になります。
そして解決策の妥当性については、実現不可能な解決策は受け入れられませんし、実現できても効果の薄い政策、実現することで大きなデメリットが生じる政策にも抵抗感があります。政策自体の妥当性を僕はかなり重視して弁論を作っています。
政策の大きさは問題設定によると思いますが、大きな問題に対して小さすぎる政策、あるいは小さな問題に対して大きすぎる政策を提示しても、説得されません。
その上で、問題設定と政策を結びつける「分析」は、政策の妥当性を導くための架け橋になります。
繰り返しになりますが、「その政策を導入するべきであるか」が基準になります。

価値弁論の評価には難しさがあると思っています。
価値弁論の目的が多岐にわたる以上、「価値弁論」と総称しての評価軸の設定は困難です。
ただしいずれにしても、その価値観に共感したかどうか、という点は基準になり得るでしょう。

これらの判断基準をベースとした上で、声調や文章の面白さ、質疑の対応などは、「説得力」を強めるまたは弱めるものになります。

そして僕は最近、「新たな知見を得ることができたかどうか」を気にしています。
10分以上の時間を費やすため、何らの発見もせずに時間を浪費するのはなんだか好ましくありません。
新しい問題の発見、弁士ならではの視点による分析、自分では思いつかなかった解決策など、弁論大会の場を出てから使える発見を得ることを期待して弁論を観ています。
(奇をてらうあまり妥当性に欠ける弁論は、この限りにありません)

弁論をどう採点するか

一番難しいのは、「良い」「悪い」を数値化することです。
仮に一つの弁論を基準にしたとして、点数の上限と下限をどう決めるかは、標準偏差によります。
標準偏差が大きい、つまり上位と下位の点差が大きい審査員は、素点の合計や偏差値の合計をする審査方法では影響力が大きくなります。
そのため得点の標準化をしてから計算をするべきだとは思います。
ここはフィーリングが大きいところでしょう。

謹んで審査させていただきます

改めまして、今週末には全日杯で審査員を仰せつかったわけですが、1聴衆として、謹んで審査をさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
弁士に期待する!


2024年4月更新:審査基準

会内大会などで審査員を務める際に使用している最新の審査基準です。

問題性の説得(理念への共感・自己言及性):15
問題設定の妥当性(問題の明確さ・重大性・妥当性):20
分析の内容(妥当性・深さ):20
分析の効果(論理展開の一貫性・解決策に繋がる課題特定の妥当性):15
解決策自体の妥当性(課題に対する打ち手としての対応性):15
解決策の効果の妥当性(実現可能性・比較衡量した際の効用・期待感):15
声調、表現:-10~+5
質疑:-10~+5
態度、印象:-10~+5

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