久しぶりの投稿になりました。
3月から実家のある島根県出雲市と東京をいったりきたり、ばたばたと過ごしておりました。
ようやく少し落ち着いたので、いま、吐き出したい気持ちを素直に書かせてもらおうと思います。
とても個人的な心情になりますが、もしよければお付き合い下さいませ。
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良い人生だったかどうかは、死を迎えるその瞬間に自分がどう感じるか。
その時までわからないことだと聞いたことがあります。
お父さんは、どんな想いを抱きましたか?
常々口にしていた「俺はな、長い人生なんかいらないんだ」という言葉。
あれは、どれくらい本心だったんですか?
狭い世界で生きていた子ども時代は、自分の家庭が普通だと思い込んでいました。
お父さんはちょっと無口なだけ。
女は男を立てるもの。
3歩後ろをついていくもの。
男のわがままを広い心で受け止めるもの。
男は仕事、女は家事育児。
品行方正に努め、決して道を逸れないこと。
お父さんとお母さんが”正解”。
それがあまりに当たり前でした。
違和感を覚え始めたのはいつだったかな。
もうわからないけど、はっきり自覚したのはそれこそうつ病になって、長い時間をかけてこれまでの人生を振り返ったときかな。
「もしかして縛られていたのかもしれない」
きっと、知らず知らずのうちにお父さんの理想の娘にならなければいけないんだと考えていたんだと思います。
あなたは何も言ってくれないから、こっちが推し量るしかなかったんよね。
表情をみて、少ない言葉をきいて、一挙手一投足から想像してたの。
だから優等生をやめられなくて、そうなれない自分をみつけるととんでもなく駄目に思えて、息ができなくなった。
大人になった今なら。
他人に厳しかったぶん、お父さんがどれだけ自分に厳しくしてたかわかるよ。
家族を養い、3人の子どもを育て上げなければいけないというプレッシャーや、社員の上に立つものとして結果を求められ続ける責任はきっと重かったでしょう。
弱音や感情をみせないその奥の奥でずっと歯を食いしばっていたんだと思います。
もしかしたら、悲しいとか辛いとかそういうものを全部押し込めているうちに麻痺してしまったんかな。
長いこと単身赴任もして、しんどかったよね。
鍵を開けて、冷たくて暗い部屋に帰ってきて、めんどくさくて放り投げたい気持ちを抑えて、背広をなんとか自分でハンガーにかけていたんだろうね。
一言も発することなく、ひとりで黒霧島やサントリーのウイスキーを飲みながら、抱えている何かを紛らわせているくたびれた背中を想像すると、可哀想にも思えてきます。
わかってるよ。
みえないところで闘ってくれていたんだよね。
感謝しています。
でもね。
大人になるほどに、社会を知るほどに、わたしはずっと葛藤していました。
誰より正しくて、尊敬すべきだと思っていたお父さんの本当の姿が、世間で言うとこのとんでもないモラハラ野郎だった。
特に仕事をリタイヤしてからはひどかったよ。
他人の都合も気持ちも全部無視してわがまま放題。
病気をして入院をすれば、お母さんを自分の病室に縛り付けて奴隷のように扱う始末。
気に入らないことがあれば怒鳴りつけて、医者や看護師のいうことも聞かない。
これまでも威圧すれば、なんでも思い通りになってきたんだろうね。
お酒にタバコ、好きなものにはじゃんじゃんお金を使って家族の我慢や悲しみは見えていませんでしたね。
「これだけ尽くしてきたお母さんを大事にしないお父さんなんてさっさと別れたらいいわ」
何度言ったことか。
それでも添い遂げた我が母。
もうね、わたしはとっくのとうに諦めとったんよ。お父さんがお父さんをしてくれることを。泣いてみたし、キレてみたし、諭してみたし、まっすぐあなたの目をみて、できることは全部やった。
だけど、変わらんかったね。
気づいてくれんかったね。
父と母の間に入ってバランサーにならなければならないことにもほとほと疲れていました。
いつか親子の立場は入れ替わるって聞いとったけど、こんなに早いなんてね。
そうやって何も期待しなくなってから、シャンプーしているときとか、夢の中とか、ふとしたときに悲しい答え合わせをしてしまっていました。
記憶をいくら辿っても、お父さんにちゃんと褒められたことないんよね。
ありがとうもごめんなさいもない。
遊んでもらったことも、考えを聞いてもらったことも、家族旅行にも行ったことないね。
お父さんは、わたしに聞きたいこととか、知りたいこととかなかったの?
わたしはあったよ。
本当はたくさんあった。
わたしやお兄ちゃん達の好きなものや嫌いなもの、なにか知っとる?
こどものころ、誰と仲良かったか、どんな子だったか説明できる?
なんでお母さんのこと大事にできんかったの?
わたしがお母さんみたいに扱われてたらどう思うの?
お父さんにとって家族ってなに?
子どもってどんな存在?
目に見えてる。
「知らん」
その一言だけで自分の部屋に引っ込んでいく姿が。
待望の女の子だった。
生まれる前から、性別がわかる前からこの子は女の子だと言い張って、麻衣子と名付けてくれたんだよね。
”麻の衣をまとっても美しい子であるように”
そう願ってくれた気持ちを疑うことはないし、わたしのこと好きだったと思ってる。
でも、それって愛情だったんだろうか。
フリーでもアナウンサーになって、めざましテレビなんて有名な番組に出させてもらってお父さんも嬉しかったでしょう。
飲みながら自慢しとったもんね。
そう、自慢の娘。
たまたまその要素に恵まれただけ。
もしそうじゃなかったら…?
そんなふうにぐるぐると考えたりもしてたけど、余命宣告を受けても、実際に聞くことはありませんでした。
「お父さん、もうね、先は長くないんて。」
「何か言いたいことある?」
しっかりとその言葉を受け止めながらも、とうとう出てこんかったね。
ことばも。
想いも。
そのときがきたら、どんな気持ちになるんだろうって思ってた。
もしかしたら、何も感じないんじゃないかと。
そんなこと全然なかったわ。
めちゃめちゃ泣いたわ。
生前には見たこともない、おだやかな顔しとるんだもん。
なにそれ。
そんな優しい顔できるんじゃん。
なんで見せてくれんかったんよ。
明日の朝イチの便で帰るって言ったのに、なんで待ってくれんかったん。
最期まで自分勝手に逝ってしまって。
死後の世界とか、四十九日まではそのへんフラフラしてるとか、死んだことないからわからんけど、
もしあの世で会って話せるんだったらとことん答え合わせに付き合ってください。
結果的にわたしは生まれてきてよかったと思えているし幸せなので、どんな回答でも責めないからさ。
初めての家族会議でも開きましょう。
あと骨になる前に言ったこと、絶対忘れないように!!!
それだけ守ってくれたら、全部ゆるしてあげる。
約束だけんね。
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